テクノファは、あなた自身が輝いて働く(生きる)ためのトレーニング・講座をご提供しています。何よりも、自分の人生を自分で計画し切り開いていく、そのための自分自身が、何になりたいのか? そもそも自分は何者なのか? どうやったらなりたいものになれるのか。一つ一つを明確にすることで、地面が揺らいだときにも、急に会社の方針が変わったとしても、しっかりと地面をつかむことができ、自分の働き方をつかむことができるのです。常に成長し変化している人の成長を支援することがキャリア開発支援です。
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このコーナーは、活躍している「キャリアコンサルタント」からの近況や情報などを発信いたします。今回はキャリアコンサルタントのS.Sさんからです。
「自分が何をやりたいか分からない人たち」
「将来の夢は?」と子どもたちに尋ねると”職業名”を答える。「へえ・・では、なぜその職業に就きたいの?それになって何をするの?」と尋ねると、「え・・? 分かんない・・」といった具合に、返答に困ってしまう子ばかりだ。
小学校の低学年ならまだしも、高学年や中学生に至ってもこの手の問いかけにほとんどの子が答えられないのである。
そもそも憧れの職種に就くことは、自己実現のための手段のひとつでしかないわけだが、その手段を目標として据えてしまっていること自体が問題であり、厚生労働省が危惧しているように依然として定着率の悪さが改善に向かわないことの元凶でもある。
この件についてはこれまでにも幾度かこのコラムでも取り上げてきたが、この状況は初等教育の段階におけるキャリア教育が実質的に誤っていることを物語っていると言えよう。
ところで、中にはその夢(職種に就くこと)にさえ、すでに「実際に可能か不可能か」を持ちこんでいて、思っているままに開示すれば周囲から嘲笑の的にされるであろうとばかりに沈黙する子までいる。
「夢」や「目標」とは実現が可能なことのみを指す言葉なのだろうか?もし、叶わなかったとしたら恥ずかしいことなのだろうか? いちど口に出したかぎりは公約や宣言でもしたかのように必ず果たさなければならないのだろうか?
なにを大袈裟な・・と思われるかもしれないが、これが現代の子どもたちの実態であり、評価に晒されることに疲弊しきっている子どもらの姿なのである。
うまくできたときだけ褒められ、良い点数を取れたときだけご褒美をもらい、親や教師の言いつけを守り、期待に応えられた場合にのみ「良い子だね。よく頑張ったね。」と言ってもらえる。それに届くまでの努力や頑張りなどの過程については全く観てもらえず、結果を出すことだけが求められる条件つきの承認・・
これではそうなってしまうのも当然と言えよう。
元来、「存在」と「行動」とは別のものである。「私という存在」が、親や周囲の仲間たちから大切にされ承認されていることは自分を発揮できるための基本的な要素である。排除されやしまいか・・または嫌われてはいまいか・・そんな気持ちでいては集団の中に居ることさえできないだろう。
その大前提が保証されてこそ、人は躊躇することなく行動を起こせるのであり、自由に語れるのだ。
しかし、行動に対する評価によって存在までもが脅かされる・・つまり「そんなことをする人は、この家の子ではありません」とか、「好ましい結果が出せなければ、此処にはいられない」となれば、自由な行動も発言も控え目となり、何となく抑制気味になってしまうのは当たり前である。
さて、このことはけっして子ども向けの教育や家庭における育成だけに限ったことではなく、年齢に関係なく誰にでも当てはまることである。結果に至るまでの経過プロセスを観てもらえず、上から主観的な評価を下されるような環境下で人は育たない。これは企業にも言えることである。会議の場などでも、周囲や上からの評価を気にしながらでは自由にものが言えず、出来なかったことや出来そうもないことに対する言い訳な弁明に終始するような発言ばかりが目立つようになってしまうだろう。
先述したように、今の子どもたちは評価を怖れるあまり、先に頭の中でシュミレーションしながら可能か不可能かを事前に判断し、うまくやれそうにないことは最初から「無理」と言って行動しない。もちろん、初めてのことで予想することが難しい問題などに対しては、チャレンジすることさえしない。うまく行かなければ「リセット(社会人であれば職を替えること)」である。これが、なにをやっても長続きしないという定着率の悪さを生み出している背景である。
何かイヤなことが起こった時にリセットして全てを無かったことにしようとするのは最近の若者たちの常套手段である。
企業としては、今後の人材育成においては、こういった現状と若い世代の傾向を踏まえた上で検討する必要があるだろう。
世代間においてライフワークバランスについての認識のズレについては今さら言うまでもないが、指示や伝達、報告においてもこれまでとは違っているのである。送られてきたメールに表題がなかったなどということも多いようだが、彼らにとって日常のコミュニケーションツールである「LINE」には表題がないことを考えれば納得して戴けるだろう。
なんでもかんでも要求に応えることではないにせよ、「自分の心に聴く」ということの意味が分からず、感覚的にも麻痺してしまっている若者たちを如何に理解し、不足している部分を補う必要が出てきた。本来であれば親の役割であったことが、いまや学校や企業が補わざるを得ない状況となってきたのかもしれない。
そのような現状に対して大いに違和感を持ったとしても、現実を知り、それを受け入れる勇気もまた必要なことなのだろう。
(つづく)K.I