私(平林)は横山先生と2004年に初めてお目にかかりました。当時テクノファはISOマネジメントシステムの研修機関として、JAB(一般公益法人日本適合性認定機関)の認定を日本で最初に受けた第三者審査員養成講座を開設しておりました。当時、ISOマネジメントシステム規格には心が入っていないと感じていた私は、その時に横山先生にキャリアコンサルタント養成講座立ち上げのご指導をお願いしました。
横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるとキャリアコンサルタント養成講座の中で強調されていました。そして数多くの著書を世の中に送り出しています。
今回はその中からキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「組織文化とリーダーシップ」を紹介します。
本記事はエトガー・H・シャインの著作「組織文化とリーダーシップ」を横山先生が翻訳されたものです。横山先生の思想の系譜をたどるときには、エドガー・シャインにかならず突き当たるので今回から横山先生の翻訳を紹介しながら彼の思想の系譜を探索したいと思います。
<ここより翻訳:2010年シャイン著>
本章の要約と結論
私自身が観察し,見聞したことにもとづくと,チバ・ガイギーは文化に伴う数多くの側面を含む重要な組織の危機を成功のうちに乗り切ったと言える。
・利益の上がらない方向に向かっていた財務的なトレンドは完全に反転した。
・これまで業績の上がらなかったふたつの事業部は,急速に製品,施設,要員を削減することによってリストラクチャリングを進めた。また部門の製造とマーケティングの活動を市場や経済的な状況に合わせるように改革した。このうち,ひとつの事業部はルーザー(落伍者)と考えられていたけれども,ダイナミックなマネジャーのもとで効果的なリストラクチャリングを完遂し,その結果企業の最高の事業部のひとつとしてよみがえった。この事業部の当該マネジャーはそのあと経営委員会の会長に昇格した。
・本社の機能組織は30~40%の人員削減を実現し,より大規模な責任が各国,地域に権限移譲された。
・利益を上げていた事業部も自部門を徹底的に再評価し,とくに製薬事業部においては自らの産業分野でさらに競争力を高めるためのプログラムをスタートさせた。
・経営委員会のメンバーたちも自らの結果責任を見直した。その結果各地域,各国,各機能組織はそれぞれひとりの上司にリポートすることとなった。さらにそれぞれのメンバーのフォーカスもより戦略的側面に当てられるようになった。以前のシステムではそれぞれの組織ユニットが経営委員会のすべてに結果責任を負う形となっており,必然的にバーゼルの本社スタッフによってマイクロマネジ(細かいところまで管理)される結果を招いていた。
・重要な経営陣の交代が行われ,効果的に後継者が選ばれた。経営委員会の新しい会長と副会長はシニア経営陣からすぐれた選択だと認められ,最近さらにより上位のポジションに昇進した。
・この3年間の変革において,あまり効果的でないと考えられていたマネジャーたちは淘汰され,よりダイナミックで,効果的と評価されるマネジャーたちによって主要なポジションが占められることとなった。
・シニアマネジャーたちは,彼らの文化がビジネスを支援することを阻害することもあり得るという考え方を理解した。
・雇用の安定および「終身雇用」に対する重要な前提認識は再評価され,破棄された。しかしこの過程でもうひとつの重要な前提認識,つまり人材を個人ごとに,人間的なべースで処遇するという前提認識はしっかり再確認された。
・経営者キャリア開発は,地域間,地域と本社間のローテーションのニーズを満たす形で再定義された。
・消費財を扱う企業の買収はチバ・ガイギーの本流のビジネスにフィットせず,売却の意思決定がなされた。同時に企業買収に関するポリシーが見直され,チバ・ガイギーが安心と感ずることができる技術を基本にしている企業のみを追求することが決定された。
・製薬と農業化学の事業部においては,マーケティングをさらに重視する必要が確認され,これらのニーズに応えられる,より多くのマネジャーを本社の主要なポジションに昇進させる動きが高まった。
チバ・ガイギーのほとんどのマネジャーは,彼らがかなりの大変革,つまり彼らの世界と企業ビジネスに対する前提認識の数多くを変えたような大変革を経験したと述べている。表面的には大規模な文化の変革の明確なケースのようにも映る。しかしその内容をさらに吟味すると,この企業の文化のパラダイムはほとんど変化していないのだ。科学の権威に対する,以前と同様なバイアス(偏重)がいまなお存続している。階層組織はなお強力に機能している(たしかに役割は再定義されたけれども)。またマネジャーは自分自身で学ぶことを保障されたとき,最高の職務遂行が進められるという前提認識はなお強力に機能している。横断的なコミュニケーションはいまでも不適切なものと考えられている。たとえば,年次総会を除いては,事業部門のヘッドがさまざまな人たちと会う,定期的なミーティングを持つことはまだ実現していない。さらに各国,各事業部の枠を越えた機能組織別のミーティングも開かれていない。
さまざまなプロジェクト,たとえばトライアル(試行)ベースでMBA修了者を採用する,あるいは世界規模の機能組織ごとのミーティング(たとえばすべての事業部と主要な国々から経営開発専門職を集める)を開く,といった提案はなされているけれども,これらは許容はされてはいても決して歓迎されるところまでは至っていない。私の訪問の際にウェルズが,チバ・ガイギーのさまざまな部門に採用されていた5人のMBA修了者と,私が会えるような機会を設定してくれた。彼らがどのようにさまざまな状況に対応しているかを知るためであった。われわれは生産的で,建設的なミーティングを持つことができた。しかしこの1週間あとに,ウェルズはこれらのMBAの上司の何人かから,このようなミーティングを開いたことについて厳しい批判を浴びせられた。つまりウエルズは,これらのマネジャーの芝生に踏み込んだと判断されたからだ。結局これらのマネジャーは,この種の部門の枠を越えたグループのミーティングに許可を与えることはあり得ない,ということが判明したのだ。
方向転換プロジェクトがはじまった当初は,われわれ全員が文化変革について話し合っていた。つまり文化変革と名付けることが,当時これから起こってくることのドラマ性をさらに盛り上げることに役立ったからだ。最終的には不正確であることが確認されたけれども,文化改革と呼ぶことによって,何らかのモティベーションを高める価値が生まれるのではないかと期待されたのだ。同時に,このプロジェクトは人材を文化にフォーカスする方向に導いたので,彼らは文化の制約的側面と,支援的側面の両面を理解することが可能になった。しかしここで銘記すべき重要なポイントは,基本的な文化パラダイム変革を伴わなくとも,組織の運営において顕著な変化は起こり得るというポイントだ。事実チバ・ガイギーでは,その前提認識の一部は変革できなかったけれども,より深いところの前提認識伴う強力なアクションは変化したのだ。したがって,文化のある部分が,その文化のほかの部分に数多くの変化が起こることを促したとも言える。より具体的に言うと,本社組織のダウンサイジングは,明らかに文化の前提認識のひとつを打ち壊すものであった(つまり雇用保障,終身雇用の前提認識)。しかし「わが社は人材を大事にする」というより深いところに存在する前提認識を発動させなければ,ダウンサイズは決して実行できなかったことは間違いない。
この理解はさらに深い理解を促した。ミッション,ゴール,手段,測定システムズ,役割,関係等に関わる数多くの前提認識は,文化のパラダイムの総合的構造のなかでは表層的なレベルに留まる可能性もあるけれども,なお日常的なレベルでは組織の機能発揮にとってきわめて重要であるという理解だ。たとえば,本社の機能組織がすべてのものごとの進行状況を追跡するために,世界全体をカバーする責任を負っているという前提認識はチバ・ガイギーの全体文化のなかでそれほど深いレベルの前提認識とは言えなかったけれども,各国支社のビジネスの業績とマネジメントのやる気に対しては重要なインパクトを及ぼしていた。このやや表層的な前提認識とその結果生じてくるプラクティス(実践の方法)の一部を変えることは,チバ・ガイギーの効果的な適応に重大な影響を及ぼしたのだ。
さらにより深いところで抱かれている前提認識が,必ずしも機能的であるとは限らないことを銘記すべきだ。たしかに,科学に対するコミットメントは科学者に対するコミットメントという形で明確に保たれていた。とくにチバ・ガイギーが成功することに貢献してきた古くからの人材には,この前提認識はとくに重要であった。しかしひとつの極端なケースでは,このような古くからの人材が国別の支社長を務めており,その役割でお粗末な業績しか上げられなかったケースも存在した。このときさらにすぐれたゼネラルマネジャーがその支社のトップに就任するための準備が出来ていたにもかかわらず,彼に権限を完全に委譲する意思決定はあと2年間延期された。その科学出身の前任者の定年退職まで待たされたのだ。この前任者を早期退職に追い込むことは,彼にとって壊滅的な影響を及ぼすものであったと同時に,組織のほかの人たちに対しても望ましくない信号を送ることになることが心配されたのだ。
では,この方向転換プロジェクトにおいて一体何が何故起こってきたのか?
企業の数多くの人たちが,この変革努力の成功の理由を理解するために上記の質問を投げた。私自身の観察から言えば,経営委員会が次のことを成し遂げたのでこの努力が成功に終った,と見ている。すなわち,(1)変革が必要であるという明確なメッセージを送り続けた,(2)変革プロセスに自らを完璧に投入した,(3)本社スタッフや機能組織のパワーを減少させるという不可能と思われるような解決に取り組んだ,(4)その結果,各国支社グループのラインに沿って日々の参画と所有意識を高めただけに留まらず,オペレーション上の問題の解決は益々組織の下部に委譲されることがあきらかになった。たしかに横断的なコミュニケーションはいまなお最小のレベルに留まっているけれども,縦系列のチャネルのほうはよりオープンに開放されている。財務情報は以前と較べて格段上のレベルで共有され,プロジェクトの構造を通じて上がってくる提案には耳が傾けられ,承認を受けたプロポーザルは,明確なトップ・ダウンのシグナルの発信の結果,既存の階層組織を通じてより効果的に実行されるようになっている。
方向転換プロジェクトの設計は,コンサルタントと挑戦者(チャレンジャー)マネジャーを含む,プロジェクトグループを生みだした外部化したステアリングコミティーによって実行された。このコミティーはさらに明確なゴール,タイムテーブル,問題に取り組むための時間の創造等に取り組んだ。これらの仕事にはチバ・ガイギ一文化に定着しているスキルが活かされた。彼らはグループプロジェクトを設計し,グループ内で仕事をする方法をよく理解していた。この点では,チバ・ガイギーは,構造化が進んでいない組織,またはグループプロセスに伴う課題に鈍感な組織ではとても達成が不可能であったスピードで自社の方向転換を成し遂げた。ここにはその文化上の強味が存分に活かされたと言えるだろう。
この変革努力の推進フォース,さらに数多くの重要な洞察の源泉は間違いなくコクリンであった。彼は前にも指摘したように,自らの文化の外側に身を置き,客観的にその文化をアセスすることができるリーダーであった。さらに自らのサブカルチャーから飛びだし,新しい方法を学ぶことに努力したCFOとその他の事業部マネジャーたちも重要な役割を果たした。しかし最終的には,文化はそのマイナーな前提認識をリストラクチャーすることを通じてその周辺部分を変更したに留まったのだ。しかしこの周辺部分の改善こそ,コアのビジネスプロセスを再設計し,その結果大規模な組織の問題を解決するためには十分であることが多いのだ。
このケースの後日談としてチバ・ガイギーはサンド社(Sandoz)と合併してノバルティス社(Novartis)になった。大規模な多国籍企業のノバルティスは製薬により特化している。私はノバルティスのCEOにこの合併について尋ねる機会を持った。そこでは,この両社は私が関わっていた時にはお互いに競争相手であり,「敵同士」であったけれども,合併は非常にスムーズに進んだと聞かされた。もしこの合併がスムーズに進んだとすれば,その理由として,これらのふたつの企業が強力な共通的側面,つまりベーゼル文化と製薬業界の産業文化を備えていたことが指摘できるだろう。
(つづく)平林