基礎編・理論編

課題についてとことん議論した結果 | テクノファ

投稿日:2022年4月7日 更新日:

テクノファは横山先生からご指導いただいたキャリアコンサルタント養成講座を2004年に立ち上げさせていただいて以来、今年まで実に17年もの間先生の思想に基づいたキャリアコンサルタント養成講座を開催し続けさせていただきました。本記事はエトガー・H・シャインの著作「組織文化とリーダーシップ」を横山先生が翻訳されたものです。横山先生はシャインが2006年来日した時の立役者(JCC:日本キャリア・カウンセリング研究会が招待した、彼と娘さんが来日した)で、東京、大阪でシャインが講演をする際にいつも同席し、そればかりか新幹線で京都案内までされて、ごくごく親しく彼の人柄に触れた唯一の日本人でありました。

<ここより翻訳:2010年シャイン著>
オルセンはまた,さまざまなアイデアは人材がそれらのアイデアを十分に支持していない場合に,うまく実施に移せないと信じており,また支持を得るための最善の方法は,人材が課題についてとことん議論した結果彼らが十分アイデアに納得を示す場合だと信じていた。彼は次のストーリーをたびたび語った。「私がある意思決定をしたときのことをよく思い出す。私は道を歩き続けて,ふと後ろを振り返った。そこには誰もついてきていないことに気がついた」と。したがって,いかなる重要な意思決定を行う際にも,オルセンは広範な範囲を含む議論の必要を説き,アイデアをテストする数多くのグループのミーティングを開き,そのアイデアを組織の下部に向けて,また横方向に向けて売り込んでいった。誰もがそれを実施したいと願い,そのアイデアを十分理解したと判断できたときに,はじめてオルセンはそれに「承認」を下した。彼はほかの人たちが十分に納得していないと思えるときには,たとえ重大な意思決定でも,彼自身はすでにアクションのコースをすでに決断していたにもかかわらず,敢えてその決定を遅らせることさえあった。彼は,その場に赴いてすべてのことを自分でリードする羽目に陥りたくない,また部隊がそれにコミットしておらず,ことがうまく行かないときにその意思決定は自分が下したものではないと切り捨てるようなリスクは取りたくない,と語っていた。

オルセンが抱いていた考え方は,各個人には明確で,わかり易い責任が与えられるべきであり,さらにその責任の範囲内で厳格に評価されるべきだ,というものであった。一方グループのほうは,意思決定を下し,コミットメントを高めることは支援できるけれども,いかなる状況下でも遂行責任と結果責任を担うことはできない,とも考えていた。アイデアを知性にもとづいてテストするという考え方は,グループ内のすべての個人に奨励されており,部門組織(ユニット)にも拡大されていた。各ユニットがどの製品,どの市場を目指すべきかも明確に理解できていない場合などにこの方法が用いられた。オルセンは,重複する製品,または市場ユニットを作り,お互いに競わせることもいとわなかった。しかしこのような内部の競争はやがてはコミュニケーションのオープンさを損ない,グループ間で意思決定についての交渉を進めることを難しくする可能性について,オルセンは認識していなかった。

またオルセンは,状況が変化してたとえ最高のレベルで作り上げたプランであっても,その成果が影響を受けることがあることを認識して,彼のマネジャーがプランからの逸脱を発見したら即座に,そのプランそのものを再交渉するように促した。したがって,たとえば年間予算があるレベルで認定されていて,そのプランに責任を担っているマネジャーが6か月経って,予算をオーバーする可能性があることに気づいたとすると,このマネジャーは,当初のプランに戻ってプランを状況に合うように是正するか,ないしはもう一度シニア経営陣のところまで戻ってプランそのものについて再交渉することが期待されていた。この際,何が進行しているかわかっていない,またはシニア経営陣に知らせず,再交渉の努力を怠って状況をそのままに放っておくことは決して許されなかった。

オルセンは,彼らが問題や課題にオープンな態度で取り組み,彼らが何を望んでいるのかを明らかにし,さらに彼らのソリューションに向けて議論し,彼らの約束したコミットメントを評価する際に,オープンなコミュニケーションと,満足できるレベルの意思決定を行い,適切なレベルの妥協を行うという人材の能力には完全な信頼を寄せていた。また彼は,人材は「建設的な意欲」,組織のゴールに対する理性的な忠誠心,さらに共有されたコミットメントを備えていると信じていた。また逆に,情報をかくす,パワーゲームに走る,組織のほかのメンバーに個人的レベルで勝つために競争を仕掛ける,自分の失敗をほかの人に転化する,自分が合意した意思決定を損なったり,さぼったりする,ほかの人たちからの合意を得ずに自分の好きな道を走る,といった行動は認めがたいと判定され 非難された。

個人の創造性と意思決定の質を最大に高めるために組織をどのように運営していくかについてのこの「モデル」は,DECが当初の30年間以上劇的な成長を遂げ,さらに社員にきわめて高いやる気を促していた時期にはきわめて効果的に機能していた。しかし企業がさらに大きくなると,多くの人材はお互いに交渉する時間が持てない,またお互いを個人的レベルでは知り合えていないと感じはじめて,結果としてこのプロセスをフラストレーションを増大させるものにしてしまった。また,さまざまな前提認識の間に存在するパラドックス(矛盾)や一貫性の欠如の一部が表面化してきた。たとえばそれまでは,社員たちが自分たちで思考し,DECのためにベストと信ずることを実行することが奨励されてきた。たとえそれが不服従の行動となってもだ。しかし現実には,社員がすでに下した意思決定に対する彼らのコミットメントを守り,支援するという公式の保障が明らかに崩れはじめていた。つまり個人のコミットメントを守るという原則が,個人が正しいと信じていることのみを実行するというルールによってすりかえられはじめていた。その結果,グループによる意思決定は機能しなくなったのだ。

DECは,その組織プロセスに,いかなる類の規律を植えつけることにも困難を感じはじめていた。たとえばあるマネジャーが組織の向上のために,さらに規律の厳しい専制的な方法が必要であると決断したとすると,彼はオルソンの不興を買うリスクを負うこととなった。つまり部下から自由が奪われ,その結果部下の企業家精神も損なわれかねなかったのだ。オルセン自身はその直属の部下に対して十分な自由を付与していると感じていたので,何故その直属の部下たちが,さらに下の彼らの部下から自由を取り上げることを願うのかをいぶかった。同時にオルソンは,組織の一部のレベルではものごとを遂行するためにも規律は不可欠だと認識していた。しかしここで難しいのは,どの領域で規律が,どの領域で自由が重要であるかを決定することであった。

企業が小規模で,社員の誰もがお互いを知っており,「専門的理解」が高い場合には,つねに再交渉のための時間が確保できる。また基本的なコンセンサスや信頼関係も高いために,もし時間のプレッシャーが人材に自分自身だけのための意思決定を迫り,不服従にならざるを得ない状況に追い込んだとしても,ほかの人たちはことが済んだあとに,その部署で行われた意思決定に合意してくれる場合がほとんどであった。言い換えると,もし組織上部で下された意思決定が機能しなくとも,誰もそのことを気にかけないで済んだのだ。しかしこれも組織がさらに大規模になり,複雑になると事態が一変する。当初はイノベーションに最適の高度な適応性を備えたシステムであったとしても,組織内の大多数のメンバーにとって,無秩序な大混乱をまねき,さらに成熟をとげた消費財市場に適合しないシステムであると認識されはじめたのだ。

DECは知能が高く,自分に自信を持ち,個人主義の人材,つまり自分のアイディアを擁護し,売り込みことが得意な人材を尊重してきた。この企業の採用の方法にもこの理念が反映されていた。すべての応募者は数多くの面接者によって承認されなければならなかった。したがってその最初の10年間では,DECは会社の前提認識にフィットし,ときにはフラストレーションを生むシステムで生き抜くことができる人材のみを採用し,保持する傾向が強かった。この環境を心地よく感じ,また成功を続ける企業を築く興奮を楽しむ人材は,自分自身が家族の一員として迎えられ,さらに感情的にも家族のように遇せられているという感じを益々強めていった。相互支援のための強力な連帯が対人関係のレベルで高まったが,ケン・オルセンは,頭脳明晰で,要求が高く,なおかつ支援的で,カリスマ的父親のイメージを持って象徴的に機能していたのだ。

ケン・オルセンは,いかに環境に対して,また外に向けて関係を築いていくか,また組織の内部でどのようにものごとを整理していくかの両面で,ものごとはどうあるべきかについて,明確な前提認識のセットを備えた起業家の好例であった。自分の理論にオープンさを保つ彼の姿勢,さらにそのことを支援する態度,罰を下す彼の行動が相まって,その理論に共感する人材の採用,さらにその理論を補強し,広める強力な社会化の実践に取り組むことができたのだ。その結果,創設者の抱いた前提認識が,1990年代にかけてどのように組織を運営するかという側面にも反映させることができたのだ。1990年代後半のDECの経営破綻とそれに続くコンパックに対するDECの売却の出来事も,ある状況の組み合わせのなかで機能した前提認識の数々が,別の状況の組み合わせのもとでは機能しなくなることもあり得るという事実をはっきり示している。
(つづく)平林

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