本記事はサニー・S・ハンセンの著作「Integrative Life Planning」を横山先生と他の先生方が翻訳されたものです。横山先生の翻訳を紹介しながら、彼の思想の系譜を探索したいと思います。
<ここから翻訳>
□暴力を減らす
暴力の究極の形態は戦争である。そして戦争のアンチテーゼは平和である。暴力は、先進国、発展途上国を問わず、文化を超えて最も重要な問題であり、北京での国連世界女性会議の主要議題であった。1990年代の国境線を巡る民族紛争と、そこでの非人道的行為の増加によって、われわれが共通して持っている良心が侵害された。女性に対する暴力(そして同様に男性に対する暴力も)は、文化を問わず存在しているが、それが他の文化よりも顕著に見られる文化がいくつかある。たとえば、中国における幼児殺害、インドの花嫁持参金殺人、中央アフリカの特定の国々における性器切除など、弁解の余地のない伝続がいまも存在する。合衆国で家庭内暴力が公の問題となった後、いくつかの諸国がこの国にならって、虐待を受けた女性のためのシェルターを作り、家庭内暴力に関する法律を制定した。1993年に開催された、Anita Hillが Clarence Thomasに対して起こしたセクシャル・ハラスメント訴訟に関する上院公聴会は、セクシャル・ハラスメントに対する全米の意識を目覚めさせた。そして1995年の0.J.シンプソン事件は、再び社会の関心を、虐待と家庭内暴力(そしてそれが、いかにしばしば矮小化されているか)に集中させた。
ことばによる暴力に始まり、性的虐待、性的暴行、レイプ、殺人に至るあらゆる種類の暴力が、程度の差こそあれ、世界中で見逃されている。国連女性差別撤廃条約(CEDAW)は、女性に対するあらゆる種類の暴力を非難する(United Nations,1983)。特に南アジアとアフリカ諸国では、その条約が法律制度の下で検証されたが、まだその結果は出ていない。条約の履行を監視するために、ミネソタ大学のHubert Humphrey研究所に、国際女性の権利監視協会が設立された。クリントン政権の支援の下、合衆国はその条約を批准する可能性について考慮し始めたが、連邦議会で反国連派が多数を占め、議会の右傾化が進むなかで、その批准の見通しはかすんだ。しかし女性のためのカウンセラーたちは、さまざまな形態の暴力が、女性を身体的に、また情緒的に傷つけ、女性のキャリア・ディベロプメントを妨げていることを知っている。
合衆国では、銃砲が入手しやすくなるにつれて、子どもに対する暴力がますます日常的に起こるようになってきた。子ども―特に黒人の若年男―子が、学校や路上で殺害されることがあまりにも頻繁な現象になった。職場(郵便局、ファーストフード・レストラン、妊娠中絶医院、オフィス)や教育機関(短期留学生が5人の学生を射殺したフロリダ大学での事件など)で、高速道路や地下鉄で、無差別暴力が起こっている。1995年4月19日のオクラホマ・シティ連邦政府ビル爆破事件は、無実の子どもと大人を犠牲にしたが、それは合衆国への1つの警鐘であった。というのは、それを通してわれわれが、テロが外国人だけでなく暴力的なアメリカ人によっても起こされることを認識したからである。信じられない思いの想起に加え、このような出来事は、暴力がわれわれの職場でも起こり得るということを自覚させる。
ここまで、私はアフリカやボスニア―ヘルツェゴヴイナでの子どもに対する暴力には触れなかった。私は、性的虐待の犠牲となった子どもたち、ゲイやレズビアンに対する暴力などについては述べなかった。男性はまた、戦争やギャング同士の抗争事件の犠牲者である。ここまでで、キャリア・カウンセラーや他の援助者が、なぜ、あらゆる種類の暴力に気づき、その犠牲者を手当できるようになっていなければならないかは明らかなはずである。そのような犠牲者は保護プログラムの最前列に位置付けられる必要がある。肯定的なライフ・プランニングのなかで人々を支援するキャリア・カウンセラーは、暴力という選択を減らす支援ができるシステムの不可欠な要素である。確かに、この領域で多くの仕事がグローバルに、そしてローカルになされる必要がある。
(つづく)平林