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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.134(2024年3月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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自己イメージについて考えてみる

のっけから私事で恐縮だが、あえて問題提起のために書かせて戴くことにした。

じつは、年末から2月上旬にかけて入院する羽目になり、せっかくのお正月も否応なく
寝正月となってしまった。

原因は「慢性硬膜外血種」という病気なのだが、頭がい骨と脳の間にある硬膜内に
血種が溜まるというものである。
溜まった血種は次第に脳を圧迫し、様々な症状を呈することになる。
僕の場合は、激しい拍動性の耳鳴りと共に平衡感覚が麻痺して立っていられなくなった。

これが脳内で起こった出血であれば、まさに命に関わる深刻な事態になるのだが、
幸にも硬膜外で起こったことので、この程度で済んだようだ。しかしながら退院して
半月も経たないうちに、運悪く10人に1人と言われる再発に見舞われ、
退院後2週間目に同じ手術を2回も受けることになってしまった次第である。

頭に管(血を抜くためのドレーン)を差し込んだままICUのベッドに縛り付けられた
のは参ったが、健康というものが決して当たり前などではなく、とても有難いことなの
だと今更ながら知ることとなった。

加えて、免疫力が低下していたためか、今度は退院後に酷い風邪を引いてしまったこと
もあって咳が止まらず、累計で1か月近くも仕事を休んでしまった。こんなことは
初めてである。(ずっと貯めていた有給休暇もずいぶん使ってしまったな・・)

親しい友人が「心筋梗塞」になったと連絡を受けた際も血管年齢が40代の自分には
無関係だと思っていたし、今や2人に1人がガンを患う時代だと聞いても、自分は
ガンになどなるはずがないと根拠のない自信があった。

じつは、これまでの人生で、取り立てて大きな病気をしたことがなかったこともあり、
「健康には自信がある」と密かに思っていたのだが、やはり歳には勝てないというか、
何を言ったところで所詮は65歳を超えた高齢者なのだと認めるしかなさそうだ。

つまり、頑健だという「自己イメージ」の変更(書き換え)を余儀なくされたわけである。
たまにはこのような目に遭って打ちのめされることも自分を見直すためには必要な
出来事なのかもしれない。

さて、自己イメージとは、自分の思い込みによって作られた「偽りの仮面」のようなもの
である。
それに従って演じている自分と本性(真の姿)とは、人によって大きな隔たりがあるだろう。

人は、誰もが自分に対して固定化されたイメージを持っている。
イメージ形成の背景には、これまで生きてきた中で得た諸々の経験に影響を受けた内容で
占められていると思われるが、特に少年期から青年期を通り過ぎる途上で作り上げた
アイデンティティである一方で、周囲の他者が放った無責任な言葉や指摘された事柄、
さらには湧き上がる劣等感などを呑み込んだ観念的なものも含まれている。

自分とは、つまり「こんなヤツ」であり、他とは違った反応を示し、こういったものを好み、
ああいったものを嫌う、昔からそうだ・・そう決まっている。受け入れるしかない・・
と呪縛にも似た暗示に縛られている者もいるだろう。

または、心理テストや占い等の結果から「特性」や「傾向」、もしくは「〇〇タイプ」&
「△△型」という表現を以て、いかに不本意ではあっても、カテゴライズされた領域を
用いて自己紹介を試みる者もいるだろう。

いずれにしろ、自分についてあるていどの客観性を有し、自己を理解しようとする姿勢さえ
持つ者であれば、多少なりとも自分の正体を知ることができるだろうが、自分のことなら
自分がいちばんよく知っていると思い込んでいる者にかぎって「自分が何者なのか?
どんな傾向があるか?」に気がつかず、人生が上手くいかないことを周囲のせいにしている
ように思われる。

だが、時間の経過に伴って常に変貌を遂げ続けている自分自身の微細な変化について
関心がない場合、つい「こんなはずはない」とか「こんなのは自分じゃない」、または
「以前の自分なら・・」などと言いながら、現状を受け入れられないということが頻繁に
起こっているはずである。

何か新しいことに挑戦しようとしたり、新たな環境に身を置こうとする場合、もっとも
大きな障害となって立ちはだかるのは、意外にも「経験値」だと聞いたことがあるが、
なるほど昨日までの自分のあり方やこれまでの慣れた環境に執着しているかぎり転身は
難しいだろうし、変化することを嫌っていれば初めて出会う場に馴染むにしても多くの
時間を要することだろう。

人生は出会いと別れの繰り返しであり、人はその反復の中で様々なことを体験し、
何かを発見し、気がつき、成長への道を歩むものだと思うが、昨日までの体験で
「せっかく何年もかけて身につけた技術だからこそ手放したくない」とばかりに強く
握りしめていては、いつまで経っても前に進むことができなくなってしまう。

このような「変化に対する怖れ」や「拒否(否認)」は、どんな場面にも共通すること
だと思われるが、特に歳を取ることで次第に力を失い、徐々に衰退してゆくことへの
怖れを受け入れるのは容易なことではない。

自分はもう誰からも必要とされない・・それどころか邪魔者扱いされる・・
これは人によって差はあるものの、持っている承認欲求の大きさに比例して自分の存在価値
にまで関係する大問題になることもある。
年齢に纏わる恐怖心は、たとえば女性において「美貌」に価値を置いている者ほど老化が
憎っくき敵でしかないだろうから、アンチエイジングと名付けられた商品は高額にも関わらず
手に入れようとするだろうし、できるかぎり現状を維持しようと躍起になるかもしれない。

政治や経済に纏わる集団内においても、これまで握っていた権力や既得権を守ろうとして、
なかなか後進に譲ろうとしない族が見受けられる。所謂「老害」といわれる族だが、
これもまた同様に若かった頃の自分を諦め、人生の下り坂に在る自分を認めることを敢えて
意識化しなければ、いつまで経っても心だけが若いまま自分の真の姿が見えない
「愚か者(老害)」になり果ててしまうことになる。
老害ほど情けないものはない。
なにしろ自分が集団のお荷物(厄介者)になり下がっていることに自覚がないまま
我が物顔でふんぞり返っているために、既に周囲から疎まれ孤立していることにさえ
気づけないのである。

自己イメージを書き換えるためには昨日までの自分と決別する勇気を必要である。
しかし思い切ってそれを為すことによって得られることも多い。

決して大げさではなく、ある意味で「生まれ変わること」でもあり、予想外の「新たな何か」
が手に入るきっかけとなる可能性もあるのだ。(※:死と再生のプロセス)

以下は、ある書籍の中で見つけた言葉だが、あえて此処に記しておこうと思う。

『病とは薬を用いて治すものなどではなく、この病こそが人生を修正してくれる薬なのである。』

今回ほどこの言葉が身に染みたことはない。じつに有難いことである。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.133(2024年2月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"山本恭子さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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皆さま、こんにちは。テクノファ・キャリアコンサルタント養成講座32期の
山本恭子と申します。
 私が何をしている人間か。これを一言で表現するベストアンサーをいまだ
模索中なのですが、フリーランスとして、心理、キャリア、福祉の3領域に
またがり相談業務を展開し、日々「問いを投げかけるプロ」、略して「問いプロ」
ということになるでしょうか。相談時間の8~9割は「問いの投げかけ」を
行っており、単純計算すると、週あたり500~1000回、年間2~3万回、
累計50~60万回ぐらい問いを発してきたことになります。これと並行して、
25年以上にわたり大学で教鞭をとっています。

ここに至った道のりを少々お伝えできたらと思います。すべての始まりは
高校時代に遡ります。オフが年間数日という強豪校で競泳生活を送っていたの
ですが(私自身は大した成績を残したわけではない)、実力者であるチームメイト
の1人が突然「水が怖い、プールを見たくない」といって練習に来なくなる
出来事に遭遇しました。スランプという言葉では片づけられない様相で、
「アスリートのこころの機序」に関心を持つきっかけとなり、大学で心理学を
専攻しました。より専門的に学ぶためにカナダの大学院に留学してアスリートの
心理支援を開始し、アスリート、指導者、スタッフを含むスポーツ現場の支援を
今でも主戦場としています。大学ではスポーツ心理学関連の講義をおもに担当
しています。
国立スポーツ科学センターという競技者支援に特化した施設が2000年に
開所するに際し、心理部門の初代研究員として、業務構築、研究推進、日本代表
クラスの支援に10年間従事しました。また、日本オリンピック委員会研究班、
日本体育協会(現:日本スポーツ協会)の指導者養成、アメリカスポーツ医学会
にもとづく健康運動実践指導者養成など、一貫してスポーツや健康に纏わる領域で
仕事をしてきました。本紙面を預かるにあたり、伊良波さんからアスリート支援に
携わるようになった経緯等について書いてほしいというオーダーがあり、こうした
バックグランドが礎にあることから僭越ながらお引き受けしました。

さて、そろそろキャリアコンサルタントの話に入りたいと思います。
心理の世界で仕事をしていくなかで、ふとした疑問が湧いてきたのがきっかけでした。
「相談室の中」で表現・展開される心の内界と、「相談室の外」で起きている出来事の
相互作用を解釈していく奥深さは何ものにも代えがたい経験でした。
他方で、クライアントの生活時間のほとんどは「外の世界」であり、仕事、生活、お金に
関する悩みを抱える人も少なからずいました。けれども、そうした事柄に対応できる
知識も技能もない自分に歯がゆさを感じ、「これでいいのだろうか?」と考えるように
なりました。
そこで真っ先に浮かんだのがキャリアコンサルタントだったわけです。
心理支援のバックグランドをもつ私にとって、クライアントの人生選択の一場面に
立ち会う以上は、内的成長や気づきを助ける視点は不可欠であり、テクノファの
講師陣のお名前とプログラムを拝見し、最も信頼できると考え、受講に至りました。

当然のことながら、キャリアコンサルタントの資格を取得すれば自動的に仕事が
下りてくるわけはなく、まずは得意領域からアプローチすることにしました。
大学生アスリートは必然的に、競技継続か否かを含めた人生の選択を迫られます。
傍目からは競技を辞めるのは勿体ないと思うようなワールドクラスの選手もいますが、
ご本人の選択を後ろから支えるのが仕事ですから、納得して競技をやり切れるよう、
実力の最大発揮の側面と並行して支援を行っていくことにしました。
長年にわたり培ってきたアスリート・アイデンティティにどう幕を下ろすかは、
その後の人生に大きく影響します。段階を追って丁寧に進め、心理とキャリアの両面を
融合させて支援していくところに、私自身の特徴があるかもしれません。

クライアントの人生全体を見据えて伴走した結果、15年以上にわたり継続する
ケースもあります。障がい者もいますし、アマチュア、社会人、プロ選手など
各々のライフステージに応じた競技との向き合い方、引退後の生活等について
意見を交わすことは日常です。当初は心理とキャリアの棲み分けに悩みましたが、
今ではキャリアコンサルティングと銘打たずとも、自然な形でその知識を反映させる
ことがあってもよいと思うようになりました。
ところで、皆様がアスリート支援を行う際には、どのようなことに留意なさる
でしょうか?正解があるわけではありません。
頭の片隅に入れておいていただくとよいのではと私が思うのは、その競技種目に
適応し、鍛錬を積み重ねることで培われる特性のようなものがアスリート
(とくにトップ選手)にはあるということです。
たとえば陸上と一口にいっても、短距離、長距離、投擲では競技特性が全く異なり、
そこに能力と個性が合わさりその人らしさが発揮されます。
たとえ競技のことを知らなくても、話に耳を傾けているとそれらがきっと見えてくる
はずです(とはいえ、すっかりわかった気になるのは禁物です)。
そうした競技になぞらえた強みが、仕事場面での汎用スキルにどう変換できるかを
共に翻訳していく作業も伴うでしょう。

最後に、私自身のキャリア選択に少し触れさせていただいて終わりにしたいと
思います。50歳を目前に、キャリアが先細る不安から、国家資格化した
キャリアコンサルタントに続き、公認心理師、精神保健福祉士を立て続けに取得
しました(最近の調査によると、キャリコン取得者は50~60代が最多で、
20~30代は減少しているとの報告があり妙に腑に落ちました)。
3つの資格を取るなかで実感したのは、勉強のプロセスにこそ価値があるという
ことでした。同じ場面に遭遇しても、異なる角度から複眼的にその景色を眺める
ことが可能となり、投げかける問いに重層性が増したのです。
資格取得の本来の意義はここにあると個人的には感じます。
私自身は、仕事をセーブしながら子育てを行ってきましたが、今春には娘が
社会人として旅立ちます。納得できる就活の手助けができたことは副産物でしたが、
民間企業での就業経験がないことが私の弱みでしたので、様々な業界、企業文化、
採用プロセス、コロナ前後の変化など、リアリティをもって知る絶好の機会と
なりました。
現在は、大学のキャリアセンター相談員、社員研修等にも従事し、アスリート以外の
キャリア支援へと拡充しています。
子育て女性のキャリア形成、常勤職ではない不安定な身分でのキャリア形成、
中高年のキャリア転換、リスキリングの実践など、身をもって得た経験が相談支援に
幅をもたらしてくれていると感じます。
自己紹介文を考えることは、キャリアの棚卸しとなることを改めて実感いたしました。
やや特殊な経歴で参考にならないかもしれませんので、一例としてさらっとお読み
いただけましたら幸いです。本稿を通じて、テクノファ卒業生の皆様とのご縁が
広がりましたら大変嬉しく思います。アスリート支援について意見交換の場を希望
される方がいらっしゃれば、ぜひご一緒しましょう。
(kyokoimai7777@gmail.com 仕事では今井恭子と名乗っています)

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.132(2024年1月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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『いちど決めたことを変更できない人たち』

最初にPDCAサイクルについて改めて考えてみたい
PDCAサイクルとは
 Plan(計画)
 Do(実行)
 Check(評価)
 Action(改善)
以上4つの頭文字を並べたもので、1950年代に「品質管理の父」といわれる
W・エドワーズ・デミングが提唱したフレームワークであることから別名
「デミングサイクル」とも呼ばれている。
もっとも、最近ではC(Check)に代わってS(Study)を用いた「PDSA」
といった言葉に変化していることも知っておきたい。

PDCAサイクルは、停滞している状況に対してメスを入れることで新たな展開
への起爆剤として機能するだけでなく、より良い方向に向けた改善を目指す意味
において、企業のみならず、ありとあらゆる分野において応用活用できる考え方
と言えよう。

先ず、B(Basic Asesumento)つまり、できるかぎり多くの情報を基に「B入念な
リサーチ(見立て)」を行なった上で、計画「Pプラン(手立て)」を立案し、
それを「D実行」し、必要な期間を経た後にプランが効果的であったか否かを
「Cチェック」し、そこで得られた結果(成果・評価)を踏まえたうえで、
「A次のPプランに盛り込む・・」といった「スパイラルアップ(螺旋的上昇/
好循環)」を促す手法として、いまや企業は言うまでもなく、多くのアソシエー
ションやコミュニティ内でも活用されている。

さて、上に示したCチェックを怠ったまま「もう決まったことだから」とばかり
に闇雲に実行し続けることに果たして意味があるのだろうか? ここで云う
Cチェックとは、言わば「前プランに対する批判」であり、新たな内容を含んだ「
代替案」でなくてはならない。

これまで当たり前とされてきた「石の上にも三年」とか、「継続は力なり」、または
「初志貫徹」等の認識に対し、ただ盲信的に受け入れるだけでなく、必ずしも当て
はまるとは限らない状況や場面が増えてきている現状に目を向けてみる必要が
あるのではないか?というのが今回のテーマである。

いまや「10年ひと昔」ではない。
5年ひと昔、いや3年ひと昔・・と言っていいほどに社会(世界)は急速な変化を
遂げている。

先日まで再放送されていた朝ドラ「あまちゃん」だが、たしかこのドラマは311の
震災があった翌年に制作が開始され、2013年度に放映されたものである。
観ていてふと気がついたのは、ドラマの中に登場するのは「折りたたみ式のケータイ」
であり、スマホなど誰も使っていないことだった。

スマホはその後の数年間に渡って徐々に普及し、現在のように誰もが持ち歩ける
ツールになったのである。
つまり、たった7~8年の間に日本中(世界中)に広がったことになる。

ご存じのとおり、いまやスマホアプリはネットニュースやSNS等の情報サービス、
または通販やオンライン会議に至るまで、一般的な社会生活には欠かせないツールに
なっているし、生まれたときからインターネット環境を空気のように感じている
「Z世代」の傾向についても大いに話題になっているところだ。

このような途方もない大変革が、たった数年間で達成されてしまう世の中に在って、
いかに吟味し慎重に検討を重ねて決められたことであっても、ほんの2~3年後には
価値を失ってしまうことも珍しくはない。

同様に、たとえ幾年に渡って頑張り続けてきたことであっても、いかに欠かさず努力を
続けてきたことであっても、状況が変わってしまえば意味を成さないのである。
なればこそ、PDCDの図式に則って検討してみること(特に「C」)によって膠着
している状況に風穴を開け、新たな突破口を見つけるきっかけにできるのではないだろうか。

日本は太平洋戦争において「手痛い失敗(失態)」を経験している。
戦時中における日本軍は、思うように戦果が得られず悲劇的な展開に陥ろうとも、
絶望的としか言えない状況に及んだとしても、いったん軍部が決めてしまった決定事項は
覆されることなく、結果的に多くの人命が失われてしまった。

しかし残念なことに、なかなか懲りず未だに教訓として活かされないまま現在に至って
いると思えてならない。
(※:今回、明るみに出たダイハツの不正問題や自民党のパーティ券によるキックバック
などに代表される悪しき慣例(慣習)であれば尚更である。大阪万博の開催についても
再検討を願いたいものだ。)

特に行政における化石化(オワコン)は、未だにフロッピーやFAXを使っていること
でも明らかだが、それを見て笑っている場合ではない。
当初の計画を修正することなく邁進したせいで、自治体として、または国として莫大な
損失を被った例など幾つも挙げることができるだろう。
どうやら組織が大きいほど、または長い歴史があるほど、この傾向は強いようである。

さらに言えば、こうあるべき かくあるべし こうでなくてはならないといった「凝り
固まった思い込み」に囚われているのは、なにも行政や企業体に限ったことではなく、
私たち一人ひとりの個人にも同じ傾向が観られるということである。

我々は「過去の奴隷」なのだろうか?
小学生だった私は、母から「三日坊主ではいけないよ」から始まり、なにか目的を達成
するためには、とにかく「努力し続けることが大切だ」と教えられた。
学校に行けば教師たちから「忍耐(我慢)」や「辛抱」の重要性を叩き込まれ、中学校に
進学してからも部活を選ぶ際には「しっかりと三年間続けられることを第一に考えること
が何より大事だ」と言われた。

・初志貫徹・一意専心・継続は力なり・石の上にも三年・塵も積もれば山となる・虚仮の
一念岩をも通す・・


若い頃の私は、こういった言葉群は絶対的に正しく、生きていくために重要な教えだと
思い込んできたのだが、最近になって、むしろ上に羅列した言葉によって苦しんでいる人
(自分も含め)が多いのではないか?と思うようになってきた。
(※:努力を積み重ねることを否定しているわけではありません。そこは誤解のないよう
に願いますね。)

つまり、自らの意志に従い「する」のであれば問題はないのだろうが、格言に従い自分で
決めたことだからと「過去の自分にさせられている状態」になってはいまいか?
と問いたいのである。

変化の激しい現代においては、決意を貫くことよりも「状況対応(現状を踏まえ、状況に
呼応して行動すること)」と「臨機応変(いま、この瞬間において最良の判断を為すことで、
次の展開を自らの意志で創造することが可能となる)」の2項目を優先する判断があって
いいのではないか? むしろ、思い切って中断し、再検討したうえで変更することも
ありではないだろうか・・と強く思うのである。

このような考え方からすれば、転職する場合でも「履歴書が汚れる」などといった妙な
思い込みは捨て去るべきだろう。人生における体験に「無駄な事」など一つとしてないと
思うのだ。

現在の日本では、生きていくうえで誰もが自由に人生を選択することが憲法で保障されて
いるし、どんな仕事を選び、誰と結婚し、どこに住むかについて自由なはずなのだが、
未だ多くの人々が「長男(長女)だから」とか「先祖が守ってきた土地だから」などと
いった理由(事情?)によって家から出られず、自分には自由がないのだと嘆く・・
そんな彼らは非合理な思い込みに縛られており、本当は自由であるのに動けないと
思い込んでいるのである。

私は、これまで関ってきた多くのクライエントたちの中に「こうあるべき」に囚われて
いるが故に動けなくなってしまっている方々を数多く観てきた。
おそらく、こういった思い込みや変化に対する怖れが人生における多くの苦しみや
悲劇を生み出している「元凶」ではないかとさえ思うのである。

そもそも常識など、時代や地域の文化(お国柄)によって異なるものであり、万人に
通用する確定的な常識など存在しない。
あまりにも当たり前すぎることに対して、また昔からの言い伝えに対して、我々は
なんと無防備なのだろうか。

少なくとも、どんなことでも先ずは疑ってかかることの重要性について押さえて
おかなくてはならない。
かといって、斜に構えるとはちょっと違うし、眉唾をすることでもないのだが、
何でもかんでも鵜呑みにしてはいけないということだけは戒めとして持って
おきたいものである。

ここで、哲学者-ルネ・デカルトの「方法的懐疑」という言葉を紹介したい。
少しでも疑いうるものはすべて偽りと見做した上で、まったく疑いえない絶対に
確実なものが残らないかどうかを探る態度のことである。
さらに言えば、最終的に残ったものだからと言って必ずしも真実だとは言い切れないし、
疑わしいからと、なんでもかんでも排除すればいいというものでもない。
だが、せめてそうあろうとすること。または可能なかぎりそのように努めようとする
ことである。

これは、情報に溢れる現代社会において、怪しげな陰謀論やエセ情報に惑わされたり
、根拠もなく確証バイアスに陥らないためにも欠かせない態度であり、
常に情報リテラシーを意識するためにも必須であろう。

初めて出会うことだけでなく、昨日まで信じてきたことなればこそ改めて意識的に
疑ってみることも忘れてはいけない。

少なくとも先に述べた「Z世代」と称される若者たちに常識など通用すまい。
「昔は・・」「俺らの頃は・・」これは彼らがもっとも嫌う前置きだ。

そんな彼らの態度を観て不快に思うかもしれないが、逆に年老いた我々が違和感
として感じられる彼らの生き方こそが旧い因習から脱皮した新人類の姿なのかもしれない・・
そんなふうに観ようとすることで世代間ギャップを超える対話が実現し、
我々もまた新たな視点を得ることができるのではないだろうか。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.131(2023年12月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木雅景さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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[自分を省みることの大切さ]                鈴木雅景

私が建設業界の仕事に従事するようになってから、早30年が過ぎようとしています。
何故、建設業界に足を踏み入れたかと申しますと、20代前半で社会人野球のチームから
戦力外通告を受けたことがきっかけです。
運よく知り合いを通じて建設業界に飛び込むことができました。
そんな始まり方ですので、自分に野球以外のアイデンティティーはまるでなく、
完全に素人の状態で仕事を始めることとなりました。

未知の仕事は、建設現場における管理者、監督を全国の現場に派遣する仕事でした。
建設業の仕事の大きな特徴として、プロジェクト(例、医薬プラント建設工事)ごとに
組織が変わることが挙げられます。短い現場では1か月、長い現場では2,3年になる場合
もあり、その職制の中に管理者として組み込まれることとなります。
初めて出会う人間同士で組織を組み、プロジェクトを遂行し、完成引き渡しまで行わ
なければなりません。そこには想定をはるかに上回る人間関係のストレスが発生し、
二重、三重に拘束された立場で業務を遂行しなければならないのが建設現場における
管理職の現状です。
そのようなストレスフルな関係性の中で、様々な立場の人の相談を素人の自分が
こなさなければいけないのが日常となりました。
今思えば恥ずかしいことですが、カウンセリングの基本、理論、技法とはかけ離れた、
ただただ誠心誠意ぶつかるしかないような仕事しかできませんでした。
このようにがむしゃらなスタイルで突っ走り20年が経過してしまいました。
仕事も奇跡的に波に乗り、自分なりに成功体験も意識するようになりました。
今思うと自分の人生のアイデンティティーはこの経験により確立されたものと自負して
おります。
しかし、実はこれが一番厄介なものであったことを後で痛感させられることになります。

 40代半ばを過ぎたころ派遣法改正が行われ、キャリアコンサルティングの必要性が
謳われるようになりました。ここがテクノファ様との出会いとなりました。
キャリアコンサルタントの資格取得が目的でプログラムに参加させていただきましが、
自分にとって資格取得以上に大切な経験を積ませていただくこととなりました。
 キャリアコンサルティング説明会に始まり、地獄のCDW合宿、キャリアカウンセリング体験、
様々な専門知識を習得するためのカリキュラムを受講させていただくにつれ、自分自身を
内省する態度が身についていくことに気づかされました。
その中でも特に印象深く心に残っていることは、CDW合宿と初めてキャリアカウンセリングを
受けたことでした。CDW合宿では人生で初めて徹底的に自分自身を見つめ直し理解することに
努め、カウンセリングでは、カウンセラーは赤の他人にも関わらず、自分の思いを話す中に
内省が含まれていることに気づき、今までの自分の人生にはないことだったため貴重な経験と
なりました。
カウンセリングは言葉だけのやり取りであると思っていましたが、言葉はもとより、話すこと
によって自身の思いがあぶりだされ、言葉で表現されない無意識の部分に存在した問題点が
自分なりに整理されていくという言葉を超えた経験をさせていただき、目から鱗が落ちる思いでした。
同時に今まで我流で行っていた相談業務は、こちらからの一方的な方策の押し付けが殆どで、
充分な傾聴ができておらず、このやり方では外発的な動機付けしか与えることができないことに
気づかされました。
 この経験がなければ、頑固で凝り固まった自己概念を持ったおじさんで一生を終えていたこと
でしょう。
 自己内省により、自分自身を客観的に見つめ直し、自身の行動や価値観、強み弱み、信念に
至るまでを考え直すきっかけとなったことは間違いありません。

同時にカウンセリングの可能性に魅力を感じ、心理学を学ぼうと決意したのもこの経験が
もととなっております。
 幸い2018年にキャリアコンサルタントに合格させていただき、同時に東京福祉大学の心理学部に
入学しました。何とか仕事と学業を両立して2022年公認心理師試験(Gルート)で合格することが
でき、大学も無事に卒業することができました。テクノファ様と出会い、こんな頑固おやじが
キャリアコンサルタントや公認心理師となるなんて、これがリアルプランドハップンスタンスセオリー
であると自覚しております。

猪突猛進で突っ走っていた人間に自分を省みる機会が与えられるだけで、人生に大きな変化が起きる。
とても不思議な気分です。このきっかけを作ってくださったテクノファ様に改めて感謝いたします。
ただ、資格は取得しましたが自身の実力は皆無であると自覚しております。日々の仕事においても
うまくいかないことばかりですが、カウンセリングの可能性を信じ、自分がそうであったように、
相手に何らかの気づきをもたらし、あくまでもその人の主体性に訴えかけ、きっかけを後押しできる
ような存在になっていきたいと考えております。

こんな自分ですので、今後もテクノファの先生方、キャリアコンサルタントの仲間の皆さんに力を
借りる場面が多いかと思います。是非今後ともご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
皆様のご健康とご多幸をお祈りしております。
◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.130(2023年11月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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社会を蝕むシャーデンフロイデ

シャーデンフロイデ(独: Schadenfreude)とは、他者が何らかの不幸や悲しみ、
または苦しみや失敗などに見舞われた際に生じる、喜び、嬉しさといった
「快の感情」である。

該当する日本語はないが、しいて言えば「他人の不幸は蜜の味」とか「ざまあみろ」、
「いい気味だ」といった表現が近いと思われる。ちなみにドイツでは「野卑な笑い」
または「幼稚な感覚」的なニュアンスを持つ言葉として解釈されているという。

こういった情動の背景には、以前から隠し持っていたであろう恨み、妬み、嫉み、
憎しみなどのマイナス的な感情が無自覚ながら蠢いていることが多いようだが、
身近な存在だけに向けられると思いきや、どこの誰か知らない相手に対しても
同様に生じるものらしい。

というのは、他者が困ったり戸惑ったりするよう目論んで意図的に細工し、
誰かが罠に嵌って困惑する様子を隠し撮りするという所謂「ドッキリ動画」
を観ている視聴者らの心にもシャーデンフロイデが起こっていると思われるからである。

ドッキリ映像は、もともと『元祖どっきりカメラ』という番組名で1970年代から
1990年代まで日本テレビ系列で放送されたバラエティ番組シリーズであり、
残念ながら視聴率も高かった。
人気番組であったがゆえに終了した後でも各局テレビの特集番組やYouTube
などでも頻繁に見かけることから、一般的には既に娯楽として定着していると
みていいだろう。

だが、笑って済むような軽い内容であれば相手も怒るまでには至らないだろうが、
中には目を覆いたくなるような酷い仕打ちもあれば、過って怪我をさせてしまったり、
死に至らしめてしまうケースもある。
それこそ冗談のつもりが、結果的に一生後悔する悲劇となってしまうことさえある。

なぜ人は「他者の災難」を愉快に感じてしまうのだろう・・

シャーデンフロイデは、上に挙げた例以外にも様々な場面で起こっていると思われる。
たとえば、スポーツの場においては敵チームの失点、競争相手の怪我、優等生や
エリート社員のミス、偉ぶっている上司が恥をかく・・など。
幾つもの場面を想定することができよう。

小学校時代を振り返れば、運動会などで行なわれるリレーにおいて、先行する
敵チームがバトンを落とした時に「やった!」などと声を上げて喜んだ経験があるだろう。

味方チームを応援することと、敵チームのミスやエラーを喜ぶことは、自分たちに
とって有利な展開になることに違いはなくとも、けっして同じではなく
内的な意味は大きく異なるのではないだろうか・・

似た意味で、ライバル会社に勝つための努力が報われ、結果的に契約が取ることが
できたとすれば嬉しかろう。
しかし、競争相手が失速するのを観て愉快に感じる感覚とイコールであることに
違和感はないだろうか。

シャーデンフロイデは、集団内においてはチームビルディングの障害となる危険性を
孕んでいるし、他の集団との間においては対立を生み出す元凶と捉えることもできる。
それこそ派閥の存在など以ての外である。

多かれ少なかれ、人は誰でも苦手な相手はいるものだし、様々な人間関係を通して
不愉快な思いをしたことがあるだろう。だからといって、その者の不幸を願い、
転落する様を見て嬉しく感じたとして、いったい何を得ることだろう、
何が残るというのだろうか・・

ところで、だいぶ昔の話だが、当時小学6年生だった私の息子がNHK制作の
「プロジェクトX」という番組を観ながら肩を震わせて泣いていたことがあった。
内容は、日本では後発の自動車メーカーである「ホンダ技研」がCVCCエンジンを
開発するまでの物語だった。車の排気ガスに含まれる窒素酸化物が太陽の紫外線に
よって有害なものに変化し、それを吸った多くの人々が倒れ病院に搬送される
という出来事が世界中で相次いだ。クルマ社会の先を行っていたアメリカの議会は、
この問題を重く捉え、「マスキー法」なる法を以って製造責任を自動車メーカーに
課すこととなる。

(※:以下、環境再生保全機構のHPより抜粋~)
『ガソリン乗用車から排出される窒素酸化物の排出量を現状から90%以上削減する
という規制(いわゆる日本版マスキー法)は当初、1976年度から実施することと
されていたが、技術的困難、達成した場合における性能低下や輸出競争力低下等を
論拠とする産業界からの強い反対があったことで、その実施については紛糾を重ねた。
しかし、自動車排出ガス規制を求める世論の高まりの中で、至難といわれた
自動車排出ガス低減技術の開発が急速に進められ、結果的には1978年に2年遅れで
あったものの、当初目標通りの規制が実施された。』

番組は、この難問に対して寝食を忘れて果敢に挑み続けたホンダ技研の技術者たちを
追ったもので、体育の授業中にグランドで倒れる子どもたちを救うために・・
と必死になって低公害エンジンの開発に努める彼らの横顔が映し出されていた。

彼らの真剣な眼差しに心を打たれた息子は、一企業として他社に先駆けて
優れた製品を生み出す・・ということ以前に「自分たちが社会(世界)のために何を
為すべきか。
どのような貢献ができ得るか。」について純粋に取り組んでいる彼らの姿に
深い感銘を受けたようだった。
しかもホンダは発明した技術を独占することなく、その年の内に世界中の
自動車メーカーに対して特許を公開している。
他社との開発競争に勝つためではなく、人々の健康を守るため、そして子どもたちに
安全な環境を提供するためにと懸命に取り組んでいる様子には、息子だけでなく
一緒に観ていた私にも熱く込み上げてくるものがあった。

さて、以前のメルマガで、心理学者アドラーが言うところの「共同体感覚」について
書かせて頂いたことがあったが、ここで云う「共同体」とは、狭義では一つの団体
として「一企業」ということになるのだろうが、広義においては「国家」、
さらに広い視点を持つことが可能であれば「世界」をも含めた「人類共同体感覚」
と捉えることができるのかもしれない。

このことは決して夢物語などではなく、新型コロナによるパンデミックや、
温暖化などに代表される地球環境問題など、今や人類は一企業や国家レベルでは
解消しきれない大きな問題に対して、ミクロとマクロを等価値に捉えることができるか
否かが問われていると言える。

これは国家同士の対立やイデオロギー論争、宗教、文化、教育など、
あらゆる分野において起こりがちな軋轢においても共通することである。

話を戻せば、シャーデンフロイデとは「自己と他者」そして「自分たちと奴ら」
という対立的構図の中に在って、自らの位置すら俯瞰できない視野狭窄的な心に
巣食う「盲目的世界観」から生み出されるエゴに起因しているのではないかと思われる。

たとえば、地球の反対側でジェット旅客機が墜落し、乗っていた500人が
亡くなったとする。
それを知らせる国内メディアの最初の台詞が「日本人乗客は含まれておりません」
では悲しいではないか。
もしこれが国内で起こった事故であれば昼夜を問わず現場からの実況中継を続ける
だろうに、あまりに素っ気ない。まるで、知らない者のことなどかまっていられない。
無関心なのも当然といった具合である。

オリンピックやワールドカップに沸くのもけっこうだが、同族意識的に自分の国を
応援するだけでなく、海外からやってきた選手ひとり1人のプロフィールにも目を
向けてほしいものだし、贔屓するチームが残念ながら敗退したとしても、
真にその競技を愛するというのであれば、観続けるはずなのだが・・
あなたはどうだろうか?

船井総研の総帥であった故・船井幸雄氏は「包み込みの発想」という言葉を残している。
これからの企業は、損か得かではなく、敵か味方かではなく、好きか嫌いかでもなく
、自分の尺度で相手を測るのではなく、とにかく何でもかんでも包み込んでしまえ!
というのである。

目先の利益に囚われず、広い観点から様々な角度で捉え、自己と他者(自分たちと奴ら)
の垣根をできるだけ取っ払う。
うちの社員だからと囲ってしまわず自由に学ばせ、異業種とも積極的に交流し、
無関係と思える業種にも敢えて手を触れ、一歩踏み込んでみる。

こういった姿勢を持つことで視野が広がり、シャーデンフロイデが如何に野卑で幼き感情
なのかを理解できれば、それこそ「真の大人の関係」を築けるのではないだろうか。
成熟した社会は、成熟した個人の集合によって実現に近づくことができるのである。
◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.129(2023年10月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"手島由佳さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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こんにちは。養成講座36期生の手島由佳(てしまゆか)です。
私は企業でISOマネジメントシステムの運用管理に関わる業務と、
社員の相談窓口を担当しています。私のキャリアコンサルタントとの出会いは、
もともと心理学やカウンセリングには興味があったからでしょうか、
偶然目にしたキャリアコンサルタントに関する紹介記事を読んだのがきっかけでした。
人事労務関係の仕事経験もあり、その延長線上にある学びかもしれないとイメージした
のと、自分の仕事であるISOマネジメントシステムに造詣が深いテクノファさんが
養成講座を開講されているというのはどういうことなのか気になり、ちょっと説明を
聴いてみてもいいかなというところから始まりました。

説明会では、受講生みんながお世話になっている、テクノファご担当のIさんから
ご説明があり、私が気になっていた「なぜISOの研修機関であるテクノファが
この講座を始めたのか」ということについては質問するまでもなく、「そこは不思議に
思われるところかと思います。」と言及され、「どんなにいいマネジメントシステムや
マニュアルを作ったとしても、それを使うのは人、人が重要、大切なんだという当社の
会長の考えに基づいて始まりました。」というような説明をうけて(正確に覚えていな
くてすみません。)、マネジメントシステムと人のつながりの深さのようなものを感じ、
このような姿勢で講座が企画されていることを聞いてホッとした自分がいたと記憶し
ています。

さて現在私は、ナラティヴ実践協働センター(NPACC)というところで、
ナラティヴ・セラピー実践トレーニングコースで学んでいます。この2年間のコース
で、ただいま2年目の半分が過ぎました。また今年の夏休みは「ニュージーランドで
学ぶナラテイヴ・セラピー ワークショップ」にも参加することができました。
ニュージーランドのマオリ文化に触れさせてもらい、仲間と存分に語り合い、
学び合える時間は、私が今までに経験したことのない濃くて充実した贅沢な時間を
提供してくれました。
そのナラティヴ・セラピーですが、どういうものか、なかなか一言では説明
しづらいのですが、オーストラリア人のマイケル・ホワイトとニュージーランド人の
ディヴィッド・エプストンが形作った治療的な枠組みのことを言います。
私がナラティヴ・セラピーの、何に魅かれて学んでいるのかというと、まず、
関係性の中での人のありようというか、相互に敬意をもって関わることを大切に
しているところです。
例えば、カウンセラーとクライエントのセッションの場面においては、カウンセラー
であるということによって、意図せずとも専門家という権力が付与されてしまいがち
です。そのことをカウンセラー自身がよく理解した上で、クライエントが語りづらく
ならないよう精いっぱいの配慮をすることがあります。
また「人が問題ではない、問題が問題である」という姿勢で、問題をクライエントの
内部から外に取り出すことで、語りやすくする工夫をしたり、「その人生(問題)の
専門家はその人自身である」という考え方を用いて、クライエントを問題の専門家
として会話に招き入れます。
さらに、より生きやすく、居心地の良い場所に向かっていけるよう、クライエントの
今まで生きてきた中での経験や技術を、カウンセラーが証人となって認証すること
などもあります。
まだほかにもありここでは書ききれませんが、このようなところに魅かれて学び
続けています。

ところで私は、ナラティヴ・セラピーの「人が問題ではない、問題が問題である」
と聞くと、仕事で携わっているISO9001品質マネジメントシステムの「問題が
起きた時、その原因を人に求めない」というのを、ときどき想起してしまいます。
これは、問題の原因を人に押しつけてしまわず、「なぜ、なぜ、なぜ」とその問題が
起きたプロセス(時にシステム)を深く検証分析し、原因を探し出して有効な措置を
講じ、再発しないようにするというものです。品質の保持・向上、安全に作業する
ためにはとても重要なことです。
さらに加えれば、そこで働く人たちはその仕事の専門家ですから、そのプロセス
には、たくさんの経験や智慧が詰まった物語があると思っています。
その物語を語れる場があり、会話することは、手順や手法のベストプラクティスや
改善の種を探すことにつながっていくし、人と人とが協働し、誰もが活き活き
とした仕事人生を送っていけることにつながる希望が詰まった仕組み、マネジメント
システムになっていくエネルギーになるのではないかと考えています。
そういう思いを胸に秘めながら、これからも学び実践し、振り返りながら進んで
いこうと思っています。

NPACCについてご興味ある方はこちらのホームページをご覧ください。
また現在、私たちトレイニーは無料のカウンセリング(リンク先)を提供して
いますので、ご協力いただければ幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.128(2023年9月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
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いまどきの若者たち

つい先日、男子中学生が列車に飛び込み自ら命を絶った。
この出来事は、夏休みが終わる時期に差し掛かっていたこともあってか、ニュースでは
所謂「9月1日問題」のひとつとして扱われたようだ。(2016年に内閣府が公表した
過去40年間の統計に拠れば、18歳以下の自殺が最も多い日が9月1日であった
ことから、通称「9月1日問題」と呼ばれるようになった。9月1日は、日本の学校に
おいては夏休みが終了して二学期が始まる日として設定されている。)

日本には「若者の死因のトップが自殺」という嘆かわしい現実がある。
近年、多くの企業においても職場におけるメンタルヘルスが個人的な問題に留まらず、
全体で取り組むべきリスクマネージメントとして不可欠な課題となっている。
重苦しい内容で恐縮だが、今回は未だ社会を知らない学生にとって、または人生経験が
少ない若者たちにとって「絶望」とはなにか? について絞り込んでみたい。

絶望して動けなくなってしまう例は若者だけに限ったことではなく、中高年においても
増加傾向にあるようだ。しかし、窮地に立たされ、もがき苦しんだ末に八方塞がりの
状況から来る絶望感と、未だ行動すら起こしていないにもかかわらず悲観的予測だけで
フリーズしてしまう絶望感を同列に扱うことはできないように思う。

むろん改めて言うまでもなく、人の心は千差万別であり、それぞれ事情が異なるだろう
から一般化することなどできないし、ヘタに一般化やカテゴライズすることによって
個人が見えなくなってしまう危険もある。
しかし、そうは言いながらも多くの事例には幾つかの共通するパターンを見つける
ことはできる。

ただ、ひとくちに「若者」といっても、その傾向は「昔の若者」とはずいぶん違った
様相を見せている。
「若者」を理解するために、先ず中高生の傾向について述べてみたい。

夏休みが終わる間際に自ら人生の幕を降ろした彼らは、または彼女らは、おそらく
何らかの悩み(事情)を抱えているが故に「学校に行きたくない」という気持ちを
隠し持っていた・・。
(自殺に至る「要因」は幾つも考えられる。友人関係・いじめ・孤立・学習の遅れ
・苦手な科目・極度の精神的疲労・教師への嫌悪感や怖れ・・
そして残念なことだが、意外にも多いのは「親が発する言葉や態度から受ける
プレッシャーや兄弟(姉妹)間での比較評価」だったりする。
いくら行きたくない気持ちが強くとも、いかに集団が怖くとも、そんなことは
誰にも言えないし、けっして口に出してはならない・・家族や親しい友人たちにすら
漏らしてはいけない・・
周囲に気づかれてもいけない・・と強く思い込んでいる。
また、常に明るく笑顔でいることが何よりも重要であり、クラスメイトの前では
もちろん、家庭内においても暗く沈んだ表情を親に見つかって心配されることなど
絶対に避けなくてはいけないと思い込んでいる。
さらに、学校とは何があっても絶対に休んではいけない。たとえどんなにイヤでも、
辛く苦しい気持ちを押し殺してでも欠席は許されない・・
このような葛藤に悩む子たちは、苦しい思いを友人にも語らず、親にさえ頼ることがで
きないまま窮地に追い込まれていく。
自分を守ってくれると信じていた親でさえ登校を強いる「敵」だとすれば、
自分の棲家とて「安心できる場」ではない。となれば残された方法は自分の部屋に
引きこもるしかないというわけだ。
むろん親としては自分が我が子から「敵」だと思われているなどとは夢にも思っておらず、
「いま此処」で苦しんでいる子どもの心情をよそに「将来の心配」ばかりが先行する・・
困惑する親の姿を見れば、いかに心の痛みや苦しさを訴えようとも味方になって
くれそうもない・・と諦めてしまうことだろう。
未だ社会を知らぬ子どもたちにとって、世界は「家」と「学校」しかないのである。
じつのところ、他に居場所を持たぬ(知らぬ)未熟な子どもであるがゆえに、
逃げ込める場所が見つからないことこそが彼らにとって「絶望」なのではないかと
捉えることができよう。(残された道は「あの世」しかない。)

加えて、自殺する子がよく使うキーワードに「人生おわった」というのがあるが、
先述したとおり未だ社会に出たことすらなく、進路さえ決めていない時期に在る学生が
絶望などできるはずがない。
だが、彼らはその狭い世界観において、周囲の者たちの進行状況と自分のそれとを比較し、
「自分だけが置いてきぼりになってしまった。」といった孤立感から始まり
「もはや追いつけない。」⇒ もうおしまいだ⇒ 絶望的だ・・
と連鎖反応的に堕ちていくようである。
つまり、順調(100点)に事が運ばなければ、すぐに最悪(0点)だと極端な結論に至る。
「100 or 0」といったステレオタイプ的な判断において80点や65点という評価は
存在しないらしい。

この件については、子どもたちが「できていないことばかりに焦点化された減点法的な関り」
と「比較評価」に晒されてきたことに起因しているのではないかと思われる。
頑張ったり努力したプロセスなど全く観てもらえず、結果(成果)だけで判定を受ける
ことが繰り返されれば、自己肯定感や自尊感情を著しく低下させ、僅かな有能感や
自己効力感まで失われてしまう。
「高校くらい出ていないと苦労することになるぞ。」とか、
「こんな点数では高校に入れないぞ。」といった周囲の大人たちから頭ごなしに言われた
脅し(恫喝)によって不安感が喚起され、学習への意欲どころか向上心まで低下させて
しまっているのである。

また、せっかく導入されたキャリア教育も残念ながら未だ「進路⇒就職」のためのもの
としか捉えられておらず、キャリアという言葉自体が進学や就活に限定された狭い領域で
しか解釈されていないように思えてならない。
そもそもキャリアとは、人生全般を対象にしているはずだが、学生たちが「人生の本番」に
すら達していない準備期間の最中にもかかわらず「レールから外れたら人生が終わってしまう」
「もう人生は終わった」「取り返しがつかない」などと思い込んでしまっているとすれば、
「キャリア教育の失敗」または「キャリアの誤認」が起こっていることを認めざるを得まい。

さて、ここから先は範囲を広げて「若者」という言葉に置き換えて捉え直してみたい。
一般的に「若者」という括りは概ね30歳半ばあたりまでを指すようだが、
彼らもまた社会人になったとはいえ学生たちが言うところの「絶望」や「人生終わった」
と似たような感覚が観て取れる。
たとえば、レジリエンスの低さや悲観的に捉えてしまいがちな傾向は、同居する勝手気まま
さや変にノリが良くて笑いと共に盛り上がっている様子と相反する性質に思えてしまうが、
このような大きな浮き沈みこそが、絶望に至る前兆なのではないかと思えたりもする。

厚労省は、「進学率や就職率」しか注視していない文科省と違い、若者たちの離職率の高さ
(定着率の低さ)を懸念しているがゆえに「セルフキャリアドッグ」の導入や
「内的キャリアの意識化」に向けたキャリア支援など、様々な工夫を試みている。
しかし彼らは絶望する。
なにかひとつ歯車が狂ってしまえば、すぐに終了のボタンを押してしまうのだ。

おそらく、職場における減点法的な評価も学校や家庭のそれと変わらず、足りていない部分
ばかりが指摘され、いくら努力しようとも成果しか見てもらえない。
言うまでもなく頑張った姿勢や結果に至るプロセスなどはまったく以て評価の対象とはならず、
「頑張った甲斐がなかった・・」という落胆と不快が入り混じった体験が幾度も
繰り返されるのである・・

経済成長が著しかった昭和の時代とは大きく異なり、すでに10年近く働いているのに
お給料は殆ど上がらず、出世するどころか名ばかりの役職を押し付けられ、増えるもの
といえば責任だけ・・
このように将来に対して希望を持てないという点では、推測ではなくリアルであるだけに
学生よりも深い傷を負っていると言えるだろう。

「最近の若者は我慢というものを知らない。」「忍耐力がない。」「打たれ弱い。」
「何かあればすぐに辞めると言い出す。」「叱責すればパワハラと言われる・・」等々。
昭和から平成を経て現在に至る管理職の方々は彼らの甘さばかりを指摘する。
だが、このようなジェネレーションギャップは、自分らの体験を尺度にして若者たちを
測ろうとしているかぎり埋まることはないだろう。

いま求められることは、彼らの心情をできるだけ理解しようと努め
「声を聴こうとする姿勢」であり、けっして「言い聞かせること」ではないし、
「昔は・・」とか「俺らの頃は・・」から始まる「体験談という名の自慢話」
を聞かせることでもない。

ただ、黙って彼らの言葉を聴くだけでも彼らに近づくことができると思うのだが、
いかがだろうか。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.127(2023年8月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"北林孝顕さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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皆さま、はじめまして。私はメーカーで人事を担当しております北林孝顕と申します。
テクノファキャリアコンサルタント養成講座の第46期修了生です。

キャリアコンサルタント養成講座を受講しようと思ったきっかけは、若手・中堅社員
の離職の増加です。離職する理由は人によって様々ですが、総じて、「現状への焦り」
や「もっと成長したい」という思いがあるように感じていました。

この離職の問題をどのように解決するのか。彼らがやりがいをもって、活き活きと
働き続けるためにはどうすればよいのか。こんなことを日々悩んでいましたが、
いろいろ調べていくうちに、これらの問題を解決するキーワードの1つとして、
「キャリア」という言葉が浮上してきました。
しかしながら、私自身、キャリアに関する知見に乏しく、企業のなかでキャリアを
どのように扱ったらよいのかがよくわかりませんでした。
また、自分自身も、今後どのようなキャリアを歩んでいこうかについて悩んでいた
時期でもありました。
そこで、どうせ勉強するなら資格を目指すことで本気になって勉強してみようと
一念発起し、キャリアコンサルタント養成講座の受講を決意しました。
そして、数ある講座のなかでも、最も重要だと感じていたキャリアカウンセリング
に強みがある点、コロナ禍ということもあり、オンラインで受講可能だった点、
良心的な価格であった点等の理由から、テクノファの講座を選択しました。

本講座の受講に際しては、オンラインということもあり、学習効果に不安もありましたが、
テクノファのスタッフの献身的なサポートや、素晴らしい仲間にも恵まれ、本当に充実
したものとなりました。
テクノファの養成講座で一番良かったのはCDW(キャリア開発ワークショップ)です。
これはキャリア開発について学ぶ前に、まずは自分自身のキャリアについて考えて
みようというワークショップです。自分自身のキャリアプランニングを行い、自分自身
の働く意味の明確化を行い、他者との違いを理解することで、支援者のあり様を学ぶ
ことができました。

企業のなかでキャリアをどのように扱ったらよいのかについても、自分なりに理解が
進みました。今までは、キャリアはどちらかというと企業が主として決めるものであり、
従業員側はそれに従うのが当然だという考えがやや強かったのではないかと思います。
しかしながら、多様性が益々尊重されていく現代においては、従業員1人1人の
成長と企業の成長をいかに重ね合わせ、共に成長していくことが重要になっていくの
だと自分なりに解釈しました。
この解釈をベースに、会社の仲間と更に議論を重ねた結果、従業員には自分の
キャリアは自分で考えていいということをもっと理解していただく必要があるし、
企業側はもう少し従業員に寄り添い、従業員のキャリア開発を支援していく
必要があるという結論に辿り着くことができました。
今では、キャリアサポートガイドブックの配布、世代別キャリアセミナーの開催、
キャリア相談室の設置、上司・部下間の1on1の推進など、少しずつではありますが、
当社のキャリア開発支援も進みつつあります。

また、自分自身のキャリアの方向性についても、テクノファの養成講座のなかで
多くのヒントが見つかり、かなりスッキリすることができました。
一方で、その後に受講した社外の「リーダーシップ・トレーニング」が内省を更に
深める良い機会となり、自分自身のキャリアの方向性を言語化することができ、
その道筋を明確にすることができましたので、参考までにそのトレーニングの
概要を少しだけ紹介させていただきます。

2022年1月、無事、企業内キャリアコンサルタントとしてスタートを切ったのですが、
自分自身のキャリアの方向性についてはズッとモヤモヤしている状況が続いていました。
そのような状況のなか、社外の「リーダーシップ・トレーニング」を受講する機会を
いただきました。それは大自然のなかで自分と向き合い、仲間との対話を重ねることで、
「本当の自分」をとことん追求し、自分の将来ビジョンへの次の一歩を宣言するという
トレーニングでした。このような自己内省型のトレーニングは、世の中にいろいろと
あると思うのですが、このプログラムの特徴としては、モンゴルの大雪原という
非日常の世界に身を置くことによって、徹底的に自分と向き合う覚悟が生まれる点や、
優秀なコーチや仲間が様々な視点で質問を投げかけてくれることによって、より深い
内省へと導いてくれる点が挙げられます。
このトレーニングを経て、自分の将来ビジョン、自分が本当に大事にしている価値観、
自分がこれから進みたい道が明確に見えるようになりました。
本当の自分と向き合うためには、時には昔の嫌な経験とも真正面から向き合う必要が
あるため、実は辛い側面があると思うのですが、それを受け入れることができたのは、
テクノファの養成講座を受講し、キャリア開発の全体像を理解しているというベースが
あったからだと思っています。

そういう意味では、テクノファの養成講座から始まった私のキャリア開発の旅は、
モンゴルのリーダーシップ・トレーニングでひとまず完結したと思っています。
テクノファの養成講座とモンゴルのリーダーシップ・トレーニングには心より感謝を
申し上げたいです。

最後に今後の展望ですが、企業のキャリア開発に関する取り組みも始まったばかりですので、
まだまだ頑張っていかないといけません。また、個人のキャリアについても、進みたい道は
明確になったものの、まだまだ道半ばですので、これから悩むことも多いかと思います。
しかしながら、今後も会社の仲間と協力し合いながら、かつテクノファの仲間とも情報交換
を続け、お互い切磋琢磨しながら、自分の将来ビジョンに向かって一歩一歩進んでいければ
と思っています。
また、企業での取り組みついては、いろいろと悩みながら進めている状況ですので、
同じ悩みを持っている方は是非とも意見交換させていただければ幸いです。
今後も周囲に感謝しつつも、「本当の自分」を大切にしながら、日々生きていきたいと
思っています。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.126(2023年7月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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アンコンシャスバイアスについて学ぼう

先日「アンコンシャスバイアスを理解したクライエントサポート」なる講座を
受ける機会を得た。

「アンコンシャスバイアス」とは、無意識的に持ち合わせている偏見や思い込み。
または先入観などを意味する言葉であり、「自覚していない無意識な状態」を意味する
「unconscious」と、「偏見や先入観」を意味する「bias」とが組み合わさっている。

無意識的にというのは、誰もが成育歴の中で遭遇する経験や周囲から得られた情報、
または過去に関りを持った他者(特に「親」)からの意見などを無意識のうちに取り込
むか、または養育環境によって刷り込まれながら時間をかけて形成されているという。

それゆえ誰の心の中にも多かれ少なかれ確実に存在するものでありながら、自分自身
にとっては「ごく当たり前のこと」であり、あまりにも当然すぎて疑問に感じることが
ないだけに、どれほど意識して自らを俯瞰しようと、敢えて客観的になろうとも、
自覚するのは容易ではない。

『無くて七癖、あって四十八癖』という諺がある。
人とは多かれ少なかれ何らかの癖を持っており、一見すると癖が無さそうに見える
人でさえ七つくらいは癖があり、いかにも癖が多そうに見える人であるなら四十八
もある!と言われる。
「アンコンシャスバイアス」は「癖」とイコールではないが、間違いなく誰もが持っ
ているという意味において両者は似たようなものであり、言わば「思考の癖」という
か「捉え方の癖」と言ってよいかもしれない。

さて、去る2022年11月に内閣府の男女共同参画局は「性別による無意識の思い込み
(アンコンシャスバイアス)に関する調査研究」を公表しているが、その中で性別的な
役割についての調査結果を見ると、男女共に「男性は仕事をして家計を支えるべき」
の項目が一番高く(男性48.7%VS女性44.9%)となっていた。
これはつまり「女性は家を守るべき」という思い込みもまた同時に存在していること
を表わしている。

これでは、せっかくの「男女雇用機会均等法」や「待遇の改善&確保」も自ら放棄して
しまうことになる上に、形骸化というよりも、そもそも成立当初から成り立っていなか
ったのではないか?と思えてしまう。
未だにこのような結果が出ていることは、いかに日本が「先進国」を名乗ろうとも、
こと意識面や文化面においては未だ発展途上に在ることが露呈されたようなものであり、
きわめて残念に思う次第だ。

アンコンシャスバイアスは性別に関する問題ばかりではない。

アンコンシャスバイアスは、「様々な認知バイアスや効果(行動経済学にも応用されている)」
や、心理学で云うところの「イラショナルビリーフ(非合理な思い込み)」と同様に、
人は自分の言動や在り様の中に無自覚な思い込みや偏見が潜んでいることを知らずに
いることが多く、言うならば夢遊病患者の如く、目だけは見開いて立っていても眠って
おり、とことん考え抜いた上で判断しているように見えても、じつのところは何も考えて
おらず、自身の中に巣食う思い込みや偏見に従って反応的に動いているだけなのである。

「長男は家を継ぐものだ・・」「お墓は誰が守るのだ?・・」「公私混同するものではない・・」
「男のくせに・・」「女のくせに・・」「学生らしく・・」
他にも出身地による階級差別的な意識や伝統という言葉によって固定化された因習など、
丁寧に拾い挙げればキリがないが、巷には少なく見積もっても300を超える
アンコンシャスバイアスが根付いているという。

意外なのは福祉領域においてさえ「慈悲的差別バイアス」が幾つも見られることだ。
「障害者はかわいそう・・」「身体が不自由なのだから仕事を減らしてあげよう・・」
これらは一見すると「思いやり」のように思えてしまうが、そのようなことを当事者が
望んでいるか否かを確認することなく一方的な憶測や気遣いによって、
さも親切心でもあるかのように誤認されていることがある。

こういったバイアスに無自覚な場合、援助者は良かれと思いながらクライエントに
対してマイクロアグレッションを幾度も浴びせかけることで心に傷を負わせることになる。
たとえば、本人が何も言っていないのに勝手な思い込みを以て「いつも辛いことばかりで
大変ですね・・」などと声をかけてみたり、車いすで外を散歩している人を見ただけで
「うん。がんばってね。負けないでね。」などと妙なことを口走ったりするのである。
また、本人が望んでもいないのに気を利かせ、「体が不自由なのだから誰にでもできるよう
な作業の方がいいでしょう・・」と一方的に決めてしまう人もいるだろう。
これら不要な配慮やいらぬ気遣いは支援者側の無自覚さに因って生じていると言えよう。
まさに「余計なお世話」である。

また、謙遜や遠慮の中にも「インポスター(詐欺師)」と呼ばれる自分への過小評価や
自己否定的な発言があるが、これらもまた自らの成長にとって悪影響となるバイアスと
言えよう。
「いやあ、運が良かっただけですよ」、
「私なんか何の取り柄もないからダメですよ。」
「私、傷つきやすいんです。」

加えて自己奉仕的なバイアスでは、成功は自分の力に拠るものだが、失敗は外的な要因に
由るものだという言い訳的な思い込みがある。
「チームのメンバーに恵まれなかったから成果が出せなかったんです。」
「あいつさえきちんとやってくれていたらねえ・・」
これではチーム内は不信感で溢れることになる。

人は、誰もがアンコンシャスバイアスに冒されている。

日々の生活の中でも、自分だけの価値観や考え方に合わせた都合のいい情報だけに目を
向けていることは多い。
「大企業にお勤めだから安定していて不安などないでしょう・・」
「〇〇大学を卒業されたなら仕事面でも成果を出せそうですね・・」
などと言ってはいないだろうか。

または、人をタイプに当てはめて断定的な決めつけをしてしまう者もいる。
「なるほど、きみはB型(血液型)だから仕方ないね・・」、
「そもそも教師などという族はだな・・」、
「〇〇を務めている立派な方だから、きっと人柄もいいに違いない・・」、
「みんながそう言っているのだから間違いないだろう・・」、
「〇〇のくせに、こんなこともできないんですか!」

歪んだバイアスによって、相手を傷つける言葉をまるで息を吐くように何気なく発してしまう。
「意外に〇〇なんですね。」「そんなの常識でしょ?」「誰だってそう思いますよ。」
「〇〇だから仕方ないですね。」「絶対にそうですよ。」・・・「ただね・・」「どうせ・・」
「普通は・・」「いっつも」「それくらいのことで・・」などである。
自分の言動に気がついていないのだから罪はない・・そうだろうか?

少なくとも援助者を名乗る者であるならば、または信頼関係を基礎とする職種に就いて
いるのなら、でき得るかぎり自分を俯瞰し、他者が発する言葉から自ら戒めを以て取り組む
必要はあるだろう。
(ここで「~べき」)と書く「べき」ではないね・・(*^-^*) 

※「アンコンシャスバイアスを理解したクライエントサポート」は
テクノファの更新講習で学ぶことができます。
自分自身を知るために、無自覚なまま相手を傷つけてしまわないためにも、
ぜひ受講されることをお薦めします。
以上  ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.125(2023年6月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"富永大祐さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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キャリアコンサルタント養成講座15期生の冨永大祐です。職業は社会保険労務士と
キャリアコンサルタントです。(これ以降は、社会保険労務士の略称「社労士」を使
います)
私は、大学卒業後に横浜市内の社労士事務所に就職して、働きながら社労士資格を取得、
2019年には社労士事務所の役員に就任。
そして、24年目となる2023年4月1日、独立して、横浜駅の近くに
「L&C社会保険労務士事務所」を開業しました。
これまで、横浜市内を中心に延べ約90社の中小企業の顧問社労士として、
日常の労務相談や書類手続きなどを行いました。
開業後に友人から「理想的なキャリアだよねー」と言われました。

私が養成講座に入学した最初の日のことは忘れもしません、自分自身の結婚式の前日で
した。
初日の自己紹介で「明日、自分の結婚式です」と話したときに、同級生から「え!そん
なときにこんなところにいていいの?」と言われたのを覚えています。
伊良波さんから「初日のオリエンテーションとCDWだけは休むことが許されない」と
言われていたので、むしろ式と同じ日でなくて良かったのですが、今思えば、もうちょ
っと別の時期の入学は無かったのか?とも思います。しかし、あのときは、自分自身の
キャリアに悩んでいた時期でした。

私が大学卒業後に社労士事務所に入社したのは、1999年7月。
そうです。4月ではないのです。
実は私は、1999年3月に大学を卒業しましたが、当時は就職氷河期でしたのでその影響
で就職できず・・・
というのは表面的な理由で、私の場合は就職活動を始めた時期は遅く、費やした労力は
少なく。それでも、よく分からないまま採用試験を受けた会社から内定をもらいました
が、どうにも行く気にならず辞退。いま思うと、形ばかりの就職活動をしたものの「働く
ことの意味や理由が定まらずさまよっていた」のが無職のまま卒業した理由です。
いきなりこじらせてしまった私の就職活動ですが、「大好きな横浜で働きたい」という希
望はあったので、卒業後も就職活動を続け、ある日ハローワーク横浜で社会人向け求人
を見ていたら、たまたまその社労士事務所の求人を見つけて、応募したら採用されてし
まったのです。
「採用されてしまった」と書いていますが、書き間違いではありません。私の心情として
はその通りです。当時は面接で何かをアピールできたとも思えず、社労士職に思い入れ
があるわけでもなかったので、採用の連絡を受けたときは本当に驚きました。

さて、面接時には「将来は社労士になりたいです」と言ったものの、経済学部卒業の私は、
社労士に必要な知識はゼロでしたし、大学でも法律系の講義は嫌いでした。入社前は、
社労士は法律職ということすらあまり理解していませんでした。
なんとなく「数字より人間のことを扱う仕事の方がおもしろそうだ」と思っていただけ
です。
そんな状態ですから、仕事は毎日やっていましたが、毎年の社労士試験は散々です。
(言い訳ですが、試験日の直前2ヶ月間が社労士事務所の繁忙期です。)
仕事に必要な資格とはいえ、試験勉強のモチベーションはそんなに何年も続きません。
最初の2、3年はやる気があっても次の2、3年は惰性。この繰り返しが2周して
10年。「そろそろ他の仕事に就こうかな。どこかの会社の人事の仕事だろうか…」
「ああ! いったい俺は何がしたいんだーー?」
でも、仕事はおもしろかった。
何がおもしろいのかを自問自答していくと、私は人の話を聴くことが好きなんだ、
相談されたがり体質なんだと気がついたのです。
私が勤めた社労士事務所での私の仕事は、書類手続きが5割、残りの5割は顧問先
の社長や総務担当者からの労務相談や雑談。中小企業の社長、総務担当者、時にはその
会社の従業員個人から労務問題や自身の悩みを聴いたり、世間話をしたり。問題解決を
したり悩みに寄り添ったりすることは、毎日やっていても飽きない自覚はありました。

勤続が長くなるにつれ担当する顧問先数が増え、それに比例して相談件数が増える。
だから、仕事を変えたいような変えたくないような、そんな悶々とした日々を過ごして
いました。
そんなある日、とあるキャリアコンサルタントの人から、キャリアコンサルタントの
仕事内容とテクノファの講座の評判を聞いたのです。
「誰かの人生やキャリアの悩みを聴くことが仕事!?」「そもそも今の自分の悶々とした
事を解決したい」「それって、めっちゃ楽しそうだし、勉強内容も法律系から心理系まで
興味あることばかり!」「テクノファに行ってキャリアコンサルタントになりたい」
私の中のニーズが完全一致して入学しました。

入学後の体験がどうであったか、これを読んでいるみなさんには分かってもらえると
思いますので省略しますが、養成講座の内容は私にはすべて興味深くおもしろかった
です。そして良い仲間や先生に出会えたと思っています。しいて言えば、プリントで
読んだ「人生のわき役」という記事に深く考えさせられました。「自分は自分の人生の
主役であると同時に、他人の人生のわき役なんだ」という内容でした。今でも、カフェ
や駅などで行き交う人々を見ては思い出します。

ところで、キャリアコンサルタント養成講座を終えた私は、雇用保険の教育訓練給付金
を申請するためにハローワークへ行ったのですが、そのときのできことを紹介します。

私が申請書類を提出したとき、申請窓口の担当職員が「テクノファ・・・? 聞いたこと
ない学校名ですね。実は私、こういう職業柄なので、キャリアコンサルタントの養成講座
に通おうかと思っているんですよ。テクノファってどうなんですか?良いですか?」と
聞いてきたのです。私は「それだったら、テクノファは良いと思いますよ。最初に合宿が
あるのでそれだけは大変かもしれないですが、自分自身のキャリアを見つめなおすこと
ができますし、いろんなバックボーンを持った同級生と知り合えて、学びあえるし、同級
生同士でも勉強会をやったりして。試験を受けなくても養成講座に通うだけでも自分を
見つめなおすことができるし、成長につながりますよ」というようなことを話したので
す。そうしたら、担当職員が「今まで、キャリアコンサルタントの学校に通って給付金申
請に来た人たちから学校についての感想を聞いてきたけれど、みんな、資格をとっても
良いこと無いとか、授業料が高いとかそんな話ばかりでした。通って良かったと言った
り、学校について褒めた人は初めてです。テクノファの名前を憶えておきます。」と言っ
たのです。
当時はキャリアコンサルタント資格が民間資格のときであったので学校によって凸凹が
あったかもしれませんが、テクノファを誇らしく思った一場面でした。

さて、テクノファに通った効能の一つとして、社労士の仕事に向き合いなおすこともで
きた私は、その後、社労士試験に合格することができました。そして今年、ありがたいこ
とに前事務所で担当していた顧問先企業の一部を引き継ぎ、社労士事務所を開業しまし
た。引継ぎを快諾していただいた顧問先には感謝しています。それと同時に、キャリア
コンサルタントとしても活動していきたいと考えています。

私は、テクノファでキャリアコンサルタント資格を取得したあと、2級キャリアコンサル
ティング技能士の資格も取得しました。この二つの資格を取る過程の勉強と実技訓練で、
私の面談スキルは飛躍的に向上したと思いますし、社労士の仕事にとても役立っている
実感があります。
私の場合は、クライアントである顧問先企業から毎月の顧問料を受け取りながら、日常
の社会保険の手続きや労働関連の相談を行うのが業務です。この中で私が重視している
のが顧問先の担当者(主に社長や総務部長)からの相談です。

クライアント「AをBしても大丈夫でしょうか?」
社労士「それは労働基準法の〇〇に抵触するからできません」

こんな相談ならば答えは単純、簡単です。知識があれば誰でも同じ答えができますし、
書籍やインターネットでも答えを得ることができます。
しかし、そうではない相談があります。

クライアント「AをBしても大丈夫でしょうか?」
社労士「それは労働基準法の第〇〇条に抵触するからできません」
クライアント「でもBしたいんだよ。なんとかならないの~?」

この場合、
社労士「そうは言ってもダメです。できません。もしもそれをすると会社に罰則が…
(以下省略)」→クライアントを説得できるか失敗するか
この解答が社労士として正解ですが、私はこの解答でいいのかな?と疑問を持ちます。
キャリアコンサルタント、社労士、その他おおよそ何かを教える先生と呼ばれるような
仕事を「商売」の視点で考えると、実は、一番の商品は「顧客との信頼関係」だと思い
ます。書類を期日までに作成する、尋ねられた質問に正確に答えることも信頼関係の
構築には有効です。しかし「それなら私(または自社)で無くてもいいんじゃない?
インターネットで十分」と私は考えます。画一的な対応ではなく、相談者の心に寄り添う
コンサルティングであってこそ、クライアントにとって相談する価値があるのだと思い
ます。
では、どのようにして、クライアントにとって「この人に相談したい」と思われる存在に
なるのでしょう?
先ほどの事例では「でもBしたいんだよ。なんとかならないの~?」 このセリフを
どのようにとらえるのか? これが、私にとってはこの相談のポイントだと思います。
そして、ここで役立つのは労働基準法や社会保険などの知識ではなくて、傾聴やPCA、
キャリア形成のためのステップ等々で学んだことなのです。
ですから、私はクライアントのために法律知識や実務経験を向上させるだけでなく、
「今日の会話のあの質問はいらなかったな」「今日はあの人との信頼関係がアップしたな」
などクライアントとの面談を振り返りながら、日々の業務を過ごしています。

気軽に相談できる存在。誰にも言えない大事なことを話せる存在。自分の悩みを親身
に聴いてくれる存在。
クライアントにとってそういう存在で在りたい私。そのために継続的な学びと実践が
欠かせない私のキャリア。
これからもテクノファにお世話になること確実です。

 ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.124(2023年5月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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新年度が始まった。

今年から新たに社会人として働き始めた者たち。
または、異動によって担当部署や役割が変わった方々。
学生の立場であれば、遠くの高校に通うことになってこれまで仲が良かった
友人と会う機会が減ってしまったり、大学進学のために郷土を離れ、初めて
の土地で右も左も判らず不安になっている者もいるだろう。

いずれにせよ、これまでとは違った新しい環境に身を置くことは誰しも緊張が
伴うものだし、ひと月も経たないうちに古巣に逃げ帰りたい気持ちに駆られる
のではないだろうか。
もともと「五月病」とは医学的な病名ではなく、4月から5月にかけての連休
後になんとなく体調が悪くなり、会社に行きたくないとかホームシック的な
気分に見舞われる症状のことをいう。
以前は、高校や大学を卒業したばかりの新入社員や新社会人に多く見られて
いたものだが、今では転勤や転職、部署異動など新しい環境に変わったことが
きっかけで、中高年以上の層にも起こっているという。

ある決意を以て馴染んだ生活を捨て、敢えて新境地を求めた者なら尚更だろう。
予め困難な状況に陥ることは想定していたにせよ、軌道に乗るまでの期間は
次々に湧き上がる不安と戦いながら過酷な日々に耐えなくてはならない。

この時期には「心機一転」とか「改過自新」という言葉が多く遣われるが、
意味合い的には「刷新」と同義的な内容が含まれており、これまでの
「不本意ながらも耐えていた状態」から抜け出し、さらに「良い方向に向けて
改善を試みること」、つまり「様々な弊害を取り除き、新しい状態(状況)を
自らの力で生み出すこと」と解釈できる。

対義語としては「現状維持」「萎靡沈滞(いびちんたい)」ということになる
のだろうが、現状維持はともかく、「萎靡沈滞」は活気がなく退廃的で進歩や
発展が見られないという意味である。言うならば変化を拒んでいるがゆえに
次第に衰退していく様を表わしている。

さて、この数年間にAIは飛躍的な進歩を遂げ、様々な領域において一般化が
進みつつある。
既に爆発的に普及しつつあるチャットGPTなどは、誰もがその恩恵にあずかる
ことが可能となった代表的な例だろう。
おそらく、産業社会や経済界はこの先10年間で激変することになるだろう。
もちろん、それによる影響は我々の日常生活をも大きく変えてしまうことが
予想され、少なくとも現在の職業のうち3割近くが消滅してしまうと言われている。
しかも、多くの専門家が口を揃えるように、その変化速度は指数関数的に増して
行くのである

迫りくる「シンギュラリティ(技術的特異点)」を前にして
我々は何を為すべきなのだろう?

以下、ウィキペディアより~
シンギュラリティとは『科学技術が急速に進化・変化することで人間の生活が
決定的に変化する未来の時点を指す言葉である。
発明家にして思想家のレイ・カーツワイルによれば、技術的特異点とは技術的
「成長」が指数関数的に続く中で、人工知能が「人間の知能を大幅に凌駕する」
に至る時点のことであり、この「特異点に到達すれば、われわれの生物的な身体と
脳が抱える限界を超えることが可能になり、運命を超えた力を手にすることになる」
と述べている。
一方で情報科学・情報工学・社会情報科学などでは、「第四次産業革命」という
概念の方がより注目されている。』

・・引用おわり

どうやらこの世界は、近い将来においてグローバル化の波と共に更に途方もなく
大きな変化に晒されることは間違いなさそうだ。
指数関数的な変化というのは、これまでなら改革に50年ほどの期間を要したものが、
たった5年の間に成し遂げられてしまうという意味である。

振り返ってみれば、スマートフォンの所持率は2010年から年々増加し、
2010年には4%程度だったものが、2015年に50%、2019年に80%、
2021年に90%超え、2022年には94%を超えている。

スマートフォン、所謂「スマホ」は、持ち歩きできる「電話(通信機)」から始まり、
「パソコン」であり、「スティルカメラ」であり、「ビデオカメラ」であり、「テレビ」
であり、「ラジオ」であり、「録音機」であり、「計算機」であり、「翻訳機」であり、
「電子辞書」であり、「カレンダー」であり、「時計」であり、「新聞」でもある・・・
もはや挙げたらキリがない。
これだけの機能を満載した精密機械を子どもからお年寄りに至るまで当たり前な
ように持ち歩けるようになるとは、ほんの少し前まで想像すらできなかった。

現状は、我々が子どもの頃に観た空想特撮ドラマやスパイ映画のそれを大きく
上回っており、このような大変革が10年足らずの間に起こったことを鑑みれば、
けっして大袈裟ではないことが判るはずだ。

加えて、それまでは一般的ではなかったツイッターやLINE、または
フェイスブックやインスタなどのSNSや、タブレットを使った学習、
Zoomによるオンライン会議などの登場により、家を出ずして、または旅行先に
居ながらにして仕事ができる「ワーケーション」なる言葉も生まれた。
コロナ禍によって普及に拍車がかかったとはいえ、もはやSNSが生活の一部
になっている感は否めない。

このように加速度的な変化を続ける世界に生きている我々が、いま最も肝に
銘じておかなくてはならないことは、昨日まで当たり前だったことや慣れ親しんだ
ものに執着することなく、いかに潔く手放せるかであり、移り行く環境の変化を
意志的に受け入れようとする姿勢を持つことである。

このことは意外にも、お釈迦様が説いた「執着を捨てよ」&「無常を知れ」
と同義的な意味であることに驚かされるが、彼の教えは2500年を経た現代に
あっても十二分に通用するようだ。

おそらく、これまでのやり方への拘りや変化を忌み嫌うような態度では、
特に経済&産業界において、あっという間に浦島太郎になってしまうことだろう。

もちろん、新しいことが全て良いなどと言うつもりはないし、
伝統もまた尊重されたうえでのことである。
いつの世であっても変わらぬものがあってもよいし、変えてはいけないものもある。

しかし、その昔「ポケベル」を扱っていた会社が現状を守ろうと携帯電話の取り扱いを
拒んだために、ほんの僅かな期間で淘汰されてしまったように、また国内トップの
大企業であっても看板や暖簾にしがみついていたがために時代の波にのみ込まれ、
一気に消滅してしまった例も然りである。

これは企業体だけでなく、個人にも言えることである。
すでに「終身雇用」や「年功序列」、または「定年後の悠々自適な生活」など、
もはや幻想であることを我々は理解しておかねばなるまい。その意味では、
自身の体験だけをたよりに子育てを行なっている親ほど我が子を不幸にしてしまう
ことになるだろう。

また、この内容は個人におけるキャリアチェンジについて語る際にも留意しておく
必要がありそうだ。

慣れた業界、慣れた仕事、長らく馴染んでいたが故に、転職の場において未知の
業種に触れようとしない者は、それこそ隠れた才能や素質を開花させることを自ら拒み、
放棄していることを知る必要があるだろう。
著名な心理学者であるハー博士は、キャリアアップという表現を否定している。
キャリアにはアップもダウンもないのだ・・

部署替えにおいても、職替えであっても、キャリア・トランジションは人生における
チャンス(好機)でもあることを理解しておくべきだろう。
もう時間は待っていてくれないのである。

 ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.123(2023年4月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"佐久眞 盛春さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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「人生と仕事、そして経済、それは切っても切れない関係」

皆様、はじめまして。
PrivateFp合同会社の佐久眞と申します。
FP法人代表として、ファイナンシャルプランニングを通して、
相談者の生活を豊かにする支援を行っています。
テクノファキャリアコンサルタント養成講座の卒業生です。

私が、キャリアコンサルタントを目指した当時は、金融機関の課長として、
支店の営業目標達成の推進、部下のマネジメント、自ら顧客(個人・法人)
に営業の業務を行っておりました。
日頃から、マネジメントや営業に役立つ資格はないか考え、イキイキとした
職場環境を作り、キャリア形成することで、支店の営業目標が達成する可能性を
高めたい、顧客との営業で、ファイナンシャル(金融分野)以外で何か支援したい、
そこで辿り着いたのがキャリアコンサルタント資格でした。

テクノファのキャリアコンサルタント養成講座で先生方から数多くの学んだことは、
部下をマネジメントする立場、顧客に営業する立場の私にとって、
スムーズに自分自身に腹落ちした感覚ありました。
養成講座では、コンサルタントして、あたたかい信頼の中で相談者に向き合う姿勢、
仕事を生涯通しての人間の生き方・表現と考える重要性を学びました。

キャリアコンサルタント取得後は、部下全員にキャリアアンカーを利用した
キャリアコンサルティングを行い、一人ひとりの「能力」「欲求」「価値」に合わせて職務の
配置換えを行い、結果、営業目標達成、県内トップクラスの速さで達成となりました。
課の全員が、自分の職務に責任を持ち、プライドを持って取り組んだ結果だと思います。
本当に嬉しかったです。顧客との営業でも、少しお仕事の様子をお聴きし、
キャリア相談を行いました。「佐久眞さんなら信頼できる」とお言葉いただきました。
キャリコンサルト資格を取得して、マネジャー、コンサルトしての可能性が広がりました。

この頃から、私のなかで、ファイナンシャルプランニングとキャリアコンサルティング
の相性の良さを感じました。
ファイナンシャルプランニングでは「家計管理」、「生活設計」では、
人生にとって、お金、収入が重要です。その源泉は仕事、働くことになります。
人は、自分の時間や頭・体などを使って、価値を提供し、価値に対する評価が、
対価(報酬・収入)として、給料や利益などの形で働いた人に返ってきます。
より多くの人が働き、より多くの価値を提供できるようになると、経済は成長します。
経済が成長するということは、世の中全体としての暮らしぶりが良くなるということです。
「人生と仕事、そして、経済それは切っても切れない関係」に成り立っているといえます。
その考え方とキャリアコンサルティングを通して、キャリア支援を行うことで、
人の生産性を向上、経済成長を促すこと、家計管理、生活設計の向上ができ、
日本、世界がより良くなる可能性があります。

役に立つ資格を探している頃に、勤務先に兼業申請を出してFP法人を設立していましたが、
キャリコンサルト資格を取得後に、2022年に2月に金融機関を退職して
FP法人に今は専念しています。私と従業員FPが2人の合わせて3人の小さな会社になります。

現在の労働環境は、新型コロナウイルス感染拡大の一時離職等で先進国は感染拡大前より、
働いていない人が1000万人に増えたと推計が出ています。
求人と人材のミスマッチが原因になります。
新型コロナウイルス感染で、大きな業務転換を行う企業、ゼロゼロ融資が切れて倒産する
企業など、日本においても今後、厳しい労働環境と感じます。
私たちのキャリアコンサルタントが出来ることは、あたたかい信頼の中で相談者に向き合い、
相談者、所属企業の可能性、生産性を引き上げることだと思います。
私たちキャリアコンサルタント自身が、政府の政策に耳を傾け、技術を高め、活躍することで、
日本企業の生産性が良くなり、日本経済が良くなることを期待します。

一緒に日本を良くしましょう。皆様のご活躍をお祈り申し上げます。

テクノファキャリアコンサルタント養成講座受けて

仕事をしながら、講座や資格取得は大変でしたが、無事合格することができた時は、
大変嬉しかったです。また、キャリアコンサルタント養成講座でたくさん仲間たちに出逢い、
キャリア談義が盛り上がりました。その出逢いも養成講座の良い想い出であり、宝ものに
なっています。今は、仕事が忙しく、まったく連絡取れていないですが、

仲間の幸せを願っています。
皆さん、お元気ですか。

PrivateFp合同会社 公式HP
https://www.private-fp.com

 ◆おわり◆