横山哲夫先生が翻訳したキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「キャリア開発と統合的ライフ・プラニング」を紹介します。本記事はサニー・S・ハンセンの著作「Integrative Life Planning」を横山先生と他の先生方が翻訳されたものです。
□人生の役割
統合的ライフ・プランニングの大きな枠組みのなかには、われわれの人生役割(the roles)と文脈(contexts)についての検証も含まれている。人生役割は4つのLによって構成されている。愛(Love;家族と育児)、労働(Labor;仕事)、学習(Learning;公式および非公式な教育)、余暇(Leisure;仕事から離れて従事する活動)である。
人生役割の概念は、第2章で説明したように、その多くをドナルド・スーパー(1980)の理論から引用している。すでに述べたように、愛と仕事が人生の2つの主要な領域と考えられているが、特に、成人教育と生涯学習がより一般的なものになるにつれて、学習がますます重要になってきている。とはいえ、経済的安定やある程度の生活を保証する賃労働が確保されてはじめて、他の役割が十分に満たされるようになるということは、多くの人が認めている。
学習は―学習する組織、学習する社会、継続学習、その他に見られるように われわれの組織においても重要な概念になってきており、本書を通してたびたび言及されるので、この節ではこれ以上深く検討しない。
★仕事役割
スーパーとはまったく違った方法で仕事役割を概念化している人々もいる。 Fox(1994)は、仕事をコミュニティと関連付け、仕事を自己自身に関係する内面的仕事と、社会に関係する外面的仕事に区分し、後者は彼の言う、宇宙の「偉大な仕事(“Great Work”)」に通じるとする。彼は仕事の再発明を提唱したが、そこには、人々が自分自身を重要であると感じることができるような形で仕事の構造を再組織化するために、女性と男性の両方が積極的に深く関与していくべきであるという主張も含まれている。彼はまた、仕事は、より大きな人生の意味、あるいは目的に基礎づけられ、つまり、単に職務をこなすだけでなく、自己の独自の才能を社会およびコミュニティに還元することによって、よりスピリチュアルなものになるべきであると提唱した。彼はまた、他の理論家と同様に、環境を保護するための新しい種類の仕事を創造する必要があると提唱している。
いま消滅の途上にあるかもしれない職務(job)と、もし今までとは異なった形で定義されるならばこれからもずっと潤沢にあるような仕事(work)とを区別することが重要である。そして仕事の再定義のなかには、家族やコミュニティにおける無給の仕事も含まれるべきである。Foxは次のように述べている。「仕事は人の内面から生じ、外側へ向かう。仕事は自己の魂、自己の内なる存在の表現である。それは人それぞれにとって独自のものである。それは創造的である‥‥‥それはわれわれを他者と触れ合わせるものである……対人的な相互作用というレベルにとどまらず、コミュニティにおけるサービスというレベルにおいて」(p.5)。
われわれの仕事に尊厳が失われているとき、われわれの尊厳もまた失われる。われわれが無職のとき、「失業(unemployment)」は新しい意味を持ち、「過少完全雇用(underemployment)」も、今までとは異なった形で眺められるであろう。仕事役割についてのFoxのビジョンは、仕事役割は「人間全体を称賛する人生経験の調和のなか」で、思考、心、健康が一体となるところである、というものである(p.2)。この問題の別の側面に、ワーカホリックがある。仕事におけるこの危機に対するFoxの解決策は、仕事において目的を扱うこと、すなわち、仕事の定義の仕方、代価の与え方、仕事のつくり方、仕事の手放し方、そして仕事への遊びの注入方法を見直すことである。仕事に対するこのような幅の広い定義は、第3章で検討したなすべき仕事によく合致する。
★余暇の役割
ここでは余暇の役割について検討するが、この主題に関して書かれている膨大な量の文献を全面的に検証することは、本書の目的を超えている。
行動科学、社会科学、カウンセリング、キャリア・ディベロプメントの分野で余暇に関する文献が多く出されているが、余暇をいかに定義し、どのように研究するかについては、今なお論議が続いている。HowardとDiane Tinsley(1986)は、さまざまな余暇の経験は、人の身体的および精神的健康に良い影響を及ぼし、欲求を満足させる重要な源泉であることを理論化した。また、たとえば、女性、移民、パートタイム労働者などが多く参入することによって生じた労働力における変化が、仕事と余暇に影響を与えていることに言及する学者もいる(KanungoとMisra,1984)。全仕事量を計測する尺度を用いたストックホルム大学の最近の研究によれば、子どもを持つ女性は、有給無給の仕事を合わせて、平均して週90時間働いているが、男性はわずか60時間しか働いていないことが示された。そのうえ、女性は男性にくらべて、家庭でゆっくりくつろぐことが難しいと感じ、その結果、ストレスに対処することだけでも女性にとって大きな負担となっている(Clay,1995)。
予想通り、スーパー(1986)は、余暇を、人生役割と自己実現に関連づけて考察した。McDaniels(1989)は、キャリアは余暇を含まなければならない―すなわち、キャリアとは仕事プラス余暇である―と主張し、その3つの概念(キャリア、仕事、余暇)によって、より全体的な枠組みが提示されると主張した。彼は仕事の定義のなかに、新しいボランティア主義を含めているが、彼の考えには家族は含まれていない。余暇カウンセリングが、カウンセリングの専門分野として登場したが、変化する仕事と職場の性質は、余暇カウンセリングの本質だけでなく、将来的な余暇研究の焦点についても影響するであろう。
余暇をジェンダー役割と関連づけることについては、まだほとんど何も明らかにされていないことを指摘しておくことは重要である。しかし、余暇の役割は、他の役割によって決定されている場合が多い。たとえば、過大な負荷をこなす「スーパーママ(supermoms)」は、余暇活動を自由に楽しむ時間があまり持てないであろうし、ワーカホリックの男性―彼らにとっては仕事こそが人生である―は、家族や余暇についてあれこれ考えることはないであろう。なぜなら彼らは、職場を離れた時間も、スポーツやその他のイベントを通じて人脈を広げ、それを仕事に役立てようとするからである(それが彼らの余暇活動かもしれない)。
女性と戸外でのレクリエーションに焦点を当てた研究で、Loeffler(1995)は、余暇を3つに定義した。(1)職務から離れた「自由時間」であり、(仕事と反対の)人生のメンテナンス。(2)リラクゼーション、気分転換、自己改革、社会参加のために個人の自由意思によって選ばれた活動。(3)経験あるいは活動、全体的な視点、そして対立物とは捉えられていない仕事と余暇、これらから得られた意味を伴う存在の状態など。彼女はまた、余暇に関する「人生文脈上の制約(life context constraints)」と「ジェンダーに基づいた制約(gender-based constraints)」を定義した。彼女の研究は女性とスポーツに焦点を当てたものだったが、その方法は、女性のキャリア・ディベロプメントと人生役割にも適用可能である。正社員で子どもがあり、家でも「二交代制」をこなす女性は、それがどのように定義されようとも、余暇活動を行うための時間などほとんど残ってないのが実情である。
明らかに余暇と仕事には強い関係がある。仕事の倫理が非常に強く、仕事がすべての中心と考えられている社会においては、余暇は優先順位のなかには含まれてこなかった。人々は賃金労働から離れた時間をどのように過ごすのか? この点について人々は選択肢を持っているのか? 人々は優先順位をどのようにつけているのか? 変化する職場と働き方が、将来、仕事と余暇の関係にどのような影響を及ぼすのだろうか?
余暇時間の過ごし方は、その人の価値観、仕事と家族のパターン、そして持っている時間とお金に依存している。あまり金銭に余裕のない人は、夕日を眺めたり、自然のなかをハイキングするなど、お金のかからない活動で余暇時間を過ごすことが多いだろう。また子どもの教育費用やその他の目的で貯金する必要があると考えている人は、レクリエーション活動にあまりお金をかけないようにするだろう。また有り余るほどのお金を持っている人は、日常生活も余暇時間も贅沢に過ごし派手な買い物をする消費者であるかもしれない。実際われわれの物質主義的社会では、宣伝広告(欲しいものは必要なものであると思わせる)や個人の社会化を通じて、人は仕事をし、それで得たお金を消費することを学習する。たとえば、われわれは、最新のテクノロジーを満載した機器 コンピュータ、ビデオ、CDなど―を買い、そして余暇の時間を「ネット・サーフィン」で過ごすように圧力をかけられている。
合衆国の余暇時間が増えているのか減っているのかについては、相反する報告がなされている。1970年代初期にくらべると、余暇時間が約3分の1に減っているという報告がある(Schor,1991)。それとは対照的に、最近3年間をかけて行われた、35歳から49歳までの、2人の子どもがあり、年収が4万ドル以上の3000カップルを対象にした調査では、以前よりも多くの余暇時間を楽しみ、仕事関係の活動は減っているという結果が報告された(Hamlin,1995)。その報告によれば、平均的なアメリカ人は、歳をとるにつれて、労働時間が減り娯楽時間が増えているということであった。しかしその研究は、余暇時間の活動におけるジェンダーの差異については考察しなかった。すなわち、男性が料理、ガーデニング、買い物などの家事を多く負担するようになった世帯―私の世帯のように―について検証することも、女性が依然として家事の大半を担っているとする多くの研究について議論することもしなかった。
さまざまな人生役割のバランスをとるということは多くの人が熱望することであるが、達成している人はほとんどいない。実はそのバランスは、これまで女性だけが求めてきたものであるが、最近ではそれを求める男性も増えている。ノースカロライナ州グリーンズボロの「創造的リーダーシップ・センター」が、Larry Grantというマネジャー職にある人について語ったところによれば、彼は、よりバランスのとれた人生を追い求め、「男性は、愛か仕事かという二者択一をしなければならないのか」という疑問を投げかけていたとのことであった。人員削減が行われた企業における、労働者、社員、臨時労働者の間の新しい心理的契約に伴い、Larryのような男性が人生役割のバランスを求める時間を、より多く持てるようになっているのかもしれない(Kofodimos,1986)。
バランスという点に関しては、私は自分が有罪であることを認めなければならない―常にバランスが取れていたわけではないので。私自身の個人的なキルトにおいて、長い間、余暇は小さな断片にすぎなかった。平等主義的な結婚のおかげで、私は多くの役割を夫と分担する機会 ―実際この30年間実に多くのものを分担することができた―に恵まれたが、教授としての生活は、私に多くの余暇の時間を許さず、ほとんど毎晩、家に仕事を持ち返っていた。子育ての間、私が何とかすることのできたことと言えば、仕事と家族のバランスを取ることぐらいであった。私たち家族4人は、全員がスポーツ好きで、スキー旅行などの休暇をなんとかやりくりして作りだしたが、私の仕事が優先されることがあまりにも多かった。幸い夫と私はスケジュールに関して多少の柔軟性(彼はセールス・エンジニアであり、私は教授として)があったが、往々にして私の仕事が、私たちの人生の他の領域にあふれだした。最も多く侵害された領域が、友情であった。親、妻、教授としての役割を果たしてしまうと、友人としての役割に残された時間はほとんどなく、それを私は深く後悔している。われわれの「カップル社会(couples society)」では、社会生活の大半が、カップル同士の交友という形を取っていた。子どもたちが成人し大学を卒業し働き始めたので、私は友達と過ごす時間をいくらか見つけることができるようになったが、古い友人の多くは、夫やパートナー、家族、そして他の友人との社会生活のパターンを確立しており、かつてのように私と付き合えるわけではなかった。仕事の構造とわれわれ自身の強迫的な動機は、人生で最も大切なこれらの事柄に優先権を与えることから、時に女性も男性も等しく遠ざけているのである。
バランスは、定義することが難しい一方で、今日多くの人々が求めている価値の1つであり、仕事と家族の構造が変化していくなかで、それは将来より実現可能なものとなっていくだろう。
□人生の文脈
ILP (Integrative Life Planning)は、人間は、私がSOFIと呼ぶ個人、家族、組織としての、そしてより大きな社会のなかでの、人生の文脈を意識する必要があると提案する。人間としてのわれわれの課題の1つは、4つのLと、さらにより大きな文脈のなかで優先順位を決めることである。要するに、ILPは、カウンセリングと人材開発の専門家が、クライエントがさまざまな問題を熟考することができるように支援することを奨励する。1人ひとりが以下の問題を考えるとき、その時々の人生段階における自分自身の状況、そして家族とコミュニティに関して、最も関係の深いものを認識することによって、統合的ライフ・プランニングのプロセスを開始することができるはずである。
・異なるライフ・ステージにおける人生役割についての変化する価値観
・仕事、家族、学習、余暇の関係
・家族と仕事の間の潜在的な対立点と交差点
・愛、労働、学習、余暇の間の優先順位、時間の経過による変化の様態
・個人、家族、組織、社会の目標に関する価値観と優先順位
・キャリアとライフ・プランニングにおけるジェンダーの重要性
・発達領域、アイデンティティの諸次元、さまざまなライフ・ステージにおける優先順位
・アイデンティティ、役割、文脈、領域を、個人、カップル、家族、コミュニティのために統合する方法
(つづく)平林