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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.134(2024年3月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの

   近況や情報などを発信いたします。◆

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自己イメージについて考えてみる

のっけから私事で恐縮だが、あえて問題提起のために書かせて戴くことにした。

じつは、年末から2月上旬にかけて入院する羽目になり、せっかくのお正月も否応なく
寝正月となってしまった。

原因は「慢性硬膜外血種」という病気なのだが、頭がい骨と脳の間にある硬膜内に
血種が溜まるというものである。
溜まった血種は次第に脳を圧迫し、様々な症状を呈することになる。
僕の場合は、激しい拍動性の耳鳴りと共に平衡感覚が麻痺して立っていられなくなった。

これが脳内で起こった出血であれば、まさに命に関わる深刻な事態になるのだが、
幸にも硬膜外で起こったことので、この程度で済んだようだ。しかしながら退院して
半月も経たないうちに、運悪く10人に1人と言われる再発に見舞われ、
退院後2週間目に同じ手術を2回も受けることになってしまった次第である。

頭に管(血を抜くためのドレーン)を差し込んだままICUのベッドに縛り付けられた
のは参ったが、健康というものが決して当たり前などではなく、とても有難いことなの
だと今更ながら知ることとなった。

加えて、免疫力が低下していたためか、今度は退院後に酷い風邪を引いてしまったこと
もあって咳が止まらず、累計で1か月近くも仕事を休んでしまった。こんなことは
初めてである。(ずっと貯めていた有給休暇もずいぶん使ってしまったな・・)

親しい友人が「心筋梗塞」になったと連絡を受けた際も血管年齢が40代の自分には
無関係だと思っていたし、今や2人に1人がガンを患う時代だと聞いても、自分は
ガンになどなるはずがないと根拠のない自信があった。

じつは、これまでの人生で、取り立てて大きな病気をしたことがなかったこともあり、
「健康には自信がある」と密かに思っていたのだが、やはり歳には勝てないというか、
何を言ったところで所詮は65歳を超えた高齢者なのだと認めるしかなさそうだ。

つまり、頑健だという「自己イメージ」の変更(書き換え)を余儀なくされたわけである。
たまにはこのような目に遭って打ちのめされることも自分を見直すためには必要な
出来事なのかもしれない。

さて、自己イメージとは、自分の思い込みによって作られた「偽りの仮面」のようなもの
である。
それに従って演じている自分と本性(真の姿)とは、人によって大きな隔たりがあるだろう。

人は、誰もが自分に対して固定化されたイメージを持っている。
イメージ形成の背景には、これまで生きてきた中で得た諸々の経験に影響を受けた内容で
占められていると思われるが、特に少年期から青年期を通り過ぎる途上で作り上げた
アイデンティティである一方で、周囲の他者が放った無責任な言葉や指摘された事柄、
さらには湧き上がる劣等感などを呑み込んだ観念的なものも含まれている。

自分とは、つまり「こんなヤツ」であり、他とは違った反応を示し、こういったものを好み、
ああいったものを嫌う、昔からそうだ・・そう決まっている。受け入れるしかない・・
と呪縛にも似た暗示に縛られている者もいるだろう。

または、心理テストや占い等の結果から「特性」や「傾向」、もしくは「〇〇タイプ」&
「△△型」という表現を以て、いかに不本意ではあっても、カテゴライズされた領域を
用いて自己紹介を試みる者もいるだろう。

いずれにしろ、自分についてあるていどの客観性を有し、自己を理解しようとする姿勢さえ
持つ者であれば、多少なりとも自分の正体を知ることができるだろうが、自分のことなら
自分がいちばんよく知っていると思い込んでいる者にかぎって「自分が何者なのか?
どんな傾向があるか?」に気がつかず、人生が上手くいかないことを周囲のせいにしている
ように思われる。

だが、時間の経過に伴って常に変貌を遂げ続けている自分自身の微細な変化について
関心がない場合、つい「こんなはずはない」とか「こんなのは自分じゃない」、または
「以前の自分なら・・」などと言いながら、現状を受け入れられないということが頻繁に
起こっているはずである。

何か新しいことに挑戦しようとしたり、新たな環境に身を置こうとする場合、もっとも
大きな障害となって立ちはだかるのは、意外にも「経験値」だと聞いたことがあるが、
なるほど昨日までの自分のあり方やこれまでの慣れた環境に執着しているかぎり転身は
難しいだろうし、変化することを嫌っていれば初めて出会う場に馴染むにしても多くの
時間を要することだろう。

人生は出会いと別れの繰り返しであり、人はその反復の中で様々なことを体験し、
何かを発見し、気がつき、成長への道を歩むものだと思うが、昨日までの体験で
「せっかく何年もかけて身につけた技術だからこそ手放したくない」とばかりに強く
握りしめていては、いつまで経っても前に進むことができなくなってしまう。

このような「変化に対する怖れ」や「拒否(否認)」は、どんな場面にも共通すること
だと思われるが、特に歳を取ることで次第に力を失い、徐々に衰退してゆくことへの
怖れを受け入れるのは容易なことではない。

自分はもう誰からも必要とされない・・それどころか邪魔者扱いされる・・
これは人によって差はあるものの、持っている承認欲求の大きさに比例して自分の存在価値
にまで関係する大問題になることもある。
年齢に纏わる恐怖心は、たとえば女性において「美貌」に価値を置いている者ほど老化が
憎っくき敵でしかないだろうから、アンチエイジングと名付けられた商品は高額にも関わらず
手に入れようとするだろうし、できるかぎり現状を維持しようと躍起になるかもしれない。

政治や経済に纏わる集団内においても、これまで握っていた権力や既得権を守ろうとして、
なかなか後進に譲ろうとしない族が見受けられる。所謂「老害」といわれる族だが、
これもまた同様に若かった頃の自分を諦め、人生の下り坂に在る自分を認めることを敢えて
意識化しなければ、いつまで経っても心だけが若いまま自分の真の姿が見えない
「愚か者(老害)」になり果ててしまうことになる。
老害ほど情けないものはない。
なにしろ自分が集団のお荷物(厄介者)になり下がっていることに自覚がないまま
我が物顔でふんぞり返っているために、既に周囲から疎まれ孤立していることにさえ
気づけないのである。

自己イメージを書き換えるためには昨日までの自分と決別する勇気を必要である。
しかし思い切ってそれを為すことによって得られることも多い。

決して大げさではなく、ある意味で「生まれ変わること」でもあり、予想外の「新たな何か」
が手に入るきっかけとなる可能性もあるのだ。(※:死と再生のプロセス)

以下は、ある書籍の中で見つけた言葉だが、あえて此処に記しておこうと思う。

『病とは薬を用いて治すものなどではなく、この病こそが人生を修正してくれる薬なのである。』

今回ほどこの言葉が身に染みたことはない。じつに有難いことである。

◆おわり◆