キャリアコンサルタント養成講座を紹介していただいた横山先生が翻訳されたサニー・S・ハンセンの著作「Integrative Life Planning」を紹介しながら、横山先生の思想の系譜を探索します。
■多文化カウンセリング
□複数のアイデンティティ
人種、宗教、民族性などの理由で抑圧されてきた人々は、アイデンティティを自分にとって最も大切なものと考えているに違いない。しかし、ここで重要なことは、人々は人生のさまざまな段階で、新しい認識、新しい役割、新しい経験によって、あるアイデンティティを他のものよりことさらに強調しがちになるということである。この点では、私自身の経験が1つの例となる。高校での社会科学習を通じて、私は社会正義に対する強い感覚を身につけ、たとえば、偏見などについて、その日強く感じた問題についての論説を書くようになった。私は社会階級による差別は感じていたが、民族性のために抑圧されていると感じたことは一度もなかった。ノルウェー系アメリカ人というアイデンティティは、私にとっては常に重要であり、その重要性は、私が大学時代に参加することができたSPAN(Student Project among Nations)という素晴らしい留学プログラムを通じてさらに強められた。そのプログラムによって、私は自分のルーツを巡ることができた。私のジェンダー・アイデンティティがさらに重要になってきたのは、20代半ばに博士課程へ進むことを考え始めた頃だった。私はそこで初めて、私の意識のなかで高等教育におけるジェンダー・バイアスを経験した。キャリアについて人々を支援しようとする者は、人のアイデンティティのさまざまな要素は、年齢や状況に応じてある時は重要性を増し、またある時は重要性が弱まるということを意識することが大切である。
□定義と介入
Arredondo,PsaltiとCella(1993)は、ジェンダーを包含する多文化カウンセリングの定義を提唱した。それは、包括的であり、ある文化に属していること、歴史的現象、社会政治的な力、文化的背景を含む個人のアイデンティティのさまざまな次元を網羅する。「多文化カウンセリングとは、自己認識、文化的アイデンティティ形成についての知識、1人ひとりの違いと力のダイナミクスなどに基づいて構築された1つのプロセスであり、1人ひとりを、そこに存在し、そして/または、そこで社会化された環境のなかにある全体的な実在者と考える。さらに多文化カウンセリングは、個人の文化には、ジェンダー、宗教、性的指向、人種および社会階級を含むさまざまなアイデンティティの次元が包含されていることを尊重する」(p.12)。1970年代以降、専門学会は、多文化カウンセリングの能力を定義し、そのための基準を定めることに着手した(Sue,ArredondoとMcDavis,1992)。
文化とジェンダーの両方を見据えた講座の開設も、別のタイプの介入である。たとえば、「アジア系アメリカ人女性:アイデンティティの発達課題」という講座は、人種的および文化的アイデンティティの発達課題を、ジェンダー・アイデンティティの発達と統合している(Ibrahim,1992)。IbrahimとKahn(1984)は、「世界観測定尺度(Scale to Assess World Views:SAWV)」を開発したが、それは個人が持っている信条、価値観、前提認識を、元々はKluckhohnとStrodtbeck(1961)の価値指向グリッドで示された5つの変数に基づいて測定するツールである。それは研究者と、キャリアおよびカウンセリングの専門家が、文化的世界観の概念を理解するのに役立つツールである(p.222参照;またはIbtahim,1991も参照)
□伝統と道徳性
最後に、どの文化においても女性に影響を及ぼす1つの問題について言及する必要がある。それは、すべての文化には固有の習慣、価値観、信条、行動、伝統があり、それは神聖にして侵すべからずで、カウンセラーはそれらを尊重しなければならないとする傾向の存在である。ブラジルの心理学者Gama(1991)は、この問題に正面から取り組み、次のように述べている。「ある文化グループのなかでは伝統的で常識的とされていても、道徳的には誤っているある種の行動と、それに関連する価値観、信条、態度がある。道徳的原則は普遍的で、文化の境界を越えて適用可能である。具体的に言うと、アラブ世界や多くのラテン諸国、そしてアジア文化のなかで、女性がさらされているさまざまな形態の虐待のことである。そのような虐待の根底には、女性は男性よりも劣り、決断ができず、自己の人生を送ることができず、情緒不安定で、またそのセクシュアリティはよこしまであるなどの前提認識がある。明らかに、そのような前提認識は女性の自己認識に破壊的な影響を与える恐れがある」。
Gamaはさらに、このような状況のなかで、支配グループは、それ以外のグループを虐待し、人間の自由と尊厳に対する尊敬の念の欠如を隠そうともしないと指摘する。たとえば、大方のラテン文化で、男性優位(妻への虐待を含む)が存在し、合衆国では家庭内暴力があり、多くのアラブ諸国では女性の自由が制限され、インドではカースト制度の最下層民に対する酷い扱いが存続し、フモン族文化では花嫁の売買が行われている。
ある行為がその文化によって受け入れられているからといって、その前提認識、伝統、あるいは行動が必ずしも正しいとは限らない。カウンセラーは、そのような状況の根底にあるイデオロギー的な前提認識と、それがクライエントにとって社会心理学的にどのような意味を持っているのかを認識しなければならない。特にそのクライエントが、そのような伝統に立ち向かおうとしているときにはなおさらである。そして、カウンセラーはたとえそれらの道徳的に誤っている文化的伝統、価値観、信条が歴史的に形成されてきたことを理解している場合であっても、伝統や文化の独自性を理由にして、クライエントがそれを受け入れたり、従ったりすることを奨めるべきでない。しかしながら、根深く受け入れられている伝統に挑戦するときには、そのクライエントとのコミュニケーションが断絶しないように注意することが大切である(Gama,1991)。これらの問題については、HansenとGama(1995)によってさらに深く検討されている。
□エンパワーメント
カウンセラーが多文化の女性クライエントを支援するのを手助けするためのカウンセリング文献が、エンパワーメントの主題の下に多く書かれている。Judith Lewisは、Patricia Arredondoが行ったように、女性のためのエンパワーメント・ワークショップを多く開催している。Arredondoの論文「Promoting the Empowerment of Women Counseling Interventions(カウンセリング介入を通した女性のエンパワーメントの推進)」(1992)のなかには、彼女の女性クライエントの一部が、ワークショップのなかで、どのように自らのエンパワーメントを定義するかが述べられている。カウンセリング関連の文献にはエンパワーメントの意味についての異論が見られるが、今多くの研究者がその定義の検討を進めている。Mc-Whirtre(1994)は、カウンセリング全般は言うまでもなく、多文化カウンセリング、そして女性と男性の両方を対象とした多文化キャリア・カウンセリングのなかでも用いることのできるエンパワーメントの定義を提示している。「エンパワーメントとは、無力な、あるいは社会から取り残された人々、組織、グループが、(a)自分たちの人生における職場のパワー・ダイナミクスを認識するようになり、(b)自分たちの人生をある程度コントロールできるためのスキルと能力を開発し、(c)それを実際に行使し、(d)他者の権利を侵害することなく、(e)同時に、自分たちのコミュニティにおいて、他者のエンパワーメントを積極的に支援するプロセスである」(p.12)。
どのような定義であれ、エンパワーメントの問題は、あらゆる背景を持つ女性と男性のカウンセリングにおいて極めて重要であり、さらに、個々人のエンパワーメントの核心をなすものは、1人ひとりの個人的関係性と相互関係である。
(つづく)平林