テクノファは、あなた自身が輝いて働く(生きる)ためのトレーニング・講座をご提供しています。何よりも、自分の人生を自分で計画し切り開いていく、そのための自分自身が、何になりたいのか? そもそも自分は何者なのか? どうやったらなりたいものになれるのか。一つ一つを明確にすることで、地面が揺らいだときにも、急に会社の方針が変わったとしても、しっかりと地面をつかむことができ、自分の働き方をつかむことができるのです。常に成長し変化している人の成長を支援することがキャリア開発支援です。
キャリアのカウンセリング・コンサルティング・ガイダンスや、キャリア教育、人材育成など、人の成長にかかわっている方々や、部下を持っている上司、組織の一員として働いている方々や、家族(親、子供、夫婦など)の役割を担っている方々全てにこのメールマガジンをお届けします。
このコーナーは、活躍している「キャリアコンサルタント」からの近況や情報などを発信いたします。今回はキャリアコンサルタントのS.Sさんからです。
「流行る」という現象について少しばかり考えてみたい。
集団主義としての色とい合いが濃いわれる日本において、多くの者が「知らなかったのは自分だけ?」といった状況に陥ることに不安を持っているようである。それゆえ、いま何が流行っているのかに敏感であり、それについて知らないのが恥ずかしいことでもあるかのように情報の収集に熱心である。
以前にも「K・Y (空気が読めないヤツ)」という言葉が当たり前のように使われた時期があったが、とかく我々は「自分がどうしたいか?(気持ち)」よりも、「どう振る舞えばよいか?(考え)」を優先する傾向がある。「知らなかったのは自分だけ?」という状況は、けっしてあってはならない恐ろしいことであり、仲間内から排除されかねない危険があると思い込んでいるように感じられる。
逆に言えば、流行に鈍感な人は「周囲から浮いている変な人」と思われるのだという。そうならないように、表面的な部分だけでも得ようとするものだし、それに呼応するかのように情報紙やテレビ番組でも特集を組み、エッセンスだけでも手に入れようとする人々が群がる。それは「僕も私も・・云々」といった具合である。
こういった傾向は、特に若い世代に顕著だ。流行りというのは、言わば「多くの人たちに支持され、承認を得ている状況」とも言えるが、だからといって先述したような背景から捉えれば、必ずしも認められているものとは言い難い。さて、マインドフルネスである。書店に行って専門書を探さずともコンビニに置かれる雑誌にさえ大きな見出しを見つけることができる有り様だ。間違いなく「流行って」いる。マインドフルネスは、心身医学における応用例として心療内科の医師たち(投薬をしたがる精神科医ではなく!)からも注目を集め、
今やリラクゼーションと並ぶ療法のひとつとなっているし、常に決断を求められる経営者や組織構築などにおいても活用できることから、ビジネス界でも注目を集めている。
だが、ひと頃のコーチングがそうであったように変に大安売りにされてしまうと、玉石混交的にこっそりと擬物が混じるものである。中には、ろくに学びもせずに「誰にでも解る図解マインドフルネス」といった書をかじっただけで研修の講師を引き受けたりする族もいると聞く。マインドフルネスとは、言うならば上座部仏教に語り継がれてきた「瞑想法」であり、「修行法」であり、「洞察」のための手法であり、結果としては自我や思考による囚われから脱し、「本来の私」を発見する(取り戻す)ところに価値がある。
感覚的に開いていく体験過程によって鳥瞰的な視点を獲得し、客観性と並行して内と外から自己理解の深化を促すのである。もちろん、そこで能力開発や啓発といった副産物も得られると思われるが、昨今「メソッド」とか「スキル」などと呼ばれて安売りされてしまっている状況を見るにつけ、なにかこう虚しい気持ちになってしまうのだ。これは、キャリア形成という言葉が、経済的不満(収入)や自己顕示(名誉)などの欲求を満たすためのものだと誤解されている状況と似ていなくもない。(未だに「キャリアアップ」などという勘違いな言葉が横行している。)
どうにも本質的かつ肝心な部分が大事にされておらず、妙な言い方だが最初から形骸化しているといった感じである。残念なことだが、そもそも流行りとはどこかの誰かが収益を狙って仕掛ける産業構造的な形態のひとつなのである。流行りがあれば、廃りもまたあるだろう。その際に、もろとも失われてしまうとすれば、あまりにも悲惨である。本物を見極めることは難しいかもしれないが、少なくとも簡易に手に入れようと思う心が、結果としてイミテーションを掴まされる罠であることは知っておくべきであろう。
本物と偽物・・いったい何を以て?と問われそうだが、これは人生すべてのことに当てはまる。つまり、これらの違いを知ろうとする観点。または、さらに良いものを求めようとする姿勢にこそ価値があるのではないだろうか。
(つづく)K.I