横山哲夫先生の思想の系譜
横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるとキャリアコンサルタント養成講座の中で強調されていました。そして数多くの著書を世の中に送り出しています。
今回はその中からキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「組織文化とリーダーシップ」を紹介します。
本記事はエトガー・H・シャインの著作「組織文化とリーダーシップ」を横山先生が翻訳されたものです。横山先生はシャインが2006,7年頃(記憶があいまいですみません)来日した時の立役者(JCC:日本キャリア・カウンセリング研究会が招待した、彼と娘さんが来日した)で、東京、大阪でシャインが講演をする際にいつも同席し、そればかりか新幹線で京都案内までされて、ごくごく親しく彼の人柄に触れた唯一の日本人でありました。
横山先生の思想の系譜をたどるときには、エドガー・シャインにかならず突き当たるので今回から横山先生の翻訳を紹介しながら彼の思想の系譜を探索していきたいと思います。
<ここより翻訳:2010年シャイン著>
結果の測定と修正のメカニズムに関する
共有された前提認識
全てのグループ,組織は,ゴールに対して自分たちがどういう状態にあるか,ミッションに沿って進んでいるか,を定期的に把握する必要がある。そのプロセスには3つの領域がある。文化的次元に根拠をおくコンセンサスの成立,その後の無意識化,そして前提認識の共有である。コンセンサスとは何を測定し,どう測定するか,そして修正が必要なら何をすればよいかについての合意である。とりわけ文化的要素は組織の新メンバーにとっては,これらの課題への対応上の最大の焦点となることが多いが,それは結果の測定はまさに一人ひとりの仕事の業績に関わる問題であるからである。
何を測定(評価)するか
グループが仕事を進捗させていることは,実績測定の方法についてのコンセンサスが成立していることを意味し,もし仕事が期待通りに進捗しない場合の是正措置についてもコンセンサスができているに違いない。初期のDECで,あるエンジニアリング・プロジェクトの評価が社内の特定の幹部技術者達の「お好み」によるものではないかと言われたことがある。会社は内部的に受けいれられたものは部外者にも受けいれられるはずだとしたうえで,複数の競合する部外エンジニアリング・グループが,自分たちのデザインが勝ると言うなら,基準を部外にも設け,「判断を市場に任せよう」,との見解を示した。このような両論併記的な基準はそれらを賄う余裕がある限りは可能であり,事実DECは当時,速い成長を示していたのだった。
ウエルメイド・フルート社(Wellmade Flute Company)では製造過程の節目ごとに評価がなされていた。製品の最終段階ではほとんど検査をパスする状態になっており,すぐに顧客に提供できた。もし技能工が自分の持ち場での触れた感じ,見た感じ,聞いた感じで,気に入らないことがあれば即座に前の段階の職場にもどす。どの職場でも次工程の職場への信頼感を持っていたから,やり直しに双方が違和感を持たなかった。
あるフランスのブランデー会社にも似たようなプロセスがあった。各段階での専門家の評価のほかに,「テイスター」と呼ばれる,ひと組ごとのブランデーの最終鑑定者の評価がある。テイスターの役割はテイスターの息子に与えられるものとされていた。この会社の最後のテイスターには息子がいなかったので,その役割は長女でなく甥に与えられた。女性テイスターにはどこか基本的な,男性と異なる味覚の問題があるとの前提認識があったからである!
筆者は1980年代のあるとき,米国のシェル石油会社(Shell Oil Company)の探索と生産の部門のマネジメントに関わったことがあった。コンサルタントとして,この両部門の職務と関連する文化的な側面の「分析・測定」の改善に取り組んだ。このグループの人工の産物と信奉された価値観についての共同の測定作業が進むにつれて,このふたつのグループが測定を期待するものは何かというコンセプトの相違が明らかになった。
探索グループは長期的な統計を基本としたうえで,油井の所在が事実であることの証拠確認の測定を求めた。油井とされたものの大部分が実際には「乾いて」いたからである。対照的に,活発な油井からの安全輸送の責任を負った生産グループは,短期的で,安全で,能率的な「生産」の測定を求めた。探索グループにとってのリスクとは長期にわたって新たな発見がないことを意味し,生産グループにとってのリスクとは事故,火災などの日常的危険の発生であった。いずれにしても,両グループとも会社の財務的側面については協力的,貢献的であり,探索コストと安全生産コストとも共通因子とされたが,両グループが共通して拒否することがあった。それは,通常の一般的評価基準で彼らの仕事を評価されたくない,ということであった。
(つづく)平林良人