基礎編・理論編

キャリアコンサルタント養成講座 180 | テクノファ

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私(平林)は横山先生と2004年に初めてお目にかかりました。当時テクノファはISOマネジメントシステムの研修機関として、JAB(一般公益法人日本適合性認定機関)の認定を日本で最初に受けた第三者審査員養成講座を開設しておりました。当時、ISOマネジメントシステム規格には心が入っていないと感じていた私は、その時に横山先生にキャリアコンサルタント養成講座立ち上げのご指導をお願いしました。

横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるとキャリアコンサルタント養成講座の中で強調されていました。そして数多くの著書を世の中に送り出しています。
今回はその中からキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「組織文化とリーダーシップ」を紹介します。

本記事はエトガー・H・シャインの著作「組織文化とリーダーシップ」を横山先生が翻訳されたものです。横山先生の思想の系譜をたどるときには、エドガー・シャインにかならず突き当たるので今回から横山先生の翻訳を紹介しながら彼の思想の系譜を探索したいと思います。

<ここより翻訳:2010年シャイン著>
例5:チバ・ガイキー ― 文化は変わったか?
このケースでは,1970年代にチバ・ガイギー社(Ciba-Geigy)が発生させた,きわめて数多くの問題を解決するためにデザインされた,何年にもわたる大規模な転換を検討する。その当時は文化変革の本格的な例と認識されていた。このストーリーは,前の各章で検討されたさまざまなメカニズムを例証しているけれども,同時にチバ・ガイギーには本当の文化変革が引き起こされたのか否かについての根本的な疑問も残されていた。

チバ・ガイギーのパラダイムについてのこれまでの説明で私は,深いところで共有された前提認識がお互いにどのように関連づけられるのか,またその前提認識のパターンがどのようにこの企業の日常の行動のほとんどを説明できるのかを示すことに努めてきた。この章の分析で私は,変革プロセスがいかにチバ・ガイギーの文化の側面の一部をあばきだしたのか,さらにいかに文化が変化し,あるいは変化しなかったのか(組織自体は変化したのにもかかわらず)を示したい。このケースを展開するプロセスで,私が文化の研究に臨床的アプローチを適用するという表現によって私が何を意味しているかについても,よりあきらかに説明する。ここで私は,文化プロセスがいかに展開し,いかにコンサルタントがそれに関わるのかについて,具体的な出来事を通じて説明するために,チバ・ガイギーから集めたデータとその他のケースから得た比較のための観察データを提示する。

最初のコンタクトと第1回目の年次総会
チバ・ガイギーに対する私の参画は1979年にはじまったが,その世界全体の年次総会におけるトップ経営層グループに対する「教育プログラム」の提供が最初のきっかけとなった。チバ・ガイギーの経営者開発部門マネジャーのロイポルト博士が,キャリア開発とキャリア・アンカーについての1978年のオープンセミナーで私のレクチャーを聞いていた(Schein,1978,1993b)。彼はその上司のサム・コクリンに,キャリア・ダイナミックスに関する私の提案はチバ・ガイギーのシニア経営陣と共有する価値があると提案していた(コクリンは,全社の業績に結果責任を負う経営委員会の会長であった)。

年次総会におけるコクリンのゴールは,企業の問題への取り組みとグループに対する刺激を与えるインプットを結びつけることであった。メインのテーマはリーダーシップとクリエイティビィティーであった。彼は企業が経済的,政治的,技術的に乱気流の環境に突入しており,そこでは新しい種類の戦略が必要とされていると観察していた。コクリンはこの企業のスイスの創業家の子孫のひとりであった。しかしそのキャリアでは米国支社における10年の経験を有し,そこで彼は本国では欠けているクリエイティビィティーのレベルをより力動的な米国の環境が刺激し,実現している様を評価するようになっていた。

彼自身の教育バックグラウンドは科学ではなく法律であった。ということは彼は周辺人型リーダー(marginal leader)の典型であったのだ。つまり自分の文化に自然に溶け込みながら,なおかつかなり客観的にその文化を認識できるリーダーであった。彼が年次総会に外部のスピーカーを招く行動は,彼のトップ経営者の認識を広げようとする意図的な試みでもあった。私の2日間にわたるレクチャーでは,個人のキャリア開発の視点のなかでリーダーシップとクリエイティビィティーにフォーカスするものであった。

クリエイティビィティーのトピックとグループに対するレクチャーの方法はともにチバ・ガイギーの前提認識と完全に合致するものであった。つまり(1)クリエイティビィティーは科学の分野で重要だ,(2)知識は科学のプロセスを通じて修得される,(3)知識は専門家によって講義形式でコミュニケートされる,という前提認識であった。この正反対の例としてデジタル・イクイップメント社(DEC)における実践重視環境においては,まずシニア経営者の時間を丸2日にわたり外部の講演者を招いたセミナーに費やすということは全く考えられないことであった。またクリエイティビィティーというテーマもDECのシニア経営陣の興味を引くテーマとはなり得ず,あまりに抽象的だと判断されたはずであった。

チバ・ガイギーではすべてが詳細レベルまでプランされていた。コクリンとロイポルトが全体的なトピックについて合意に達すると,そのあと私自身がコクリンと会って,私の全体的なアプローチとスタイルがコクリンの望んでいるものと合致しているか否かがたしかめられた。私はバーゼル郊外の彼の自宅に1日半招かれ,彼の妻にも紹介された。コクリンと私は気が合い,スイスのメルリングンで開かれる1979年の年次総会で私がいつかのセッションを担当することが合意された。

何週間かあとにクンツ氏が私のMITのオフィスを訪れ,詳細について打ち合わせた。クンツは3日間の詳細な予定を準備することに責任を持つセミナーの統轄スタッフであった。さらにこのグループに,私がいかに対応すべきかについて教える重要な役割も担っていた。彼はかつてラインマネジャーであったあと経営トレーニング部門に移っていた。この過去の経験からシニアラインマネジャーたちの抱く期待を十分に理解していた。クンツは,セミナーに先立つ数か月前から,長い時間MITにおいて私と会い,セミナーで使う資料,参加者を参画させる演習,スケジュール等の準備に取り組んだ。

このプロセスで私は,チバ・ガイギーのマネジャーが,彼らが責任を担う活動の詳細について,いかに注意深く計画するのかを直接的に観察することができた。私は担当する2日間にどのようなことが起こるのかについて正に分刻みの活動を示す,計画書を文書の形で提出しなければならなかった。またチバ・ガイギーはミーティングをできる限り完璧なものにデザインするために必要とされる時間とエネルギーを惜しみなく費やしてくれた。このプロセスではチバ・ガイギーの構造に対する高いレベルのコミットメントがあきらかになっただけでなく,今思い返すと,経営の責任分野に関する前提認識がいかに基本的なものであるかということもあきらかになった。つまりクンツは,階層的には彼は参加者たちより2段階下にいたにもかかわらず,このミーティングの実施に対して明確な責任を担っていたのだ。彼はコクリンとさらに経営委員会の数人のメンバーを含むレビューコミティーを形成していた。ここではセミナーのプランをレビューし,彼らの参画を促すことを目的としていた。しかしこのコミティーは,クンツに対して,セミナーのフォーマットの最終決定に関してはきわめて大きな自由裁量を認めていた。ここにも私が遭遇したチバ・ガイギーの文化が色濃く反映されていたけれども,この時点では私はまだこの事実をしっかり読み取ることはできていなかった。

チバ・ガイギーの年次総会の出席者は,外部取締役会の会長(コクリンの上司),ビジターとして出席する数人の取締役会メンバー,9人の経営委員会メンバー,機能組織と事業部門のすべてのシニアマネジャー,さらに重要な各国支社マネジャー,総勢45人であった。このグループは年に一度,カバーすべき具体的な課題によって4日間か5日間か集まっていた。

その時点では理解できていなかったけれども,このミーティングは,総合的なコミュニケーション機能としての重要な役割を担っていた。言い換えると日常のオペレーションでは文化的に起こり得ないこと,つまり高いレベルのオープンさで,部門の枠を越えた横断的コミュニケーションをこのミーティング中に実現させる役割を担っていたのだ。しかし同時にこの会議には階層組織重視の傾向も反映されていた。すなわち部門の枠を越えたアイデアの共有も経営委員会と取締役会メンバーの監督という条件のもとでオープンに行われたのだ。

さらにそこにはほかの人たちとは区分するという強い傾向が存在し,ある情報が具体的に求められたときにはじめてアイデアの共有が実現したのだ。またこの年次総会はシニア経営陣に対して,重要なメッセージを組織全体に迅速に伝達する機会も提供していた。さらにあとで判明するように,もしそれが必要とされれば組織全体をクライシスのマネジメントに巻き込む機会ともなっていたのだ。

総会は自然豊かなスイスの山間のリゾートで開催された。また以前に紹介したように参加者がなごみやすいよう,具体的なレクリエーションの行事も含まれていた。私のレクチャーは第2日と第3日目に組まれており,私は1日の活動として,出席者各人が自分の「キャリア・アンカー」を理解することをたすけるために,各人のキャリアの歴史についてお互いに面接を行う演習を織り込んでいた。私はクリエイティビィティーとイノベーション,とくに「役割のイノベーション」の脈絡のなかで取り上げることとした。つまり科学におけるクリエイティビィティーが唯一のものではなく,どのような役割を担っているマネジャーもそのアプローチにおいてさらにイノベーティブ(革新的)になれるということをあきらかにしたかったからである。自分のキャリア・アンカーを理解するためには,2人組の人たちがお互いに面接し合って,それぞれの教育とキャリアの歴史をあきらかにすることが求められた(Schein,2006)。私はまず出席者に,お互いが気持ちよく感じられる形で2人組を作るように依頼した。ここでは私のほうで公式的なペアを前もって設定することは避けた。何故ならお互いの情報を共有することに気まずさを感じ合う人たちをペアとして組ませることを避けたかったからだ。取締役会の会長も熱心にこの演習に参加してくれたので,このミーティングになごやかな雰囲気をもたらしてくれた。私がレクチャーをしていないときには,より多くの人たちを知るために,またプラニングのミーティングにも出席するように参加が促された。

第3日目に私は遊びのための活動は石弓(crossbow)シューティングであることを聞かされた。午後一番に全員がバスに乗り込み,石弓シューティングをレクリエーションとして楽しめる場所に25マイル(約40キロ)ドライブした。目的地に着くと各人は順番に,この珍しい,変わった石弓を使って的を射ることをまず練習した。この活動はすべての人たちを無能レベルに落とし込んだために,階層レベルの差を越えて各人を冷やかし合う機会を全員にもたらした。このゲームのあと全員は再びバスに乗って近くにある城に到着し,そこではワインとビールが心おきなく楽しめる,大規模でくだけた雰囲気のディナーが待っており,1日の総仕上げとなった。このディナーで会長がきわめて打ち解けた雰囲気のなかでスピーチをし,そこで自らのキャリア・アンカーにも触れた。その結果前日の私からのインプットの妥当性を支援し,さらにこのグループがいかに熱心に専門家に耳を傾け,かつ学者からのインプットを活用することに取り組んでいるかを再び示してくれたのだ。
(つづく)平林

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