横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるとキャリアコンサルタント養成講座の中で強調されていました。そして数多くの著書を世の中に送り出しています。今回はその中からキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「組織文化とリーダーシップ」を紹介します。
<ここより翻訳:2010年シャイン著>
ここでもう一度,Tグループの最初の場面に戻ろう。スタッフの導入のスピーチのあとに訪れた沈黙のなかで,各人は,この曖昧なスケジュールとパワーの空白状態を前にして,不安感を募らせる。もしこの沈黙がほんの数秒間であっても,これはほとんどのメンバーがあとになって鮮明に思い出す,「重要なイベント(出来事)」となる。ほとんどのケースですべてのメンバーが同じマクロカルチャーからやってきており,同一の言語を共有している場合でも,メンバーの誰もが,このグループはさまざまな人格が合わさって構成されたユニークな組み合わせ(グループ)であり,これらの人格は当初はっきり理解されていないと自覚する。この最初の沈黙を重要なイベントにしている理由は,すべての人がこの突然の沈黙に対して自らの感情的な反応を自覚しているからだ。グループのメンバーはのちになって,公式的なアジェンダ,リーダーシップの構造,進め方についてのルールといった支えがTグループ訓練のデザインの一環として,意図的に省かれている状況下で自分たちがどう感じたかをはっきり思い出すことが可能なのだ。
この特異な状況は,彼らが通常いかに社会的秩序の構造やルールに依存しているのかの自覚を強く促す。グループは,メンバーたちが最初の「規範なし」,「ルールなし」の状況に対応する際の自らの感情と反応を自らで観察することを促す,自らの判断に意図的に投げ込まれることになるからだ。この新しい状況に対して各メンバーは,前提認識,期待,対応のパターンという形で過去の経験の数多くを持ち込んでくる。しかしグループの誰かが提案を行ったり,感情を表明することをきっかけとして起動しはじめたとしてもグループ内には,どうグループを運営すべきかについて全くコンセンサス(意見の一致)が存在していない,またほかのグループの例を真似することもできない,という事実が即座に確認される。したがって個々のメンバーがその過去の文化についての学習を新しい状況に持ち込んだとしても,定義上この特定のグループは,自分自身の文化を持たずにスタートしたと理解してよい。ゴール,手段,仕事の進め方,測定方法,交流のルール等は,すべて新たに共有する経験から形成されなければならないのだ。このグループが何のために生みだされているのかというミッションの理解は,メンバーたちがお互いのニーズ,ゴール,能力,価値観を本当に理解しはじめ,さらにメンバーがこれらの理解を共有するミッションという形にまとめ上げられ,自分たちの権威と親密のシステムを定義したあとにはじめて可能になるのだ。
ではグループの形成はどのように進むのか? 通常グループ内の誰かが発言した最初の言葉が,もしそれが緊張をいくらかでもほぐすことに役立った場合,これがまず重要な出来事となる。たとえば,かなり活発なメンバーのひとりが,どのようにスタートさせるかについての提案を行うことが多い。「グループの全員で順番に自己紹介したらどうだろう」,あるいは「何故われわれがここにいるのかについて各人が発言したらどうだろう」,あるいは「私自身かなり緊張しているけれども,ほかの人たちも同じように緊張しているのだろうか」,「(スタッフの)エドさん,どのようにスタートさせたらよいか,助言して下さい」といった発言だ。
沈黙が破られると,グループには大きな安心感が生まれ,この安心感の共有を通じて,何かユニークなことを共有しているのだという自覚が高まる。世界のほかのどのグループにおいても,このグループが抱いた最初の緊張のパターン,さらに当初の沈黙を克服した方法と同じことを繰り返すことはあり得ない。またメンバーは簡単に忘れ去ってしまいがちな事実,つまり対人関係の状況にあっては「コミュニケートしない状況を継続する」ことなどあり得ないという事実を再認識する。ここで起こっているすべてのことがグループにとって意図と因果関係を伴うことになるのだ。
この最初の提案がグループのムードに合っている場合,少なくとも発言を準備していたほかのメンバーのムードに合っていた場合にはこの発言が採択され,あるパターン形成のきっかけとなる。もし提案がムードに合わない場合には,不同意や反対提案,ないしはメンバーが簡単には賛成できないという自覚を促す何らかの反応が導きだされる。この反応がどのようなものであれ,グループの形成にとって重大な出来事が引き起こされたことは間違いない。つまりスタッフを含めてグループの全員が,感情的に共有される反応に参画したことになるからだ。その出来事を共有されたものにする理由は,すべてのメンバーが,メンバーのひとりの意見として表明された同一の行動をその目でたしかめ,メンバーからの反応を一緒に観察したからにほかならない。第1回目のミーティングのあと,メンバーはこの出来事にたびたび言及し,さらにこのことを記憶し続ける。この初期の共有を感情のレベルで定義すると,「われわれはいまやひとつのグループだ。われわれはともかくスタートしたのだ」ということになるだろう。
文化形成におけるもっとも基本的な行為,つまりグループの当初の境界線の設定は,この感情的に共有された反応にもとづいて行われる。この反応を共有したいずれのメンバーもあるレベルでグループ内に参加したと認められ,この経験を共有しなかった人たちはグループに参画しているとは認められない。グループに属している,属していないという感覚はきわめてはっきりしたものであり,ミーティングに出席しなかったり,この出来事を目にしなかった人たちは,グループに何が起こって,メンバーがどのように反応したかについては知り得ない。たとえばミーティングに1時間遅れて到着したメンバーは,すでにグループが形成されていると感じ,「一体それまでに何が起こってきた」のかを知りたいと願う。またグループのほうは,この新たに到着した人物をすでに「よそもの」としてとらえ,「入会手続きを踏ませなければならない」と考える。各メンバーはあとになって,「グループをスタートさせた際には大変苦しい思いをした」と振り返り,最初のミーティングでどんなことが起こったかをあとになっても繰り返し,語り続ける。
したがって,新しいグループが形成されるといういかなる状況,たとえば新しい企業,タスクフォース,コミティー,ティームを立ち上げるときには,創始者,リーダー,その他のスターターの行動がいかにやる気の高いものであり,自分自身の特有の考え方と意図を反映したものであったとしても,グループ内の各個人がものごとを協力して遂行しはじめ,さらに個人的にモティベートされた行為を巡る経験を共有しはじめたときにはじめて「グループらしさ」が芽ばえるのだ。
共有された認識とはっきり表明された感覚を通じて意味を生みだす最初にはこのグループらしさは,誰をグループ内,誰をグループ外に分類するかを決める感情的な判断基準を提供してくれるにすぎない。そのグループが自らのグループらしさを理解しはじめるためには,誰かが,そこまでにどのような経験をしたか,それは何を意味するかについて明確にすることが求められる。このような明確化は個人的な行為,つまりリードしたいと願う個人の意思,あるいは代弁者になりたいと願う意思にもとづいた行為と言える。しかしその明確化が効を奏し,また意味のある方法でものごとが整理され,さらにグループのメンバーが,何が起こっており,何故彼らがそのように感じているかを理解できるように支援する場合には,その明確化は個人レベルからグループ全体に対して「影響を及ぼす」ものになる。たとえば,沈黙を破るためにメンバーのひとりが「われわれはいまかなり緊張している」,あるいは「どうもわれわれはスタッフからあまり支援が期待できないようだ」,「ほかの人たちはどう感じているか判らないけれど,私自身は何とか前に進めなければならないと感じているので次の提案をしたい」と述べる。このような発言は何らか状況を明確化することに役立つことから,われわれが「リーダーシップ」と呼ぶことの重要な部分を表明するものになる。またもしこのプロセスが共有される重要な感情的な経験に意味を与え,さらに無意味さが生む不安感からの脱却に多少とも貢献する場合には,文化創造のための行為と見なすことが可能となる。もっとも深く,もっとも力強く共有される経験は,グループ誕生の数時間のうちに形成される。ということは,われわれが誰であり,われわれのミッションはどのようなものであり,どのようにこのミッションに取り組むかについての深いレベルにおけるコンセンサス(意見一致)がグループの歴史のごく初期に形成されるからだ。
<タイムリーな介入を行うリーダーシップ>
この理解と明確化のプロセスを支援するためにスタッフメンバー,またはグループメンバーの一部が,何らかの目の覚めるようなことが起こった瞬間をとらえて,グループに対して彼らが何を見て,どのように感じたかを思い返して,それを口にだして発言するように求める。たとえば沈黙を破るためにひとりのメンバーが「テーブルの席順に各人自己紹介をしよう」と発言する。しかしなお沈黙が続く。ほかの誰かが「スタッフのほうからわれわれがどうすべきかを指示して欲しい」と発言する。さらに沈黙が続く。3人目のメンバーが「エドさんは何も指示してくれないから,自分たちで考えなければならないな」と発言,しかしなお沈黙が続く。4人目の人物が「私はピーター・ジョーンズだ。どうしたらほかの人たちのことをもっと知ることができるのか」と発言し,彼は反応を求めて周りを見廻すけれども,なお反応なし。スタッフであるエドはそこで,「いま何が起こっているのだろうか。これまで数分間に起こったことを手短かに検討して,何が起こったか,われわれがどう感じているかを話し合ってみよう」と発言する。
ここでさまざまなメンバーが発言しはじめ,彼らが何を観察し,どう感じたかを話しはじめる。メンバーのひとりは,スタッフが権威を伴う立場を敢えて示さないことからメンバー間にパワーを巡る争いが生じ,誰の提案にグループが従うかについて混乱を生んでいるのだ,と指摘するかも知れない。幾人かのメンバーの提案のあとに示された沈黙は,ある種の抵抗の意思表示であったかも知れない。つまり,あるメンバーから提案されたことには従わないぞ,という意思表示であったのだ。この抵抗を認識することによってグループのメンバーたちは,いかに社会システムが機能するのかについてもっとも強力な教訓を学び取りはじめる。つまりあるメンバーが提案したことにしたがって,グループ全体が行動しないということ自体がグループの強力な意思表示であったのだ。この種の意思決定はつねに起こり得るもので,このワークショップにおいては口語的表現として「plop(どぼんと落とす)」と名付けられた。言い換えると行動のための提案がなされたけれども,それがただちにどぼんと落とされたのだ。Plopとは,グループ全体として,あるメンバーがグループに対してどう行動するかを指示するだけの権限を与えることを拒否したことを意味する。
同時に,グループで何が起こったのかを検討しようと言うスタッフからの提案がグループによって受け入れられたとすれば,このグループはリーダーシップについてきわめて重要なことを学んだことになる。つまりあきらかな提案を行うのではなく,何が進行しているかのプロセスに焦点を当てることによってもリードすることが可能だ,という教訓だ。このような「プロセスの分析」によって,メンバーが評価を含まない形で,またすべてのメンバーの認識や感覚が同等の社会的価値を認められる形で,自分たちの認識や感覚を語ることが可能になる。個々人はさまざまな認識や感覚を抱くことができるけれども,ほかのメンバーに向かって彼らの経験が間違っていて,価値もないと語ることはできない。しかしこのようなプロセス分析では,グループが文化的に中立性を築くことから,メンバーたちが過去の文化的経験からそのグループに持ち込んだ,異なった文化的規範(ノーム)を評価を含まない形で客観的に観察することを可能にする。ワークショップを「文化の島」にするのはこの種の探求的な討議を通じてである。Tグループではメンバーたちがそのグループに持ち込んだ文化を各人が学び合った結果を理解し,行動に結びつけはじめることによって新しい文化が生みだされるのだ。
(つづく)平林