私(平林)は横山先生と2004年に初めてお目にかかりました。当時テクノファはISOマネジメントシステムの研修機関として、JAB(一般公益法人日本適合性認定機関)の認証を日本で最初に受けた第三者審査員養成講座を開設しておりました。当時、ISOマネジメントシステム規格には心が入っていないと感じていた私は、その時に横山先生にキャリアコンサルタント養成講座立ち上げのご指導をお願いしたのです。
横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるとキャリアコンサルタント養成講座の中で強調されていました。そして数多くの著書を世の中に送り出しています。
今回はその中からキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「組織文化とリーダーシップ」を紹介します。
本記事はエトガー・H・シャインの著作「組織文化とリーダーシップ」を横山先生が翻訳されたものです。横山先生はシャイン博士が2006年来日した時の立役者(JCC:日本キャリア・カウンセリング研究会が招待した、彼と娘さんが来日した)で、東京、大阪でシャインが講演をする際にいつも同席し、そればかりか新幹線で京都案内までされて、ごくごく親しく彼の人柄に触れた日本人でありました。
横山先生の思想の系譜をたどるときには、エドガー・シャインにかならず突き当たるので今回から横山先生の翻訳を紹介しながら彼の思想の系譜を探索していきたいと思います。
<ここより翻訳:2010年シャイン著>
■ サブカルチャーの変化
バイオテクノロジー企業の調査研究における発見(Dubinskas,1988)として,企業家になったバイオロジストたちが経済/ビジネス畑のマネジャーたちと一緒に仕事をするときの,時間感覚についての微妙な理解の違いが取りあげられている。それは企画段階で,物事の処理にかける時間,時間的な一区切り(マイル・ストーン),および将来を見通す企画過程における時間的知覚の相違であった。
経済・ビジネス育ちのマネジャーたちにとって,時間はリニアでモノクロニックであり,ターゲットもマイル・ストーンも外的,現実的に考えられ,ビジネスの市場性とか株式市場などの具体的指標で語られる。ドゥビンスカスはこの時間形式をプラニング・タイムと名づけた。
対照的に生物学者にとっての時間はディベロップメント・タイム(開発・発達タイム)と名づけられた。自然生物学のプロセスでの,生物の内的時間サイクルを重視する視点からの観察であろう。「時間は必要なだけ必要」なのだ。その相違を漫画的に描けば,ビジネスパーソンが「どうしても5か月でベビーが必要になる」と言ったとすれば,バイオロジストは「悪いけどベビー作りは最低9か月必要だよ」と。プランニング・タイムには締め切りが必要だが,ディベロプメント・タイムでは状況により締め切りを伸ばし,いつまでも待てることがある。
同様な対比が電気エンジニアと化学エンジニアの時間軸についても見られる。DECの電気エンジニアは電気回路デザインのテクノロジーの進歩で回路の即時テストが可能になったため,マーケットのショーウインドーへの取り組みがその場で時間をかけずにできるようになったと言う。一方,チバ・ガイギ一社(Ciba-Geigy)の化学エンジニアリングの研究者は私にこう言った。「新薬剤の開発がいつ完成するか,全く見当がつかない。研究室でのデータがパイロット工場や,製造工場の段階で再生することができないことが多いからだ」と。
■ 任意選択的な時間軸と正確さの程度
グループのメンバーのコンセンサスが必要とされるもうひとつの時間次元は,タスクとの関連から決まる時間単位の長さである(Jaques,1982,1989)。
測定したり,プランを立てたりするのは毎年か,4半期か,毎月か,毎日か,毎時間か,あるいは分刻みか。時間の世界で「正確」とは何を意味するのか。
タスクの進捗が測られる単位は秒か,分か,もっと長い単位か。約束時間に遅れても時間通りと見なされるのはどの程度の遅れか。航空機の到着予定時間の遅延についてはどうか。期待されているイベント(たとえば昇進)についてはどうか。課された仕事の終了までの予定日数は,月数は? フィードバックのタイミングは?
セールスと研究開発(R&D)のグループの間のコミュニケーションが問題を起こすことが多い理由のひとつは,お互いの時間軸の長短が全く異なることにある(Lawrence & Lorsch,1967)。セールスの人たちにとっての時間軸はセールスの完了まで。それは分,時間,日,週,月で表現される。長くかかる場合であってもR & Dの時間軸より遥かに短い。R & Dの人たちの費やす時間は多くの場合ディベロプメント・タイムであり,その時間軸は年数で表現される。
リサーチャーとの間のコミュニケーションのプロセスにおいては,もし後者(セールス・マーケター)が製品を「すぐに(soon)」ほしいと言い,前者(リサーチャー)が「すぐに(soon)」用意しようと言ったとしても,両者とも話が噛み合っていないことに気づかない可能性が大きい。DECの例だが,セールス部門がエンジニアリング部門に対する苦情として「オン・タイム」を守らないことを絶えず聞かされた。エンジニアリングの話では,オン・タイムで運んでいる,というのだが,これは,「ほんの6か月ぐらいの遅れはあっても,数年間を見込んでいる開発サイクルのなかで何の問題もない」との意味であったが,お互いは怒りあっていた。「オン・タイム」の出所である時間単位に関する前提認識の相違についての理解,認識の問題であった。
DECとチバ・ガイギーは時間軸全般にわたって相異なっていた。これはそれぞれの基流をなすテクノロジーと市場の相違によるものと思われる。チバ・ガイギーのゆっくりとした慎重なリサーチのプロセスはマネジメント・プロセスの全般に浸透していた。諸事万端,ゆっくりペースで慎重に誤り無きように進められた。時間は,「最初の1000マイルはあまり問題にならない」と言った表現がよく企業のなかで聞かれたように,つねに余裕をもった形で表現されていた。「我慢強く,粘り強く。ものごとはいずれ達成される」のであった。
時間軸は仕事の機能や職業の種類だけでなく,階級(rank)による影響も受ける。階級が上がるほどマネジャーの裁量が増え,時間軸が伸びる(Jaquees,1982,1989)。また,「オペレーション上の自律性(operational autonomy)」(Bailyn,1985)は職務遂行上 公式な認定がなされるまでの期間,時間枠の自律度を意味する。生産現場のワーカーは数分,または毎時間チェックされる。監督者は毎月または毎年,トップ役員は数年に1回かも知れないが,これらの区分は産業組織の種類によっても異なる。時間の観点から多様な様式が見られ,多様なランク・レベルが生まれる。シニア・マネジャーたちは数年ごとのサイクルでのプランニングをすることを当然と考えているが,そのような前提認識はミドル・マネジャーや,それ以下のランクのワーカーには適用されず,彼らには,年,月,週,日の単位のサイクルが当然とされている。 任意・選択的な時間枠(discretionary period)に関しては異なった前提認識があることがマネジメントの難しさの原因になっている。ベイリン(Bailyn,1985)によれば,ある大きなR & D組織のシニア・マネジャーたちは,組織の科学者グループが彼ら自身でリサーチ・ゴールを設定したいとする要望を聞きいれ,「自律的ゴール設定」を認めた。その後,科学者たちは予算や時間の執行についてのマネジメント能力を欠くことが明らかになり,それらの執行に対して頻繁にチェックを入れられることになった(つまり「オペレーション上の自律性」は大きく制約を受けることになった)。その後,士気の低下した科学者たちとの面談の結果判明したことは,(1)「ゴール設定を支援するためにもっと協力したいのにそれが認められない」(産業界にいるのだから,マネジメントに特定された産業関連の諸問題のための仕事をしたい),(2)「絶えずチェックがはいるので全く仕事にならない」。言い換えてみると,彼らが望んでいたものはマネジメントが判断したものと正反対だったということになる。ゴールに関わる自律よりも,オペレーションの自律をより強く望んでいたのだった。
任意・選択的な時間枠についてはさらなる論争がある(Jaques,1982,1989)。マネジャーのコンピテンスは,該当マネジャーが,その職務のレベルに適切な時間枠で機能しているかどうかによって判断することができる。生産ワーカーが1年単位で仕事を考え,シニア・マネジャーが1日,1時間の刻みで仕事を考えるなどがもしあったら,職務の要求から言って非効率も甚だしい話である。組織階層を上がっていく者は長期的なプランニングを必要とするポジションに近づく。その際,昇進の可能性を,少なくとも部分的には,当人が長期的な視野を持てるかどうかで推察することができる。もし,非常に短い時間枠で仕事をしたがるシニア・マネジャーがいれば,おそらく過剰にマネジして,適切なプランニングには失敗するであろう。
■ 一時期的調和,ベース合わせ,同調性
時間に関する微妙でしかもきわめて重要な側面は,時間に関連する活動のペース合わせである。コンピュータ機器を放射線部門へ導入する段階の調査で,機器の技術者と放射線技師(レディオロジスト)との調和のとれたペース合わせのよしあしがテクノロジー全般に大きなインパクトを与えることが発見された(Barley,1988)。従来からのⅩ線部門の技術者はモノクロニックに動き,患者のスケジュールに沿ってフィルム作りを主としたが,今は,機器技術者が放射線技師に相談したいとき,放射線技師のポリクロニックな行動にフラストレーションを感ずるようになった。たとえば透視検査のための注射や,事前撮影のフィルムの確認などのための連絡がすぐに取れないことが多いなどである。下記の引用文で全く調和がとれていない事情がよくわかる。
「放射線技師の居場所を探すために数か所を当たったり,別の担当者に尋ねたりしなくてはならない。見つけたとしてもすぐに来てくれる保証はない。やっと来てくれたとしても電話で意見をいう,医師とフィルムについての話し合い,同僚との打合せ,別の検査への助言などなど。その都度機器技術者は待たされる。なんとか打合せにはいれたとしても放射線技師の時間確保の方法が無いことに変わりはない。放射線担当は多くの出来事に,多様に対応する。電話,相談,あるいはほかの機器技術者とも。どうも放射線専門家の方が重要だと見なされているようだが。」(Barley,1988,p.145)
コンピュータ断層写真,磁気反応,超音波が各部門に導入されると,ふたつのグループの要求がより調和の取れたものになった。その理由は,(1)どの検査もさらに長期的に使用できる,(2)コンピュータ技術者の結果読み取りの専門性が増強された,(3)テクノロジーの進化に伴う特殊な手続が放射線とコンピュータの両専門家が現場で隣り合って共働する必要性を高めた。さらに,超音波による診断手続は技術者の結果読み取り技術が無ければ全く成り立たないようになってきた。現実に,技術者は運営上の自律を確保し,地位を高めた。その経験はさらに深まり,結果読み取りの技術は放射線担当者をしのぐことも珍しくない。新たなテクノロジーは技術者と放射線担当がモノクロニックに,わかりやすく協調すべき状況を作り出したのだ(患者のためにも,機器の効率のためにも)。
ポリクロニックに進められる仕事は,モノクロニックに仕事をする人に常にフラストレーションを与える可能性が高い。そのよい例が航空管制官(ポリクロニック)と着陸の指示を待って滞空している航空機(モノクロニック)だ。同様に,緊急待合室で医師を待っている患者は医師が多くの患者を同時に担当していることを知らない。モノクロニックに動く人はポリクロニックに動く人が多数の要求に対応していることを理解していない。この理解不足や不確かな想像から,ポリクロニックに働く人を効率的でないとか,怠けているとかの誤解を抱く可能性が大変に大きい。
さまざまなグループにおいて機能している一時期的な(temporal)時間の関係,たとえば活動のペース作り,リズム,仕事の活動の周期等は明らかに,いかに,それらのグループが機能しているかについての姿を適切に反映している。またグループ間に十分な合意が存在しないとフラストレーションを生む原因ともなり得る(Bluedorn,1997,2000)。このペース作りにおいて非効率的な問題を生じさせないためには,一部の研究者たちは,組織が相互依存的な活動を同調化しがちであることを 発見している。この同調化(entrainment)は自然科学から借用した概念であり,「他者とペースやサイクルを合わせたり,調和を図るために自らの活動や周期を調整すること」と定義されている(Ancona & Chong,1996p.251)。
■ ここまでの要約(時間)
グループや組織の文化分析には,時間のカテゴリー以上に重要なものは無いと思われる。グループや組織が時間をどう考え,どう使っているかの調査が不可欠である。タイム・マネジメントは社会秩序の裏書きであり,当事者の地位や意思を伝達する。イベントのペース作りや生活のリズム,物事を進行させる段取り,イベントの持続性などのすべてに象徴的な解釈が有効になる。一時期調和の文脈のなかでの異なった解釈は,グループメンバーが同じ前提認識に属していない限り,それぞれの解釈が相互に誤解となるのも当然であるから,一時期的な正当な理解が不可欠になる。
時間に関する主要な側面を下記に示す:時間とは何かを自分自身の問題としてどう考えるか,同時に特定の組織ではどう考えられているかの参考として,(1)過去,現在,近い将来,遠い将来の位置と方向性,(2)モノクロニックか,ポリクロニックか,(3)プランニング・タイムか,ディベロプメント・タイムか,(4)時間枠の長さ,(5)一時的シンメトリック活動。時間は,コーディネーション,プランニングの鍵であり,日常生活の基本構成であり,見えにくいが,誰も当然のようにその存在を疑わない。時間は社会的規律の中心的存在だが,ことさらにそれを言葉にする人もいない。たとえば時間を守らなかったとき,何かつぶやいたり,言いわけしたりするかも知れないが,「迷惑をかけたかどうか」,などをはっきり相手に訊いたりすることはほとんどしない。
■ 空間の本質に関する前提認識
空間(space)の意味と用途に関するわれわれの前提認識は,時間と同様に,通常の意識外のことであり,組織文化の最も微妙な側面のひとつである。ところがこの前提認識が侵されると非常に強い感情的な反発が起こる。「俺の『縄張り』に踏み込むな」となる。組織における階級と地位の最も顕著で象徴的な表われは自室の場所と広さである。
ホール(Hall,1966)の指摘によれば,あるカルチャーでは,誰かがある方向に向かって歩いているとすれば,その前方のスペースは彼のスペースと知覚されている。であるからほかの誰かが彼の正面を横切ったとすれば,彼のスペースは「侵された」ことになる。しかしアジアのある文化ではスペースは初めから共用,共有とされている。複雑な人の流れ,自転車,自動車,動物など,中国の町並みで見るように,誰もが先を争って前に進むが,踏みつけられることは無い。空間は時間と同じく,多くの異なった視点から分析されるのだ。
(つづく)平林