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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.122(2023年3月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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アドラー心理学の薦め

先日、キャリアコンサルタント資格の更新講習において「アドラー心理学」について
学ぶ機会を得た。
「※:テクノファ技能講習:アドラー心理学を活用した勇気づけアプローチ
(コースID:CD20)」アルフレッド・アドラーと言えば、多少なりとも心理学に
触れた機会のある方であれば必ず一度はその名を聞くという心理学界の巨人であり、
フロイトやユングと並んで『心理学の三大巨頭』と称される中の一人である。

また、ここ数年間に渡ってベストセラーとなっている「嫌われる勇気(岸見一郎 著)」
がメディアで取り上げられたこともあり、巷で話題になっているのでご存知の方も
多いだろう。

今回、このメルマガで敢えてピックアップしようと思ったのは、彼が残してくれた
数々の遺産(言葉や理論)が、混迷を深める社会にとって今まさに大いなる
救いになると思えたからである。
 私は以前にもアドラーについて学ぶ機会はあったのだが、今回の受講で更に確信が
持てたというか、やはりできるだけ多くの方々に知って戴く必要があると強く思った
次第である。

アドラー心理学(「個人心理学」とも呼ばれる。)は、産業界は言うに及ばず、
企業内におけるチームビルディング(人間関係から人材開発)、社会生活一般、
さらには学校教育現場と地域教育の協働にも欠かせないものといえる。
そして家庭教育の場においては「子育て業の必修科目」と言ってもいいくらいだ。

アドラー心理学の基本的なスタンスは以下の項目を前提としている。
1.目的論「人間の行動には自覚がなくとも必ず何らかの目的がある」
2.全体論「人間は分割できない全体の立場から捉える必要がある」
3.認知論「人間は自分の主観的な意味づけやイメージを通して周囲(出来事や環境)を認識している」
4.対人関係論「人間のあらゆる行動や悩み事の根源にあるのは対人関係である」
5.自己決定性「人間は環境や状況の奴隷ではない。自分の行動を自分で決めることができる」
6.ライフ・スタイル「人間の生き方には、それぞれ独自のスタイルがある」

他にも、人間生活に欠かせないテーマとして(仕事の課題)(交友の課題)
(愛の課題)の3つがあるとする「ライフタスク」や、他人の課題と自分の課題とを
分離する必要性を説く「課題の分離」、そして、褒めるのではなく勇気づけることの
重要性を訴える「承認欲求の否定」など重要と思われる項目は枚挙に暇がない。
 紙面に限りがあるので項目だけに留めるが、詳しく知りたい方は「アドラー心理学」
で検索してみてほしい。

また、アドラーは「共同体感覚」という言葉を用いて成熟した理想社会の実現に
どのような姿勢が必要とされるかについて示唆してくれている。この項目は特に
重要かと思われる。
以下、ウィキペディアより抜粋~

共同体感覚
共同体感覚が発達している人は自分の利益のためだけに行動するのではなく、
自分の行動がより大きな共同体のためにもなるように行動する。
なぜなら人間は社会という網の目の中に組み込まれているからである。
それに対して共同体感覚が未熟な人は自分の行動の結末や影響を予測することをやめて、
自分の利益だけしか目に入らないようにする。
仮に極端に自分の利益のことだけにしか関心がない人がいるとしたら、その人は自分の
利益になる場合にだけ他人と協力する/他人を利用しようとするだろうと想像される。
そうすると他人が自分を必要とする場合というのは他人がその人自身の利益になる場合に
だけということになり、安心して所属することが難しくなるだろう。
このようにして共同体感覚の未熟な人は所属に問題を抱えやすく不幸な人生を
送ることになりやすいことになる。
共同体感覚について、アドラーは「共同体感覚は生まれつき備わった潜在的な
可能性で、意識して育成されなければならない」と述べている。
共同体感覚を成長させるということは、共同体感覚とは何だろうと机上で考える
ことではなく、自分の行動ひとつひとつについて
「こうすることは、自分の利益ばかりでなく、相手のためにもなるだろうか。」
「こうすることは、自分と相手の利益になるが、それはもっと大きな共同体に
とってはどうだろうか。」と、より大きな共同体のためになる方向を選択することである。

~以上、引用おわり

なお、此処で示されている「共同体」とは、単に企業やサークルなどの中小規模な
範囲だけに留まらない広く社会全体や、ひいては世界をも含めた壮大な概念である。
自身が、何らかの場に所属していることを俯瞰できていること、
そして自分が独立した存在であることを自覚できていることは「自立」に欠かせない
要素であるが、一方で「全体」を捉える視点を持つことができていない個人主義は
単なるエゴに過ぎないといえよう。

この「個と全体」を等価値なものとして認識できないかぎり、おそらく人間たちは
目の前の壁しか見えない。
それゆえ個人間(集団同士)の争いを避けることはできないだろうし、
たとえライバル会社に勝って一時的に収益を得たとしても業界全体の危機に気づく
ことができず、各々が衰退しながら沈んでいくことになる。

このことは国籍、性別、人種、思想、宗教、そしてイデオロギーの違いなどを問わず、
主義主張を持つ各個人や集団すべてに共通している呪縛的かつ退廃的な傾向であり、
そこに「オレとオマエ」、「自分たちと奴ら」という対立的構図から脱同一化できないかぎり、
地球環境問題やエネルギー問題、または食料危機がそうであるように、対立する双方共に
(または全体的に)現状を超えられない元凶となっており、当然ながら生成発展へと
向かうことなど到底叶わないだろう。

このような意味で多くの人々がアドラー心理学を学ぶことで人間の在り様を知り、
それを個々に自覚することによって、決して大袈裟ではなく理想社会を実現できる可能性が
見えてくるのではないかと思うのだ。

アドラーがこの世を去って既に86年もの歳月が流れているが、せっかくの遺産も
埋没させたまま活かさなくては意味がない。
特に対人援助職を生業としている方々、または多くの従業員を抱える経営者や管理職に
とっては必須であり、次代を担う若者にこそ知っておいてほしい内容である。

これを機会に、ぜひアドラー心理学に触れてほしいし、
もし現状において何らかの悩みや困りごとをお持ちであるのなら、
きっとアドラーは良き処方箋となってくれることだろう。

 ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.121(2023年2月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"深瀬理子さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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みなさま、こんにちは。34期生の深瀬と申します。

私の祖母は広島県出身で、被爆者です。その影響で、小さいころから緊急援助、
平和構築の専門家になることを夢見ておりました。独身時代は、国際NGOや
赤十字国際員会(ICRC)の職員としてアフガニスタン、パレスチナ、南スーダン
などの紛争地を渡り歩きました。疲弊感とともにやりきったという達成感があり、
結婚を機に帰国して専業主婦となりました。
ただ、いつの日か次世代の平和の担い手(ピースビルダー)を育てる仕事がしたい
というライフテーマだけは持ち続けていたので、第一子妊娠中で出産間近で
ありましたが思い切ってキャリアコンサルタント養成講座に応募しました。
その当時、キャリアコンサルタント養成講座を開催している会社を色々と
当たってみたのですが、一番、妊婦歓迎な雰囲気だったのがテクノファでした。

私自身、長年に渡り、人生の節目や人生設計の軌道修正が必要な際は
キャリアカウンセリングを利用し、自己分析に役立てていました。
面談や適正テスト等を通して、変化し続ける自己や自分が置かれた環境を理解すること
によって初めてその時点での優先順位を付けることが出来ました。

そして、具体的かつ積極的に目標に向かって行動ができ、また新たなる成長の兆しが
見えてきたのでした。キャリアコンサルティングは、人をエンパワーし飛躍させる
きっかけを作ることが出来ます。
自己啓発、自己改革が求められる今、欠かせないサポートだと確信していました。

人生の節目に受けた本講座で、一番印象に残っているのが、マーク・サビカスの
キャリア構築理論 です。年功型の終身雇用が維持出来なくなった現代の社会人は
セルフマネージメント能力が求められます。
働いて何を得たいのか、自分の価値観からヒントを得なければなりません。
サビカスは、他者との相互作用を考慮しつつ、個々の自発的努力と積極的関与を通して、
柔軟にキャリアを構築することを薦めました。また、自己概念を確立する事により、
アイデンティティの混乱を防げると助言しました。
特に、私のように比較的頻繁に仕事を変える人々(mobile workers)こそ、
アイデンティティを確立し、自己の一貫性をライフテーマの中に見出す必要性が
あると唱えていました。
キャリアストーリーを語ることにより主観的な「物語的真実」(narrative truth)を
作り出すことでライフテーマが明確になり、過去と現在の経験が結びついて将来の
キャリアまでもが一貫性を持つものになると彼は主張しています。
「ああ、成程」とキャリア構築理論を学び、色々と腑に落ちたのを覚えています。
養成講座の受講後、専業主婦、派遣職員を経て、2019年12月に、国際連合児童基金
(ユニセフ)のニューヨーク本部に再就職しました。
就職、職業相談やキャリアカウンセリングはボランティアベースで続けています。
私に相談をしてくれるのは学生さん、後輩や転職を考えている方が多いです。
しかしながら私が従業員代表をしていることもあり、同僚や上司の方々から相談を
受けることも少なくありません。どの方にも伝えているのは「寄り道は必要な道。
遠回りしたからこそ見えた景色、分かったことが沢山ある。
単眼思考による視野搾取に陥ることなく、わが身に関わる出来事すべてを見つめ、
次なる行動へと踏み出すことを大切にしている」ということです。
主人と一家の大黒柱を交替し、家族でニューヨークに渡り、早四年目です。
結果、駐在夫として主人には仕事をほぼすべてセーブしてもらうことになりました。
ニューヨークに居る間、パンデミック渦中での第二子出産、親の介護等ライフイベントが
多々ありました。自己啓発に加え、夫婦相互適応性の確立、親役割への適応等、
今後のキャリア形成の中で間接的にも軸となる部分を強化した重要な時期だったと思います。
実は現在四歳の息子が入院中でして、その傍らで執筆しています。
これから息子は長い闘病生活に入ります。
私のキャリアストーリーの続編がどうなるかわかりませんが、
必要あらば人生の軌道修正をしつつ、テクノファで学んだことを大切にして
自分のライフテーマを胸に人生をデザインしていけたらと思います。

皆様にとって、素敵な一年になりますように。

以上  ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.120(2023年1月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
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いまどきの若者たち
先日、「Z世代」について書かれた記事を読んでちょっとばかりショックを受けた。
Z世代という言葉は以前から知っていたものの特に気に留めずにいたのだが、
その記事を読んでから何ともいえない違和感が湧いたままになっているのと同時に、
なんとか理解に務めようと思いながらも到底届きそうにもないギャップを感じている
ところである。

もちろん、ネットの記事などというものは多かれ少なかれ何らかの脚色が為されて
いるものだろうし、大袈裟に誇張することで読者の気を引こうとする目論見もある
だろう。だが、そう思いながらも内容が頭から離れない状態が今日まで続いている。

同世代の子どもたちが横並びの形で在籍する学校教育現場においては特に問題は
起こらないのだろうが、卒業して社会人となれば様々な世代間の者同士で
関わらなくてはならないのでそうもいくまい。
ましてや企業内の人間関係や地域のコミュニティでは何らかの問題が
生じるであろうことは容易に想像がつく。

この記事を書かせて戴こうかと考えたのは、他者との関係作りにおいて
「ジェネレーションギャップ」がそのまま互いを隔てる垣根になってしまっている
現状と、違和感を抱えつつ不本意ながらも受け入れる側にならざるを得ない年輩の
方々には、自分たちが歩んできたはずの過去の苦い体験を思い起こしながら可能な
範囲で理解に努めてほしいと思ったからである。

さて、以下は「Z世代」についての説明である。 ※ウィキペディアより抜粋~
【 Z世代(ジェネレーションZ)とは、アメリカ合衆国をはじめ世界各国において
概ね1990年代中盤から2000年代終盤、または2010年代序盤までに生まれた世代の
ことである。
生まれながらにしてデジタルネイティブである初の世代であり、
Y世代(ミレニアル世代とも)に続く世代であることから「Z」の名が付いている。
日本においては2021年のユーキャン「新語・流行語大賞」のトップ10に選出された。
大半がX世代(日本ではバブル世代・団塊ジュニアに相当)の子ども世代に当たり、
生まれた時点でインターネットが利用可能であったという意味では最初の世代となる。
デジタル機器やインターネットが生まれた時から当たり前のように存在し、
Webを日常風景の一部として感じながら利用している世代である。
またパソコンよりもスマートフォンやタブレットを日常的に使いこなし、
生活の一部となっている「スマホ世代 」である。】

次に彼らの特徴と傾向について、幾つか気になった項目を挙げてみることにする。
(誤解のないようにお願いしておきたいのだが、これらの件について決して
断定的に論じるつもりはないし、無論そこには個人差もあるはずなので、
この記事内容をそのまま受け取らないでほしい。
しかし、とりあえず問題視しておいたほうがいいのいではないか・・
といった私の勝手な懸念が基になっていることを最初にお断りしておく。)

(1)3分以上の長い曲は聴いていられない。
イントロはパスしてサビだけを聴く。間奏が始まるとすぐに早送り、
エンディングも聴かないままシャットダウンする。(
サビの部分以外を聴くのは時間の無駄だという)

(2)ドラマや映画は倍速再生で観る。
彼らは「タイパが悪い」という。「コスパ」は知っていたがタイパは初めて聞く
言葉だった。どうやら「タイムパフォーマンス」の意味らしい。
それゆえ、テレビ番組や映画はあまり観ようとしない。
観たいものは録画しておいて後から観るという。
その理由は、番組や映画の上映時刻に合わせて行動するのが面倒だからだという・・
なるほどDVDや動画であれば観たいときに見たい部分を選んで自由に再生できるし、
途中であっても中断してトイレに行ったり食事をしたり、友人からのメールに
応えることもできる。

(3)旧友との繋がりを維持 ⇒ 進学しても就職しても中高学時代から
続く古い友人たちと離れることはない。
ネットのおかげで慣れた関係が切れずに済む。
⇒ 卒業後も同じ友人とばかりつきあっている。
⇒ 進学したり就職して環境が変化しても新たなコミュニティに加わろうとしない。
(せずに済む)⇒ 新たな出会いが起こらない。
⇒ 交友関係が固定化したまま広がらない。
(ちなみに、中学校に進学して数か月後に孤立する子の大半は、
小学校時代から続く仲良しの子とばかり一緒に過ごしていることに起因している。)

(4)遊びといえばゲームばかり 小中学生の話題になるが、
誰かと一緒に遊ぶとしても(時間・空間を共有していても)ゲームが中心に在り、
そこでは会話や対話が殆ど為されず、それゆえ対人コミュニケーションスキルを
獲得できないという問題が生じている。
話題に乏しく同じゲームを楽しむ仲間同士でなければ何を話せばいいのか分らないという。
また、それに加えてネット上でのコミュニケーションにおいても絵文字やスタンプの
多用によって言語による表現力(意志や感情の伝達能力)が育っておらず、
語彙力の低さだけでなくボキャブラリーも貧困である。

(5)上記の問題と繋がることだが、気持ちや考えを言語化して表出することが苦手である
それ故に感情的になるとすぐに手が出てしまい、特に低年齢において暴力行為に至る
ケースが激増している。

(6)恋愛や結婚はコスパが悪いのでやらない。 恋愛感情をコストパフォーマンス的に
語られたのにはさすがに驚いた。彼らにとっての恋愛は情動よりも先に損得勘定が
前提となっているらしい。

(7)0か100という判断基準。100点、つまり完璧にこなせそうもないのなら
取り組むだけ無駄であるという。(強要すると「ムリ!」と答える。)
だから、上手くできそうもない課題には全くヤル気が起こらないし、
100点に至らないのであれば0点と同じだという。
(結果ばかりを重視する成果主義的な子育てが生み出した悪しき産物かと思われる。)
といった具合だ。
どれもが「最近の若者」に対する批判的(非難?)な内容であり、懐古的な立ち位置から
「かくあるべき」に基づいた発想に任せて語っているように思われる。

この私とて中高生の多感な時期には、ビートルズを筆頭とする洋楽や岡林信康や
吉田拓郎に代表されるフォークソングに夢中になっていたわけだが、
そんな自分たちに対する大人たちの視線はとても冷たかったし、
当時のミュージシャンに共通していた「長い髪」を指しながら、オマエも
「あんな女の腐ったような奴らみたいに・・云々」といった今では考えられない
酷い言葉を浴びせられたものである。
もっとも、古代エジプトで発掘された8000年前のパピルスにさえ
「最近の若い者ときたら・・」と書かれていたというが、どうやら人間とは
今も昔も歳を取るにしたがって頭が固くなるという宿命的な傾向があるようだ。

・・・と、自分をも含めた戒めを持った上で敢えて此処に書かせて戴いているわけだが、
いかに時代が変わったとしても変わらぬものがあっていいと思うし、
変えてはいけないものもあるのではないだろうか。
その意味では特に(3)(4)(5)については看過できない注意事項なのではないだろうか。

ところで文科省の発表では、この5年間に小中高の不登校が激増しでいるという。
(なんと4年間で2倍!コロナの影響も考えられるが、この傾向は感染が広がる
前の年から始まっているところに注意が必要だ。)
不登校になる児童生徒は以前から多くいたものの、それらの殆どは自己肯定感が
低かったり、集団から攻撃されたことによる傷つき体験(トラウマ)を持っていたり、
不適切な養育環境が背景にあったりというように「何らかのきっかけや主な要因」
が確認されていたし、それらが複合的に合わさって動けなくなるような類のものが
多くを占めていた。
しかし、近年激増した中の半数はこれまでに出会ったことのない、言わば
「正体不明の不思議な不登校」なのである。
先に挙げた項目の中にあったテレビや映画を観ずにDVDや動画が中心という傾向が
物語っているのは、周囲が自分に合わせてくれることへの慣れがあり、
それがあまりにも当然の事になっているからこそ、環境や状況に自分を合わせること
(適応・順応)への拒絶が生まれるに至ったのではないか・・という疑問である。
言うまでもなく学校とは集団であり、「個人が集団に合わせることを強要される場」
でもある。
自分が好きなことや、今やりたいと思っていることであれば抵抗感は起こらないだろうが、
今は特にやりたいと思わないことを強要されそうになった途端に関係を閉じて
てしまうのも頷ける。
つまり現代における新たな環境が、彼らの
万能感(なんでも思うがまま)を拡大し、
脱錯覚(思い通りにならないこともあるのだ・・)
を経験することなく育ってしまったのではないかと思えてならない。

このことは、企業内でも仕事上のことで叱責するとすぐに辞めると言い出す若者の
背景とも重なると思われるが、今後の社員教育や人材育成において留意しておく
必要があるかもしれない。
彼らの要求に応えるだけでなく、どのような力をつける必要があるかについても
検討しなくてはならないだろう。

以上  ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.119(2022年12月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"中島崇さん"テクノファ養成講座35期生です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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皆さん、こんにちは。

テクノファキャリアコンサルタント養成講座35期修了の中島崇(なかじまたかし)
と申します。

私は現在、医療機関で団体職員として、高齢者向け施設様向けに医療を届けるご支援
をさせていただいております。
キャリアコンサルタントとしてはNPO法人キャリア・コンサルタント協会(以下JCCA)
で、マーケティングや講座の運営などのお手伝いをさせていただいております。
そして、アドラー心理学、コーチとしても、日本コーチ協会に所属し、
実行委員として、講師、コーチとして活動しております。

2022年はAmazon Kindle 電子版にて、「アドラー心理学ではじめるSDGs推進」
を出版しました。
もしご興味ある方は、手に取っていただければ嬉しいです。

さて、私がなぜキャリアコンサルタントを目指そうと考えたかについてですが、
一番の理由は、当時所属していた東芝グループの不適切会計処理で、
これからの人生が見えなくなり、私自身を振り返りたいと考えたからです。
人生の転機とは突然訪れます。

これはキャリアの転機(トランジション)予測していなかった転機でした。
そして意識せず、「人生半ばの過渡期」を迎え、
「私の人生は、こんなことがしたかったんだっけ?」と、人生を本気で考え始めました。

人生の転機の中で、私が漠然と成し遂げたかったことが、
人が人をつぶすのではなく、承認しあい、話を聴いていくことで、
会社のメンバーをサポートしていきたいと考えたことです。

社内研修で、コーチングを少しだけ学んでいましたが、傾聴のスキルをさらに学び、
そして、私も含めキャリアプランやキャリアビジョンを描いていきたいと考え、
それにはキャリアコンサルタントが一番良いと考えました。

そこで出会ったのが、テクノファです。
テクノファを選んだ理由は実は職場が川崎ということが最大の理由でした。
実際に学んでみると他団体にはない、テクノファ独自のキャリア開発ワークショップ
(CDW)を体験でき、自分のことがわかり、自分自身のキャリア開発ができているから
こそ、他者と向き合うことができるという考え方を深く知ることが出来たことは私に
とって非常に良い財産に繋がっております。
また、アサーション・トレーニングでは自分も相手も大切にした自己表現をするために
トレーニングをつみ、自分の意見を伝えることはOKなんだと改めて、気づくことが
出来ました。おかげで今では、アサーションをお伝えする講座も開催しております。

今後、テクノファで学んだこととキャリアコンサルタントとして、どのように
活動していきたいかに関してですが、VUCA(ブーカ)と呼ばれる不確実な時代にこそ
ダグラス・ホールのキャリア理論であるプロティアン・キャリアを個人が身に着ける
ことが必要であると考えています。

VUCAとは、下記の4つの単語の頭文字をとった造語です。
V(Volatility:変動性)
U(Uncertainty:不確実性)
C(Complexity:複雑性)
A(Ambiguity:曖昧性)
プロティアンキャリアとは
キャリアとは「組織によってではなく、個人によって形成されるものであり、
キャリアを営むその人の欲求に見合うようにその都度方向転換するものである」
との主張を行いました。
これを変幻自在の意味を持つ、ギリシャ神話のプロテウスになぞらえ、
「プロティアン・キャリア」と表現しました。

今後はさらに変化の激しい時代になり、価値観そのものが変化し、
個人が自己決定をしなくてはいけない場面が増えて来ると考えています。
転職・独立や副業・複業だけでなく、地域社会との繋がりなど様々な視点や考え方が
必要になります。私自身も7社を経験しており、その都度自己決定をしてきたという
経験があります。

プロティアン・キャリア理論では、その都度変化させていくことが重要としており、
これは簡単なことですが、実際に行うことは相当の勇気が必要になります。
私はこの勇気をアドラー心理学の勇気づけという技法を用いて、クライアントの

夢や希望、適性にふさわしい職業を見つけられるよう、ライフ・プラン、
キャリア・プランをつくり、実現していくご支援をしていきたいと考えています。

ただ、残念ながらこのアドラーですが、ユングやフロイトと共に 『心理学の3大巨頭』
と称されるにもかかわらず、日本ではまだまだ認知度が低いのが現状です。
テクノファでは、更新講習のなかでアドラー心理学を取り扱っていただけていますが、
キャリアコンサルタントだけではなく、コミニュケーションとして、アドラー心理学を
広めていきたいと考えています。

アドラー心理学とは
オーストリアの精神科医であるアルフレッド・アドラーが提唱した心理学です。
アルフレッド・アドラーが提唱したテーマは「人は目的のもと生きている、
幸せになるには勇気を持つ」という思想から成ります。
「アドラー心理学」とは、ウィーン郊外に生まれ、オーストリアで著名になり、
晩年はアメリカを中心に活躍したアルフレッド・アドラー(Alfred Adler、1870-1937)
が築き上げた心理学のことです。
欧米では、「個人心理学」(Individual Psychology)と呼ばれていますが、日本では
「個人」と言うと、「社会」と対比した個人のための心理学のニュアンスが強いので、
「アドラー心理学」で通っています。

これからキャリアコンサルタントを目指そうとしている仲間の皆様に、
キャリアコンサルタント資格は手段であり、
それをどのように活かすかが大切であることをお伝えさせていただきます。

以上  ◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.118(2022年11月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

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「自分らしく」という言葉に縛られていませんか?

今回は、アイデンティティについて考えてみたい。
自分とは何者か? いったい何のために、そして何を目指して生きているのか?
この問いは、人間たちに「自我」が芽生え始めたときから続いている「永遠の課題」である。
むろん、このようなことに関心など持たなくとも生きていくことはできるし、
「そんなこと考えてみても仕方がないだろ」、とか「今は忙しくて、それどころじゃないよ」
と言う者もいるだろう。
たしかに一文の得にもならないし、納得できる解答に辿り着くことすら難しそうだ。

だが、生きていること自体に得体の知れない不安感が伴っていたり、
どうにもスッキリしない重苦しい想いを抱えている者は、
「いったい自分は何をしているのだろう・・」と悩んでいるかもしれない。
日々の生活の中で湧きあがる不満や不条理だと感じずにはいられない状況において、
理想的な自分になるにはどうしたらいいのか?
と考えたりすることくらいはあるのではないだろうか。

さて、テレビや動画を観ていると「私は自分らしく生きたい」という言葉を頻繁に耳にする。
「自分らしく」・・この言葉は、あたかも自由に伸び伸びと、
または生き生きとした生活スタイルをイメージさせるかもしれない。

しかし、本当にそうなのだろうか? 「らしさ」とは何だろう?
・「子どもらしく」いつも明るく元気で太陽のように笑っていてほしい。
・「学生らしく」新たなことにチェレンジする姿勢を忘れないでください。
・「若者らしく」活発で前向きに、そして高き理想を持って生きてほしい。
・「男の子らしく」多少はワンパクでもいいから強く逞しく育ってほしい。
・「女の子らしく」おしとやかな中にも芯のある大和撫子になってほしい。
などなど・・どれもが勝手な言い分ばかりだ。これでは窮屈で仕方がない。

そして最後に「自分らしく・・」である。

たとえば、あなたが隣人から「なにをやってるんだ。そんなのオマエらしくないだろ!」
と言われたらどう感じるだろう?
きっと、そのようなことを言われたら一気に不愉快な気分となり、「いったいオレの何を
知っているというんだ? ~らしいとか、~らしくないとか、
勝手に決めつけないでくれよ!」とでも言い返したくなるのではないだろうか。
だが、他者から言われたら不快な気持ちが湧くのに、こと自分に対しては「こんなの私じゃない。
私らしくない・・」とか、「明日からは自分らしく生きることにした」などと言うのは
どうにも妙な話である。
昨日までの自分を蔑むというのなら、それはただの「自己否定」でしかない。

どうやら「らしさ」とは、評価(他者評価・自己評価)を基準に、なんらかの規定や制限を
意味するものであり、よく考えてみると自分自身を縛りつける鎖や拘束衣のようにも思えてくる。

10年以上前になるが、私は縁あって「森田療法」を受ける機会に恵まれた。
森田療法とは、1919年に精神科医の「森田正馬」と、彼の弟子でもあった東福寺の住職
「宇佐玄雄」の両氏によって創始された精神疾患の改善を目的とした心理療法である。
森田療法創始当時の疾患名としては主に神経衰弱を治療対象としていたもので、
現代においては不安障害、強迫性障害、または対人恐怖や赤面症などのいわゆる神経症が
主な治療対象疾患とされている。
治療内容においては他に類を見ない非常にユニークなもので、仏教における禅の考え方と手法が
用いられており、一週間ほどの間ずっと眠って過ごすという「絶対臥褥(ぜったいがじょく)」
を基本に据えている。

そのプロセスは、とにかく「ありのまま」を重視し、仏教ならではの智慧でもある「無常」を
知り「執着を手放すこと」を実践していく流れで進められる。

入院5日目のことだった。院長である宇佐晋一先生との面談において、いつものように
今日一日の振り返りを行なっていたときのことである。
先生の前で「私は自分らしくありたいんです・・」と口にしたところ、いつもならどんなことでも
「うんうん、そうですか・・」と受け取ってくれる彼が私の発言に釘を刺したのだった。
先生:「ん?ちょっと待って!いま仰った "自分らしく" とは? どういう意味ですか?」
私 :「え、こんな自分でありたい。理想的な自分を目指したい・・というつもりで言ったのですが・・」
先生:「それは不自由なことですね・・窮屈ではありませんか?」
私 :「・・特に窮屈だとは思いませんが・・」
先生:「つまり、いまの自分ではダメだということでしょうか?」

・・私は、無意識的に口にした「~らしく」という言葉について、
その意味を改めて考察せざるを得なくなってしまった。
たしかに自分以外の誰かから「それって鈴木さんらしくないなあ・・」などと言われたら、
「え、私はあなたが勝手に思い描いた鈴木さんのイメージに応えなくてはならないの?」
と不快感に襲われることだろう。
だが、それを不快だと感じるはずの私自身が、何となく自分に「こうあるべきだ」を規定し、
それを実践しなくてはならないと思い込んでいるのである。
実践できない自分はダメで情けないヤツ・・というわけだ。

先生:「何らかの理想を掲げるのはいいとしても、そのようにあらねばならぬ!
といった理想主義に陥ってしまえば、けっきょくは不本意ながらも他人の意向に応えるのと同様に、
意図した自分から指図され、それに逆らえない自分になってしまいます。」
私:「あ、どうやら私は "ありのまま" と "自分らしく" が同じ意味だと思い込んでいたようです。
そうですね。この両者は、むしろ相反する逆の意味なのですね・・」
先生:「はい・・(*^-^*)」

そうか・・いま此処にいる "ありのままの自分" を受け入れることができれば誰もが自由であり、
自在に選択することができるのに、「~らしくありたい」という思い込みによる呪縛によって評価され、
与えられた枠に応じようと雁字搦めになるから苦しくなるのか・・たしかに不自由だ。
つまり、「こうあらねば・・」という「思考」によって自由であるはずの「感情」が抑圧されているのだ。

私は真の意味での「自己受容」について体感的に学ぶことができたのである。

そもそも神経症とは、勝手に湧きあがる「気になること」に翻弄され、「気にしないようにしよう」
と躍起になってしまう状態像に陥っている状態である。
そのような者に対して「とにかく気にしないことだよ」などといった助言は全く以て無駄という他ない。
「あのことが気になって仕方がない」という自分をそのまま受け入れ、
「ああ、気になっている自分がいるなあ・・」と否定せずに放っておくことである。
とりあえず「気になること」を脇に置き、目の前の問題や課題に集中するのもいいだろう。
私をも含めた多くの者たちは、知らぬ間に「こうあらねばならぬ」と規範的な意識を作り出し、
愚かにも無自覚なまま自身を縛っているのである。

学生だった頃、アイデンティティを確立することはとても大切だと教えられた。
それは「はたして自分とは何者であるか」を確認し自覚することでもある反面、
意外にも「呪縛」に囚われる入り口となってしまう危険も孕んでいるのだ。

あなたは、どうして此処にいるのか? なぜ今の仕事を選んだのか? なにを求めているのか?
無理に答えを急ぐ必要はないが、今いちど丁寧に自分に問いかけてみることで、
じつはもともと自由だった自分に気づくことができるかもしれない。

  おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.117(2022年10月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"久保田雄太さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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◆「想い描くキャリア」と「自己実現」について

皆様、こんにちは。キャリアコンサルタントのクボタと申します。
実りの秋と呼ばれる季節になりました。作物の成長・収穫を喜ぶとともに、「学び・成長と
キャリア形成」について、季節の節目に自分自身の経験も踏まえながら振り返ってみようと
思います。

皆様は、キャリアコンサルタント養成講座修了後、または日々のキャリアコンサルタント
としてご活動されている中で、どんな価値観の変化や体験がありましたか?
私たちは、一定の要件を満たし、厚生労働大臣より認められたキャリアコンサルティングの
専門家という位置づけにいるかと思いますが、養成講座のCDWでも学んだように、まずは
自分自身のキャリア形成についても認識する必要があります。
本日は、私自身がクライエントと向き合う中で生じた心境の変化や経緯も交えながら、
2つの視点から考察していきたいと思います。

◆1. 私自身が5年前のCDWで見出したライフテーマとは?
◆2. 3本の矢?キャリアの掛け算?これからのキャリアデザインの在り方の一つについて

【◆1. 5年前のCDWで見出したライフテーマ?】
 私が国家資格キャリアコンサルタントを目指した背景にはいくつかの物語があるのですが、
そのうちの一つは大学時代に建築学を学んでいたことに紐づいています。設計実習の科目があり、
最初に取り組んだ課題は「公営団地の再開発に伴う集合住宅の設計」でした。この頃より、
「お家」や「家族」「家庭環境」について深く考えるようになりました。
卒業後は、建設会社に就職して、会社員として生活し、一級建築士の資格取得後、ライフワーク
として親子を対象にした「親子ケンチク模型ワークショップ」を開催しています。
企画・運営しているなかで、参加者の親御さんより住宅に関する相談や家族の時間に関する相談を
受けることがありました。
その時、多くのケースで話題になるのは、「家にいる時間」の話だけでなく
「家にいない時間=働いている時間や学校にいる時間」も含めたライフスタイルの話でした。
三交代勤務で働いている方もいれば、子供の塾の帰りが22時を過ぎるため、なかなか家族が
リビングに集まる時間がないなどの話を聴くこともありました。
そのようなリアルなライフスタイルの話から「家づくり」を考える場合もあります。

D・スーパー先生のキャリア発達理論にもあるように、人々にはそれぞれの人生のシーン・タイミング
にて「役割」があると云われています。そして、その役割はライフキャリアレインボーという図で
説明されました。例えば、「家族」の構成員の一人であるお父さんにも「夫・父・会社員・市民・・・
」 という役割があり、それぞれの時間軸で「キャリア」を形成していきます。
仮に会社では係長として働いていても、家庭では子供が生まれたばかりであれば父親一年生と
いった感じで、住まいを拠点に通勤・仕事・家事・育児に取り組むことになります。

私自身もこの理論に深く共感し、「キャリア形成」や「働き方」を学ぶことは『家づくり』を
考える上でも重要な要素の一つになると感じました。この気づきを得ることができたのが、
養成講座の前半で行われたCDW(キャリア開発ワークショップ)でした。

これらの事を踏まえ、私の生涯のキャリアに対するライフテーマを『最も心が和む、家庭・住環境の探求』
として設定し、クライエントの話を聴いたり自分自身のキャリア・家庭家族を見直す時の一つの指針
とすることにしました。
多くの人々は、朝に家を出て、日中に仕事・学業に臨み、夕方以降に帰宅してエネルギーを回復し、
また新しい一日が始まります。
職場や学校では多くのストレスや悩みが発生しますが、「家」とはそのサイクルの中で重要な身体を
リペアする為の場所であり、どんな働き方・ライフスタイルに適した間取りや住空間で生活するかは
多種多様です。
私は「キャリア形成」と「住環境・家庭環境」を慎重に配慮しながら、あらゆる可能性をクライエントと
検討し、クライエント自身が活き活きと生活していけるライフスタイルを選べるように提案していきたい
と考えています。

【◆2. 3本の矢?キャリアの掛け算?これからのキャリアデザインの在り方の一つについて】
 実は、上記の「家庭環境や家づくり」の相談を受けるときに、もう一つ潜在的なテーマとして重要な
キーワードがあります。
それは、「睡眠」についてです。家ではリラックスしたいと誰もが考えていても、職場での働き方や
学校でのストレスが過剰に溜まってしまった場合、「眠れない」という状況に陥ってしまう話を
相談時によく聞くことがありました。
その経験から、日本睡眠改善協議会・日本睡眠健康機構にて、
睡眠改善インストラクター・睡眠健康指導士のライセンスを取得し、「睡眠の専門家」として傾聴や
睡眠改善のコンサルティングを実施しています。
ここでも「働き方」・「働く時間」を踏まえた上での睡眠時間のとり方や寝室環境の提案として、
一級建築士としての知識やキャリアコンサルタントとしての視点を活かすことができています。

また、我々キャリアコンサルタントは、まず自分自身の心身の状態が保たれていないとクライエントの
話を聴くことは非常に難しくなってしまいます。
そういった、「支える側の人たちも支えたい!」という想いも持って活動を続けています。
もし、日々の忙しさのあまり睡眠のお悩みがあればぜひご連絡ください。
結びになりますが、これからのキャリアデザインの一つに、
『「ジョブ」と「ワーク」の調律』があると考えています。

私は建設会社の会社員という「ジョブ」としてのキャリアも続けていますが、「ライフワーク」として、
キャリアコンサルタントや睡眠の専門家としてのキャリアも積み重ねております。
現在私は30代半ばですが、定年を迎えるときには、それぞれの分野にて多くの経験と知識を活かし、
新たな社会的ニーズに応えられるコンテンツを提供していきたいと考えています。
人生百年時代と云われて数年が経ちますが、これからも楽しみながら「思い描くキャリア」と
「自己実現」を体現していきたいと感じています。

ぜひ、一緒に自分だけのキャリア形成を築いていきましょう。
皆様の益々のご活躍とご健勝を心よりお祈り申し上げます。

  おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.116(2022年9月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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◆『ヒトは、モノやカネと同列に並べるものに非ず』

先日、ネットのニュースを見ていたところ、とても興味深い記事を見つけた。

『日本の子どもに勉強嫌いが多いのは「評価」され「比較」されるからであり、
上位の一握りの子どもたち以外は嫌いになる。勉強好きな子どもが多いデンマークでは
「テストは禁止」であり、「成績表もない」』・・・

これは子どもだけにかぎった話ではない。(みなさんもご自身の問題として読んでくださると
ありがたい。)

人は、たとえ大人であっても比較評価に晒された途端に委縮してしまい、目立つことを
避けるようになる。
子どもなら尚更だが、誰もが怖れているのは周囲の他者と比較されることによって自分が
劣っているという事実を突き付けられることではないだろうか。

私は仕事上、多くの児童生徒に関わる機会があるのだが、彼らに「どんなことが好きなの?」
と問いかけると、野球だのサッカーだの、またはお絵描きや歌といった具合に即答してくれる。
しかし、「じゃあ、どんなことが得意?」と質問の仕方を変えた途端、一様に口を噤んでしまう。
「どうしたの?」と聞くと、「だって、〇〇くんのほうが僕なんかより上手だから・・」という。
どうやら誰かと自分を比較し、こちらが劣っていると感じると「得意」とは言えなくなる
ようである。

おそらく、これまで幾度となく比較され評価を受けてきた結果、誰かに何かを言われたわけでも
ないのに頭の中で他者と比較しながら勝手に自分をディスカウントしてしまうのである。
これは、学校とは常に評価に晒される場であり、教師は自分を評価する存在であり、
その基準となっているのは多くの者との比較によって設定された「水準」であることを彼らが
知っているからに他ならない。
学校だけではなく、帰宅後の家庭内においてもなお、姉や弟、はたまた従兄との比較が
待ちうけているとなれば、彼らはどこにも居場所がないばかりか隠れることすら
許されないといえる。

ちなみに、一般的には好ましい性格だと思われがちな「負けず嫌いの子」だが、
執拗に食い下がる様子や異常なほど悔しがる姿は、おそらく自分が劣勢になることへの
恐れや不安の反映であり、「頑張り屋さんなんだね」などと笑っている場合ではない。
なぜなら負けまいと躍起になっている行動の源泉は、成長欲求から湧いた主体的な
動機などではなく、自分の存在価値が失われてしまうことへの恐怖心であり、
切羽詰まった状態から生まれる脅迫観念だからである。
それがあまりにも過剰かつ病的である場合には「強迫性障害(強迫神経症)」という
診断名がつくことになる。
これもまた比較評価によって傷つけられたが故の後遺症と見做すことができる。

また逆に、小学生や中学生の時点での成績が上位にランクされてきた子だからといって、
けっして自信を持っているわけではなく、得られてきたのは「優越感」に過ぎない。
そのように断言できる根拠として、高校に進学してから急激に失速することからも
覗い知ることができる。
つまり、小学校・中学校といった狭い領域の中で「お山の大将」的な体験が日常的に
繰り返されてきた過程において有能感だけでなく「優越感」もまた刺激されてきた結果、
徐々に他者を見下すようになってしまっていたとするならば、その後、
偏差値の高い高校に入った際には自分よりも成績が上の者たちから見下されているに違いない・・
と勝手に思いこむ(投影)のである。

評価が低い場合は言うまでもないが、このように如何に高い評価を得てこようとも、
ただ環境が変化しただけで脆く崩れてしまうようでは使い物にならない。
いずれにしても比較がプラスに作用することはなさそうである。

残念ながら、現在の日本においては学生時代だけでなく社会に出てからも比較評価に
晒される状況は続く。
高校や大学、専門学校を無事に乗り切ったとしても、まだまだ先は長いのだ。
ようやく社会人になれたと思ったのも束の間、学生時代とは比べものにならない
厳しい競争と試練が待ちうけていた・・と感じる方は少なくないのではなかろうか。

いま日本社会は「若者の死因のトップが自殺」という不名誉な数字を突き付けられている。
実際に若者の自殺は後を絶たない。しかも未だに増加傾向であることはご存知だろう。
このことは先進国と呼ばれている国々の中ではきわめて異例なことだが、
日本ではそれ以前に「若者たちの自己肯定感や自尊感情の低さ」が異様に目立っているのも
気になるところだ。

他者と比較されるのはもうイヤだ。こんな辛い世界から逃れたい。かといって隠れる場所も
ないし、生きるためには仕事に就かなくてはならない・・となれば、
残された選択肢としてあの世に逃げるしかないというわけだ。

少なくとも、ここ30年近くに渡って給与が殆ど上がっていないことや、
先行きが不透明なだけでなく、むしろ暗雲が立ち込めている状況を見るかぎり、
いくら若者たちに向かって「夢や希望を持つのは大切なことだ」などと説いたところで
現実の厳しさを肌で感じている彼らにとって気休めにすらならないだろう。
非正規雇用の立場に在って明日以降の予定も立てられないとなれば、
将来の夢も何もあったものではない。

企業が他社に先駆けて優位性を保ち、差別化に力を入れようとするのは組織として仕方が
ないことだが、せめて人事考課においては結果や成果だけではなく、努力や向上心などの
「姿勢」についても考慮してあげてほしい。

また、このような状況下にあるからこそ、個々人が自らのライフキャリアについて
しっかり向き合うことはきわめて重要であり、「セルフキャリアドッグ」の導入は企業に
課せられた必須項目として捉えなくてはなるまい。

カウンセリングはけっして「困りごとの相談」や「悩みごとの解消」だけでなく、
幼い頃から不適切な養育環境の中で刷り込まれてきた思い込みや「こうあるべき」
といった固定化されたビリーフを書き換えることによって自由な思考を取り戻し、
植え付けられた規範意識や制限を解除する作用があることも知っておく必要がある。

そもそも比較とは物や現象に対する見方であって、人を対象にするものではない。
だが、グローバル化が加速する経済社会において、長らく経営の三要素とされてきた
「ヒト、モノ、カネ」といった表現によってヒトが材料として扱われてきた経緯に
ついては再考が不可欠だろう。
少なくともヒトは、モノやカネと同列に扱われるものではないし、その意味でも
「人材」を「人財」と書き改める必要がある。

先述したような「比較評価」によって傷つき、埋没してしまった心が自由を取り戻すの
は容易なことではないが、企業のみならず社会全般に渡って、人々が妙な情報に惑わされずに
自らの頭で考え、忌憚なく自由に意見を述べ合い、互いの主張について議論し合いながら
更なる高みへと邁進するためにも、教育や育成または開発と名の付くすべての分野において
「比較」や「評価」について見直しを求めたいところである。
  おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.115(2022年8月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"岩崎佳江さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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◆テクノファ24期卒業生の岩崎です。

私は
「湘南から日本を元気に!」をキャッチフレーズに 働く女性・子供を持つ女性を中心とした
コミュニケーション講座を主宰、個人セッションもしております。
また (株)CPI エグゼクティブコーチとして企業研修に参加しております。

キャリア・コンサルタントの学びは、話を聴く・話を伝えることに対して、
私の見方 聴き方 感じ方を 広げてくれました。
特に「キャリア開発24の扉」の中にある第10図は、私にとって人生を短期 中期 長期と
どの場面でも描くことができ、納得できる考え方の一つになりました。
ユーザーズコラムの「コミュニケーション・パイプはながれていますか」その問いも好きです。

さて
今回はコミュニケーションを通じて心からの笑顔を手に入れたAさんの事を
ご本人の承諾もいただいておりますが、多少設定を変えてお伝えします。

<男だから女だからは無意識?>

「女性は家事や育児をするもの」「仕事で稼ぐのは男性」など・・・
ジェンダーについては何年も前から取り組まれていますが、潜在意識の中に埋もれてしまい、
言葉だけが浮上しているところもあるようにも思えるのです。
日々の生活の中で女性がその認識の渦の中に、自分で自分を巻き込んでしまう事も
多々あるのではないでしょうか?

内閣府のホームページから 男女共同参画局2022.7.13発表のジェンダーギャップ指数は
日本の順位:116位/146か国中。とあり予想よりも低いランクであることにも驚きました。
https://www.gender.go.jp/international/int_syogaikoku/int_shihyo/index.html

<こんな苦悩もある>
Aさんは大学を卒業後の就職先では営業担当。やりがいをもって働いていました。
そして、20年ほど前に結婚のため退社。子供を3人授かり母になりました。

母として、元気に逞しく育ってほしい!という願いがあり、
こうかしら?あんな風にしたらいいかしら?
と愛情いっぱい手をかけ一生懸命でした。しかし思春期を迎えた子供には、なかなか思いが
届かない日々も続き、ある時から一番上のBが不登校となりAさんは心を痛めました。

3人目のDが小学生も中盤になったころ、Bの問題を抱えながらも、子育てをしながら
自宅でできる、某学習塾を始めました。
きっかけは 住んでいる環境で子供たちの「学ぶ」という環境に対して意識が低いと!
疑問も感じ、 自分の住んでいる町の教育環境が今より良くなることをイメージしながら、
まずは自分にできる事として子供たちが学ぶ事が楽しいと思える街づくり
「自分で考える力」「学ぶ喜び」をテーマにスタート。
わが子もそうなってほしいと願いながら・・・
そして、この塾を大きくして家族でこの仕事ができたら!
やりがいがあるだろうなぁ~とAさんが笑いながら話してくれたことを思い出すのです。

さて、
自分で考え行動できる子供に育てるにはどんなお母さんであるといいのでしょうか?
皆さんはどうお考えですか?
「~自立した人になってほしいわ・・・」など、
つい母の子供に対しての願いを話してしまいがちですが、
大切なのは、そんな子供に育ってもらうにはどんなお母さんになるといいのでしょうか?
肯定的な言葉で言えること?
ガミガミ言わないようなお母さん。これは肯定的な言葉ではありませんね。
それはどんなお母さんでしょうか?
例えば 「話を聴いてくれるお母さん」なのかもしれません。たとえ3分でも黙って話を聴く。
どうしてそう思うのかも聞いてみる。Aさんもそんなお母さんになり始め、
AさんはBとの関係を改善しはじめました。

そんな中、塾の仕事はコツコツ続け、Aさんの湧き出るアイディアやそれを実行でき、
結果を出せる素晴らしさ。
料理上手で塾に来た子供たちに食事をふるまう肝っ玉母さん的なところ
みんなを巻き込んで何かを創り上げる能力は日に日に磨かれ、周りからの評判や
支持する人が増え、教育機関からもそのやり方を見学に来るくらいにもなりました。

来てくれる塾生の人数は増え収入が今よりアップすることは生活環境が良くなる結果に
なりますが、同時に夫との関係のあれこれ・・・「夫より収入を得てはいけない!」
というビリーフが浮上し夫への不満を言う自分を責め、心の葛藤で前には進むことが
できなくなり、身体の不調にもつながり食欲はなく、めまいも発症、つらい毎日となりました。
本当は、家族みんなでこの仕事ができたら私もみんなも笑顔になれるのに・・・

<柔軟性のある考え方とコミュニケーション力で乗り越えられる!!>
わかってもらえないストーリーを語っているうちは そこからの変化はありません。
「本当はどうしたいの?」声に出して言ってみる。そんな時、人は「でもさ~」
という部分があって、そちらのほうにフォーカスしがちです。
私たちは過去のいろいろな出来事を引きずりながら今を生きています。
「でもさ~」の部分はそこに置き、未来のなりたい自分に意識を向けることで人は意欲的になるのです。

Aさんからお話を聴くたびに 成功の疑似体験をしてもらいました。
そこには自分の輝かしい世界があります!!
更に具体的に言葉にしてゆきます。例えば「何が見えるの?」と質問してみる。
「何が聞こえるの?」「そんな時にはどんな感じ?」。
すると姿勢も表情もエネルギッシュになってきます!
そして終わりに、Aさんに聞きます。言っててみてどうですか?
心からの笑顔で答えてくれます。

そして、それをやってもそうでなくとも毎回尋ねてみる。「まずは何から始める?」行動計画です。
終了時には「また聴かせてね」のマジックWordは大切にしています。
もちろんそこに置いてある「でもさ~」の部分も大切に聴いてゆきますがそれはまた別の話。

チャレンジして思い通りにならないこともありますが、Aさんの素晴らしいところは、
チャレンジし続けたことです。
自分を信じ、変化を起こした自分を知ることが自信につながり一歩ずつ目標を達成!私は、
ただただ話を聴き続けました。
男女を超えて「Aさんはどうなりたいか?」そしてなぜそう思うの?
Aさんは自分の大切にしていることを整理してゆきました。
ジェンダーギャップはできないことの言い訳だったのかもしれません。
Aさんは、少しずつ目的のための目標を達成してゆくうちに
夫より収入を得てはいけないのではなく夫と一緒に働きたい!と思う自分に気が付きました。

「この仕事は自分の天職!楽しい!自分の今の仕事を夫や家族と協力してゆけたら
今よりもっと良い家族の幸せを築いて行ける」とAさん。その言葉からは、
力強さと一致感がありました。

そして、
Aさんはご主人と二人で話をする機会を作りました。結果・・・
思ったよりずっと簡単にご主人は思いを理解してくれて彼女の描いていたことが現実となり、
生徒数もまた増え、ご主人が経営を協力してくれる事にまで話が進んだのです。

<心からの笑顔は自分でつくる>

今では、逞しく成長した子供達に、時には食事もお願いし、協力もしてもらえ、
夫も経理能力を発揮し、家族5人が幸せに過ごす基盤ができたようです。

自分が何を大切にしているかを知ること言葉にして伝えてゆく事は豊かな人生を送ることができる事。
Aさんの創り出した仕事人生はコミュニケーションを通してとてもバランスのとれたもの
になったように見えるのです。

そして今 私にできることは、皆さんのからのサポートをたくさんいただきながら学び続け
働く女性の心からの笑顔を創ってゆく事! 私も一致した心からの笑顔を発信し続けて
ゆく事だと思うのです。

  おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.114(2022年7月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

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◆言葉の壁について考えてみた

ものごとについて理解したり、相手に説明したりするためには予め両者間に共通言語が
具わっていることが条件である。
だが、受け取る側が未だ体験したことがない初めての事柄や状況について確実に伝達される
ためには、受け取る側に「想定力」や「想像力」、そして「概念化能力」が備わっていることが
求められる。
伝えようとする側もまた表現するための手段としての単語や類義語をどれだけ多く知っているか、
いかに受け取る側の語彙力や知識量に合わせて提供できるかが問われることになる。
もっとも、いまでは映像や音を活用した研修会やプレゼンテーションが一般的かもしれないが、
やはり基本となっているのは言葉であり、様々なツールは脇役であることに変わりはない。

たとえば、有名な松尾芭蕉が詠んだ「閑さや岩にしみ入る蝉の声」もまた、自分が住んでいる
地域において似たような環境に接した体験を持つ者であれば、何となくでもその光景が目に
浮かぶだろうし、真夏日であっても湿気を帯びて冷んやりとした杉木立内の空気を感じながら、
蝉の声がこだまする情景を想像し、自らの体験を芭蕉の句に重ね合わせながら想いを馳せる
ことができるだろう。

だが、南国にある未開の土地に生まれ育った者に、降り積もる雪や宙に舞うパウダースノーに
ついて説明しようとする場合、まず彼らが使っている言語体系の中に「雪」という物質形態を
示す単語があればよいが、写真を見せたり絵に描くことをせずに伝えるのは至難の技である。
「似ている何か」を例に挙げて説明しようにも彼らの生活の中に雪と類似する何か?がなければ、
もはやお手上げである。

また、専門用語や業界用語には多くの意味やそれに至る歴史的経緯や背景、または概念等を
含んでいるわけだが、それらを用いずに説明するならば大変な労力を要する。
これが論文や本のように文字で表わすのであれば「注釈」をつけて説明することになるのだが、
用語を知らない人にそれを理解してもらうためには莫大な量の一般用語を駆使して伝えなくては
ならないだろう。相手が低年齢の子どもであれば尚更である。

一方、それを学ぶ側としても予め多くの「用語」を知っているか知らないかで、せっかくの
学びの機会を無駄にしてしまうことになる。
同じ場で研修を受けたとしても、予備知識があるか無いかでとんでもない差が生じてしまうのは
避けられない。

物理学における思考実験などは、その最たる例だろう。
理論を基に頭の中で描き、次の展開を想像することができなければ、またはそこに何らかの
誤解が入り込めば到底実験など成立しない。
これが、理系を学ぶにしても先ずは語学力が必要な理由である。

哲学や心理学において名著と呼ばれる書籍も、そこで表現される概念に対して該当する日本語が
なければ翻訳することに無理があるだろうし、訳を行なう者が適切な日本語を当てはめることが
できていなければ、原本に書かれた意味や解釈を誤って伝えてしまう危険性についても
考慮せねばなるまい。
洋画に字幕をつける際にも、いかに適切な日本を選択するかのセンスが問われる意味では同じであろう。
"Oh my god!" に訳をつけるにしても「なんてこったい」もあれば、「え、うそ・・!」
といった具合にキャラクターの性格や演じる役者の持ち味に合わせて工夫が必要である。

このように、こと言語に纏わる諸問題は、
意識的にでも丁寧に取り扱わないととんでもない行き違いを生んでしまうことを知って
おく必要がある。

これは、鑑別所に送られ少年刑務所に入れられてしまうような所謂「非行少年」
と呼ばれる彼らにも共通している。
彼等の行動や他者とのやり取りを観てみると、会話等における表現力の乏しさに驚かされる
というが、犯した罪について事情聴取を行なう場面でも「知らん」「わからん」の一点張りで、
5W1Hを使って状況を説明することさえできないという。

子どもだけに限ったことではない。
たとえ年齢を経ていても、語彙力が低かったりボキャブラリーが不足していると意思の疎通に
おいても支障をきたすことになるため議論にさえならず、両者間のやり取りにおいても頻繁に
誤解が生じてしまうがゆえに、すぐに対立が生じてしまうことになる。

親と子、または教師と生徒の間で生じる軋轢と似たような展開は、社会の様々な場でも
起きていると思われる。
職場における上司と部下、ビジネスにおいては顧客と営業マンの間でも起きてしまう危険が
あるということだ。
誰しも業界用語が一般用ではないことを自覚しておく必要があるだろうし、改めて言うまでも
ないことだが医者たちもインフォームドコンセントの場において専門用語など使うべきではない。

今後、さらに少子化が進むことが予想されるわけだが、そうなれば日本国内の多くの企業が
労働力の確保を海外に求めることになることは必至である。
そうなれば、日本語が不自由な彼らに仕事を教えることに労力を使わざるを得なくなるだろうが、
ワークモチベーションやチームビルディングにおいて欠かせない企業内のコミュニケーション
においても、いかに「言語」が重要な鍵を握っているかを知っておくべきである。

これからの企業は人事を取り仕切る部門にこそ柔軟性を持った人員が必要なことは言うまでもない。
そこに関わるキャリアコンサルタントたちもまた、カウンセリングやマッチングだけが
仕事ではないことも充分に理解しておく必要があるだろう。
  おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.113(2022年6月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"三橋慶明さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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◆皆さま、こんにちは。
キャリアコンサルタント養成講座卒業生の三橋慶明と申します。
私は、2007年の6期生としてテクノファでキャリアカウンセリングを学びました。
あれからもう15年が経過し、月日の流れの早さにただ驚くばかりです。
このたび、テクノファさんからお誘いを頂き、皆さまキャリアコンサルタントとして
ご活躍されている方々の前で、本当にお恥ずかしいのですが、自分自身の振り返り
のためにも良いかなぁと思いまして、コラムを書かせて頂きます。

私が本講座を受講したきっかけは会社の同僚からの勧めでした。入社以来、人事の
仕事を15年ぐらいやっていまして、採用や社内で面談する機会も多く、また社員教育にも
役立つかなと思って、応募したことを覚えています。いや、もっと正直に言えば、
当時はまだ若かったので、「コンサルタント」とか「カウンセラー」というカタカナ
資格がカッコいいと思ったこともあったかもしれません。

しかし、本講座で学んだことは本当に私の人生に大きな影響を与えてくれました。
あれほど積極的に学ぶことが出来たのは、素晴らしい経験でした。
特にCDW(キャリア・ディベロップメント・ワークショップ)で自分の内面に向き合う
ことが出来たことは本当に貴重な体験でした。"気づき"の連続でした。
また、普段は「会社員」という枠組みの中で、知らず知らずのうちに、
同じような価値観や考え方の中で過ごしていることも、同期の仲間と学ぶ中で
気付かされました。それまで自分が正しいと思っていることも、反対から見れば
そうでもないことに、ちょっとショックを受けたことも覚えています。
いわば"井の中の蛙"だった自分に、色々と気づかせてくれた同期の仲間には
今でも本当に感謝しています。

さて、当時は仕事の傍らで音楽をやっていまして、学生の時から吹奏楽の
指揮者をしていました。会社員になってからは市民楽団に入り、仕事の後とか
休日に練習をして、年に数回の演奏会を行っていました。
仕事の他に趣味を持っていることは、とても充実していると思っていましたし、
仕事が上手く行かず自信が無いときも、音楽をしているときは苦労もありましたが、
幸せな時間だったと思います。
自分にとっての音楽がどのように重要なものであったかを気付かせてくれたのも
CDWに参加したからだと思っています。

ところが、2016年に演奏中にステージの上でクモ膜下出血で倒れてしまい、
ドクターヘリで緊急搬送され、3ヶ月入院加療することになりました。
多くの方に助けられ、幸いにして無事退院することが出来ましたが、
音楽は熟慮の上、一度区切りを付けることにしました。
家族にも大きな負担を掛けましたし、指揮者は責任ある役割なので、
また体調を崩して周囲に迷惑を掛けるわけにはいかないと考えました。
自分にとって音楽は、学生時代から長い間勤しんできたもので、
それなりの決心が必要でした。

当時を振り返りますと、区切りを付けることが出来たのも本講座で、
"自分のキャリアは、自分で決定し、自分で責任を取る"ことを学んだ
ことが大きいと思います。それまでは(今でもありますが…)
すぐ、他人が決めたとか、他人のせいにしていましたが、
「自己決定・自己責任」については目が覚める思いでした。
今になっても、当時自分で決めたことについて後悔はしていません。
音楽に代わる新しいものを見つけられると良いのですが、
残念ながらまだ出会えていません。
でも、「自己決定・自己責任」がブレなければ、後悔とか妬みとかは
消せなくても軽くなるのではないかと思っています。

さて、私は以前から、人事とか総務の仕事柄、社員教育の場で
「健康第一」とか「自分の身体は自分で守りましょう!」とか
色々言ってまいりましたが、今では心の底から強い信念を持って
そう思っています。まだまだコロナ禍も収まらない様子ですが、
皆さまにおかれましては、どうかお身体になさって頂きたいと
思います。

お付き合い頂きましてありがとうございました。
  おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.112(2022年5月号)…

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 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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◆イノベーションを成功させるために

■フェイクニュースに翻弄される世界
いま、社会が二つに分裂している。
まず、アメリカは先の大統領選挙を境に真っ二つに分断されたと言っていいだろう。
さらにアメリカのみならず世界的に同様のことが起きており、日本も例外ではない。
たとえば「コロナは単なる風邪だ。」VS「いや、そう単純ではない。事は深刻だ。」から始まり、
「ワクチンを打つべきではない。」VS「ワクチンを打たずに終息することは難しい。
絶対に打つべきだ。」・・
この論争は既に2年ほどの時間が経過しているが、未だに決着はついていない。
(つくはずがない。)
さらに今回のウクライナ危機においては「情報戦」とも言われているだけあって、
じつに様々な情報が乱れ飛んでおり、人々がどのソースを信じるか、または国同士の
利害関係とも相まって意見が対立している。
連日テレビやネットのニュースで流されるロシア軍の攻撃はバイデン大統領を以て
「ジェノサイド」とまで言わしめる虐殺行為にまで及んでいる。
しかし一方でロシア軍の侵攻を支持する意見もあり、その中では
「プーチン大統領はネオナチの暴力と支配からウクライナの人々を解放する英雄だ。

ブチャをはじめとする民間人の虐殺はウクライナの自作自演であり、
アメリカはウクライナと致死性の生物兵器・化学兵器を開発している」という。

他にも、そもそもウクライナ侵攻そのものが映画の製作と同様のVFX(視覚効果)を
駆使して作られた捏造動画であり、クライシスアクター(被害者を演じる役者)
によって意図的に仕組まれたものだという者までいる。

さらに西側のマスメディアや日本のマスコミ(彼らは「マスゴミ」と呼ぶ。)
がこれに加担しているという荒唐無稽としか言いようのないデマですら
一部では真実として受け入れられている。
 ロシアもウクライナも自分たちに都合のいい情報発信を行なっているようだが、
ロシアのディスインフォメーションにどっぷりと浸かってしまった人々は、
「西側の情報だから信用できない。」の一点ばりで「虐殺などない。あれはフェイクだ。」
と譲らない。

物事を正しく判断するためには「情報」と「推測(想像)」、そして「事実」とを
可能なかぎり分けて冷静なる観点から見極めることが肝要である。
それを怠れば人は無自覚に「自分にとって都合のいい情報」ばかりを選ぶようになってしまい、
その結果としてどこの誰かも判らない者の主張を自らの意見だと錯覚してしまうのである。

 人間が持つこのような傾向は認知バイアスと呼ばれ、行動経済学などではマーケティング
の手法として活用されるに至っているが、このような思い込みはひとつ間違えばオウム
真理教に因る地下鉄サリン事件のような深刻な問題にまで発展してしまう危険性を孕んでいる。

 もっとも、かくいう私も「この情報が絶対に正しい」などと言い切れるはずもなく、
実際に現地まで足を運んで自分の目で確認できないかぎり、「これこそ紛れもない事実だ!」
などと言い切ることはできない。

むしろ、相手のことを荒唐無稽だと笑っている自分こそが錯覚の中にいるかもしれないのである。
 加えて、残念ながら我が国は「報道の自由度ランキング2021」において67位であり、
首位を占める北欧の国々から見てずいぶん遅れをとっている。
となると憲法によって自由が保障され、知る権利や発言する自由が守られているというのも
思い込みに過ぎないのかもしれないし、単に我々が飼い慣らされた羊のような状態に
陥っていることも考えられる。

■情報リテラシー
 そこで、このような錯覚に陥らないためにも「情報リテラシー」の重要性に今いちど
目を向けてみたい。

以下、コトバンクより転記
 『情報リテラシーとは、文字を読み書きする能力を意味するリテラシーLiteracyから派生し、
「情報技術を使いこなす能力」と「情報を読み解き活用する能力」の二つの意味をもつ。
「情報技術を使いこなす能力」とは、コンピュータや各種のアプリケーション・ソフト
(特定の作業のためのソフトウェア)、コンピュータ・ネットワークなどのIT(情報技術)を
利用して、データを作成、整理したり、インターネットでさまざまな情報を検索したり、
プログラムを組むことのできる能力をさす。
一方の「情報を読み解き活用する能力」は、広義の情報リテラシーと位置づけられる。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などさまざまなメディアから発信される情報の役割や特性、
影響力などを理解する力、および自ら情報を収集、評価、整理し、表現、発信する能力など
、情報の取扱いに関するさまざまな知識と能力のことをさし、メディアリテラシーともよばれる。
学校教育の現場などでは、おもにこの意味で使われる。』
以上、引用おわり

学校教育の場で子どもたちに伝えられているのは、社会で生きていく上で今もっとも憂慮すべき
問題が絡んでいるからに他ならない。ネットの普及に伴い、これまでには無かった新手の犯罪に
巻き込まれたり、何が本当なのかが判断できないまま被害に遭ったりするケースが
後を絶たないからである。
テレビのニュースや新聞の社説などであれば、そこに伝える側の責任も同居していることから、
その発信の出処やエビデンスについても明確にする必要があり、それゆえある程度は信憑性も
あるわけだが、YouTubeなどの媒体はそのほとんどが公式な見解というよりも
個人の発信によるものが目立つ。
 そんな動画サイトに夢中になっている者たちに言わせれば、既存のメディアに対する落胆というか、
諦め的な感情が渦巻いており、メディアによる報道そのものを信用に値しない偽情報だと決めつけて
しまっている。
もちろんすべてのYouTube動画を否定するつもりはないし、個人が発信する中にも論拠を
明らかにしているものもある。だが、少なくとも観る側の姿勢として、ただ情報を鵜呑みに
するのではなく、まずは疑いを持ってかかり、何となく湧きあがる違和感に蓋をせず、
できれば逆の意見にも十分に耳を傾け、客観性をもって臨むことを心掛けるべきだろう。

ここで云う客観性とは、否定されることにムキになっている自分や相手の意見を封じ込めたい
という衝動に対してである。
自らの思考が偏っており観察眼が歪んだ状態に在ることに気づけなくてはリテラシーも
へったくれもないのだ。
それに気づかせてくれるのが他でもない他者の存在なのだが、ひとつの方向性にのみ
縛られてしまった者は、せっかく自分に向かって示してくれている反対意見を
こともあろうに踏みにじって潰そうとするのである。

■自分にとっての事実など認識の範囲に閉じ込められた幻想にすぎない
コロナがどのようなものかについては未だ世界中を探しても解明できている人などいないはずだし、
ウクライナを映す悲惨な光景が実車なのか作られた映像なのかも日本に居ながら確認する術はない。
重要なことは「断言することなど誰にもできない」ということを理解していることであり、
論争において相手を黙らせることが目的になってしまっていることに気づくことである。

このように、人の目には見たいように見え、信じたいように信じる。つまり誰しもが盲目なのである。
さらに、確信がないにも関わらず対立する意見を非難し、他者を自分の意向に従わせようとしたり、
事実か否かを確認しないまま(できないにもかかわらず)周囲に拡散しようとするのは
無責任な行為と言わざるを得ない。
人は誰もが自分の知り得る範囲(領域)のフレームでしか物事を捉えることができないのである。

このような有様を日常の自分にも当てはめて観てみよう。
企業で働く人たちも、公務員も、職人も、芸術家も、タレントも・・それぞれが所謂「業界人」であり、
自分が接してきた世界の中だけで生きている。
業界とは業種や取り扱い品目を同じくする仲間。また、そういった企業や人々の関係的集団。
のことであり、同じ仕事をしている人や同類の特定的社会を示す言葉である。
つまり、特定という前提が付くかぎり不特定多数ではないし、業界=世界ではない。
いかに活動範囲が広くとも、たとえ飛行機や船に乗って海外の国まで頻繁に通っているとしても、
物理的に移動可能な範囲の問題などではなく、専門性が強いほど、またはその業界に長く深く
関わってきた者ほど、認知的かつ認識的な意味で誰もが井の中の蛙なのである。

たとえば、転職や再就職の場においても、ほとんどの者が以前の経験を活かそうとして同じような
職種の中から選ぼうとする。初めての仕事が不安なのは解る。
慣れた業種なら上手くこなせるだろうという気持ちもあるだろう。だが、それだけではない。
これもまた狭い世界観しか持っていないことに因るのである。
これでは、せっかく新たな人生を踏み出せるチャンスなのに、自分が持つ隠れた才能や可能性を
自ら放棄しているようなものと言えよう。
(キャリアコンサルタントは、そんなあなたの世界観を広げるためにいます。
機会があれば、ぜひカウンセリングを受けてみてください。)

■新たな世界との出会いを生み出す異業種交流会
その意味では「異業種交流会」への参加は、自分が知らなかった世界を見せてくれる有難い機会と
言えよう。
異業種交流会に参加する最大のメリットは、これまでまったく接点のなかった別の業界の
営業マンや経営者と知り合えることである。
その出会いをきっかけにビジネスパートナーとして新事業のアイデアが生まれる場合もあるだろうし、
いろんな可能性について語り合うことで世界観が広がることに加え、人脈を広げることにも
役立つはずである。単なる名刺交換会ではなく、互いの領域を知ることで新鮮な驚きを以て、
これまでの自分がいかに社会を知らなかったかに気づければ、それだけで参加する価値がある。

できれば共に経営に携わっている者同士だけでなく、まったく畑違いの公務員や医療関係者、
または福祉界や教育界、職人、芸術家など、敢えてこれまで縁のなかった業種の相手を
見つけて語り合うのもいいだろう。
または、異業種交流会の場を借りずとも意図的に出会いを仕組んでみるのも一興かもしれない。
何にしても、これまで触れたことのない異質な世界へといざなってくれる特別な時間になるはずである。
(※:ワールドカフェ/OST(オープンスペーステクノロジー)などが出会いの促進に有効。)

コロナ禍に翻弄された次はウクライナ危機の影響で世界の経済は大きく変わると思われる。
小麦粉やガソリンの値上げだけが問題なのではない。今後、日本社会は大きく変化せざるを
得ない状況に追い込まれることだろう。
現在の企業にとってイノベーションを成功させられる組織であるか否かはとても重要な経営課題である。
しかし、「イノベーション」という言葉の意味について丁寧に考察してみれば、じつは誰もが
「新しいことに挑戦すること」、または「停滞から変革へ」といった漠然としたイメージしか
持っていないのではないだろうか。
ウィキペディアによれば、『イノベーションとは物事の「新機軸」「新結合」「新しい切り口」
「新しい捉え方」「新しい活用法」のこと。
一般には新しい技術の発明を指すという意味に誤認されることが多いが、それだけでなく新しい
アイデアから社会的意義のある新たな価値を創造し、社会的に大きな変化をもたらす自律的な人
・組織・社会の幅広い変革を意味する。』とある。
これは語るのは容易くとも簡単なことではない。

やはり、そこに必要なのは企業を構成する個人が思い込みによる狭い世界から解放され、
昨日までの経験値に頼らず新しい視野を獲得することであり、役員をも含めて個々の世界観を
転換することではないかと思われる。
狭い世界観に囚われて生きている自分に気づけなくてはイノベーションなど起こりえないのである。

世界的な分断が何をもたらすか・・または破局に向かうのか・・
今のところ先のことなど判断のしようがないが、せめて自己の心の中で何が動いているのを
観察することだけは忘れずにいたいものである。

  おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.111(2022年4月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"佐藤美喜さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

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◆皆さまこんにちは。桜が綺麗な季節になりました。
今日から新年度も始まり、気持ち新たに新生活をスタートした方も多いのでは
ないかと思います。


早いもので私がテクノファでキャリアコンサルタント養成講座を受講してから、
6年が経ちました。
受講当時は会社員でしたが、そこから転職、大学院入学、妊娠出産、独立など
人生の転機になるような出来事が続いています。
このような大きな変化の中で私が大事にしてきたことは「自分にベクトルを向ける」
ということです。

キャリアコンサルタントの皆さまからすると、「当たり前のこと!」と思われるかも
しれませんが、「自分にベクトルを向けて自分を知る」ということは、
簡単なことでは無いと実感しています。

社会の中で過ごしていると、人の目を気にして自分以外のことに忙しくなりがちです。
現在、仕事の一つで大学のキャリアカウンセラーをしているのですが、学生さんから
「企業の方にどう思われるかわからないので、自分の考えがうまく言えない」
という相談を受けることがあります。

自分を知ってもらってご縁を結ぶことが就職活動なのに、自分を表現できない学生が
多いのです。
日本の中で育っていると「自分にベクトルを向ける」機会が少ないように感じます。
世の中にある正解を探して過ごしてきたので、自分について考えることがあまりな
かったようです。

しかし、社会に出ると「自分で決める」ことが大事になってきます。
学生は就活で初めて「自分」に向き合わざるを得ないのですが、方法がわからないので
不安になるし、正解が欲しいので答えを自分以外の外に求めてしまう傾向があるなと
感じています。

私は学生に向き合うときは、「あなたはどう思うの?本来の自分を出していいんだよ」
と伝えています。

それでも悩んでいたら「もっと自分を知ることをしてみよう、過去どんな経験をしてきたか、
どんなことに喜びを感じたかを振り返ってみて」
「他人にどう思われるかは、あなたが自分で創り出している不安。
人が何を思っているかなんてエスパーじゃない限り分からない。
大事なのは他人が考えている正解を探すのではなく、自分自身を知って表現すること。

それでご縁に繋がったら、本来の自分で心地よく働ける環境に出会えるんじゃないかな」
と言っています。

ここまで話すと「そうか~!」と納得したような顔で、「わかりました!」と
帰っていく学生が多いです。

でも、これは私自身へのメッセージでもあるんですよね。
正直、テクノファの講座を受講するまでは、自分よりも外にベクトルが向いていたし、
自分以外のことに忙しくなって疲れていたように思います。

でも、講座がきっかけで「自分を知る」ことに目覚めて、今でも日々新しい自分の発見が
あります。自分を知ることに終わりは無いと思うんですよね。
いつまでもベクトルを向けて深掘りすることができる。

最初の私の経歴の話に戻すと、この6年で色々な出来事がありましたが、
自分にベクトルを向けて向き合ってきたおかげで、今とても充実した日々を過ごせています。

転職や独立は勇気がいることですが、その時の自分にとって心地よいという環境に
飛び込むことで、学びも沢山があったし、違和感を感じたら手放すこともしてきました。

この手放すこともすごく大事だと感じています。自分と向き合って違和感を感じたら、
それは自分のためではなく他人のためだと思うのですよね。

他の人のために役に立つことに喜びを感じられていたら、それは自分のためですが、
逆に疲れていたら、自分がやらなくてもいいと思っています。

社会には自分以外の人がたくさんいるし、自分が違和感を感じることが、他の人が喜びを
感じることであることは自然なことです。

「誰も他人をジャッジすることはできない」と気づいたことが、最近の私の学びです。
なので、自分自身に問いかけて「何が心地よいか」を大切にしてキャリアを築いていくのが
「自分らしさ」だなと思っています。

これに気付くと、何をするにも軽やかに行動することができるようになりました。
私は、テクノファ講座の後すぐに社会人大学院に入学して経営学を学んだのですが、
在籍していた3年の間に転職、独立をして最終的には子どもを妊娠出産して最後まで
通いました笑。

他の人から見ると、「もっと落ち着いて進めないの?」と思われるかもしれませんが、
私からするとその時に心地よいことを選択してきているので、楽しく過ごしていました。

現在仕事では、大学でのキャリアカウンセラーの他に、孤立した妊婦をサポートする
NPO法人の人事や広報、友人の会社がリリースしたデトックスサービスでコーチなどを
しています。

すべての仕事で共通しているのは、「自分にベクトルを向ける」「自分で決める」
ということを大事にしていることです。
テクノファから始まった自分の気付きが今に繋がっていると実感する日々です。

  おわり◆