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■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■
キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。
◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
近況や情報などを発信いたします。◆
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過去の経験を活かせない人たち
何度も同じ失敗を繰り返す。あんなに反省したのに全く改善しない。
このような話を聞く度に、そこで何が起こっているのだろう?と疑問に思えてしまう。
「反省」という言葉について改めて調べてみると以下のようなことが書いてある。
【反省とは、自分のこれまでの言動を振り返り、その良し悪しを改めて考え、
良くなかった点を認めて改めようとすること】
しかし残念ながら多くの場合「反省」は「振り返り」にはなっておらず、何らかの失敗を
やらかした場面や他人に迷惑をかけた際に自分に非があることを認め、犯した行為に
誤り(過ち)があったからと謝罪する意味になっているようだ。
我々は子ども時代に、親から、または教師から「反省したか?もっと反省しろ!」
と強要されてきた。
それを受けた子どもは、たとえ不本意であっても赦されるために(叱責から逃れる
ために)やむなく「もう二度とこのようなことはしません。ごめんなさい。」といった
決まり文句を以て謝罪させられてきたのではないだろうか。
これまた不思議なことだが、ただ非を認めて謝るだけで、なぜか「一件落着 ~ 終結」
となってしまうのであった。
このような展開は、特に小学校の低学年において「ごめんね(謝罪)」と「いいよ(赦免)」
がセットになっているらしく、子どもたちにとっては、赦したくないほど悔しい気持ちが
残っているとしても、相手から謝られたかぎり赦さなければならない決まり?
になっているらしく、とにかく「ごめんね」とさえ呟けば自分がやったことの全てが
帳消しになるという「魔法の言葉(呪文)」になっているようだ。
肝心の「償い」が抜けていることについてはここで触れないことにするが、やらかした
行為が計画的であり、悪意があるとしたら謝罪だけで済ませていいわけがないし、
一方で衝動的な行為だったならば本人としても自覚がない無意識の領域に何らかの
執着的な想いが潜んでいることが考えられるので、やはり丁寧に省みる必要が
あるだろう。
よく耳にすることだが中学生や高校生が何か問題を起こした際に行なわれている
「反省文を書かせる」といった指導も同様である。
結局、反省文など生徒にとっては「言い訳の練習」にしかならず、執拗な追求から
免れるためにどのようなことを書けばいいのか?
を考えながら屁理屈が増えるだけであろう。
(むしろ、どんどん巧妙になって悪化します。)
そもそも反省は、上からの指示によって「させられること」ではなく、「自発的」で
なければ意味がないだろうし、そこには自身の行為に対する「後悔」があることが
前提であり、「なぜ、自分はあのようなことをしでかしてしまったのか?
また、「行為の背景にどんな感情があったのか?」「他の問題を重ねてはいまいか?」
を省みなければ、全く以てやるだけ無駄である。
しかし、一般的に言われている反省は、殆ど「行為」にしか焦点が当てられておらず、
なぜ自分がそのような行為に及んだのかについて「内省」し、自身の奥に在るはずの
根元的な「欲求」や「抑え込まれた感情」と向き合わないまま終了するために、
何ら改善がみられず性懲りもなく同じようなことを繰り返すのだ。
つまり、懲りていないのは生徒ではなく、何の効果も得られないまま幾度も反省を
させている教師たちの方だろう。
もはや日本語としての「反省」は、悪いことをしたときにさせられるお仕置き、
または期待に応えられず、好ましくない結果になった際の謝罪でしかなく、
殆ど意味を為さなくなっていると言えよう。
省みること(振り返り)は「検証」の意味も含まれているので、失敗したときだけに
かぎらず、功を奏した場合や順調に事が進んだ際にも「なぜ好結果が得られたのか?」
について分析する必要があるのだ。
ところで、日本は犯罪心理学の研究が遅れていると言われているが、ニュース番組を
見ても、まるで決まり文句のように「犯人が捕まりました。いま動機を調べています。」
などと報道されているが、犯人は「動機」など自覚できているのだろうか?
自らの動機について言語化できるくらい冷静に俯瞰できるなら行為の顛末も予想できる
だろうから少なくとも衝動的な犯罪に関しては始めから罪など犯さないのではないか?
と思ってしまう。
計画的な犯行ならいざ知らず、罪を犯した本人ですら自覚がない無意識の領域に
押し込んできた遺恨であったり、勝手な思い込みによる攻撃性を隠し持っていた
かもしれないのだ。
誰しも常に考えに基づいて行動しているわけではなく、怒りや恨みなどの感情を
抑圧してきた結果、犯罪に繋がっていることを理解すべきである。
このことは、企業における営業会議等でも同じ構図を観ることができる。
会議の席で「なぜ目標を達成できなかったのか?」などと問われても、けっきょくは
「言い訳」に終始するだけであり、そのやり取りは到底「建設的」とは言えない。
「どうすれば達成できるのか?」について自由に語り合える意見交換会にならなければ
会議そのものにも価値はなかろう。
また、何か大きなイベントが終わった後にスタッフ間でやりがちな「反省会」だが、
これもまた実際には「飲み会」を企画するに当たっての大義名分でしかなく、
そこに酒など持ち込んでしまったら、いかに長い時間をかけて熱く語り合ったとしても
翌日になればキレイさっぱり忘れてしまっているのがオチであり、
次年度もまた不測の事態に悩まされることになることだろう。
過去の失敗を教訓として活かせない者は何が欠けているのか?
経験則として活かせない人は主に以下の4つの要素が欠けていると考えられるので、
ここにまとめておくおことにする。
1) 俯瞰的な「自己分析」が為されていない。
* 原因のすり替え: 失敗を自分の行動ではなく「運」や「他人のせい」にしている。
* 認知の歪み: 自分にとって都合の悪い事実から目を背ける。気づかないのではなく
気づきたくない。
* プロセスの軽視: 結果だけを悔やみ、失敗に至った経緯や道筋について振り返ろうと
しない。
2) 心の痛みに耐える力のなさ「精神的・感情的に余裕がない」
* 過剰な自己防衛: 失敗を認めると自分のプライドが保てないために忘れようとする。
* 感情のパニック: 余裕がなく「焦り」や「恐怖」が勝り、冷静さを失っている。
* 自己否定のループ: 「なぜ失敗したか」ではなく、「自分はダメだ」といった自己否定に
終始することで課題に向き合おうとしない。
3) 具体的な「仕組み化の視点」の欠如
* 精神論への依存: 「次は気をつける」「根性でカバーする」といった精神論で終わらせて
いる。
* チェック体制の不足: ミスを起こさないためのルールや他人に確認してもらう仕組みを
作ろうとしない。
* 具体化の不足: 「何を」「いつまでに」「どう変えるか」まで落とし込んでいない。
4) 変化を怖れ、受け入れようとない「柔軟性と持続力の欠如」
* 現状維持バイアス: 過去のやり方に固執し、新しい方法を試すリスクを怖れている。
* 継続的な意識: 最初は意識していても時間が経つと元の悪い習慣に戻ってしまう。
他にもありそうだが、いずれにしても「PDCA」的な観点から言わせてもらえば、
「C(チェック)」が為されていないことが問題かと思われる。
みなさんは、反省をどのように捉えているだろうか。
おわり