キャリアコンサルタントになるなら株式会社テクノファのキャリアコンサルタント養成講座

株式会社テクノファは厚生労働大臣認定キャリアコンサルタント養成講座実施機関です。

キャリアコンサルタントとは

過去のメルマガ記事(2025年度)

テクノファのキャリア開発メルマガは月1回の発行です。
どうぞお気軽にお読みください。
購読は、無料です。

キャリア開発支援のためのメルマガを登録する

キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.155(2025年12月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"中村嘉志さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

====================================================================
こんにちは。
テクノファのキャリアコンサルタント養成講座の修了生の中村嘉志(ナカムラヨシユキ)
と申します。
ものごとに一喜一憂することなく、坦々として生きていきたいと夢想しながら、
現実に打ちのめされ続けているサラリーマンです(負けるが勝ちと誤魔化しています)。
私の憧れは、水戸黄門というTVの時代劇の登場人物の「うっかり八兵衛」です。
白刃が交わる剣戟のさなかに、食べかけの串団子やお汁粉を落っことさないように
気にするなんて、狂言回しの面目躍如そのものですね(自己紹介に代えて)。

直接的な業務としてのキャリアコンサルティングそのものには従事しておりませんので、
キャリアコンサルタント養成講座での学びが「仕事をする上でどんなに役に立っている
(と感じている)か」などについて話したいと思います。

現在、障害者の雇用就業支援に携わっております。企業向けには雇用に関するお手伝いを。
障害者と障害者が利用している就業支援機関に向けては就業に向けたお手伝いをしています。
いくつか紹介いたします。
日々、区部と多摩の二か所の相談窓口を運営しています。
窓口には、様々な相談が寄せられます。
企業からの相談は、主に障害者の雇用とその職場定着についてです。それらに対しての
アドバイスや情報提供は、ある程度対応メニューを揃えており、ベストとはいきませんが、
ベターにちかいものができます。
ここで役立つのが「傾聴」のスキルです。耳を傾けてよく聴くことと、主訴を違えないこと
が大切です。そして、相手を理解し、相手の立場に立った、実現可能性のあるアドバイス
なり情報提供なりを行います。中小企業からの、障害者の求人や職場定着に困っている
という相談に対して、「多くの企業もこのような悩みを抱えていますよ」などと共感できる
安心材料を示した上で、当該企業が対応可能な選択肢を複数示して考えてもらう訳です。

障害のある当事者からの相談は、自身の知識・経験・能力のすべて(に近しいもの)を
用いて対応します。いわば「人間力」とでもいうようなものを使っていると考えています。
そして、相談を受ける側には、確固たる覚悟や自己認識・自己理解が必要だと感じています。

「答えはクライアントが知っている」とテクノファの養成講座では何度も敬愛する今野先生
(故人)が言っておられました。相談業務をやっていて(管理運営側なので直接的に対応
することは稀ですが)、実感することは、自分のことが分からなければ、他人のことなど
わかるはずがないなということです。
自分のことを理解し、主観を極力排し(私の見解に主観的要素がゼロということはありえ
ないと考えています。)、公平・公正を旨とし、偏見は絶対に持たないように(これもとても
難しい問題ですが)心がけて相談業務に臨んでいます。ここで思い出すのが、
テクノファでのCDWです。自己理解とその大切さを知るために、これほど役立つものを
私は他に知りません。ほんとに。

 障害のある当事者や、その支援者向けに就職活動とその支援のためのセミナーなども
主催しています。ここで心がけているのは、参加者のニーズを的確に捕捉して内容を吟味し、
参加者が何かしら新しい知見を持ち帰られるようにすること
(周りには、参加者にお土産を持って帰ってもらえるようなものにすること。と言っています)
と、参加者からのアンケートを踏まえて次回に向けて内容をブラッシュアップすることです。
他人に何かを教えるというアウトプットの行為には、教えることの何倍もの勉強(インプット)
が必要です。私は、キャリアコンサルタント養成講座で、定職に就いてから一番真剣に
勉強したつもりでしたが、講座の中で講師陣から、「養成講座は言うに及ばず、
資格試験合格はゴールではなく、スタート地点に過ぎない」という趣旨の話をききました。
自分を理解し、相手を理解するように努め、相手の気づきを促せるように援助を実施する
ためには、勉強をし続ける必要があるということを気づかせてもらった訳です。

(そういえば子供のころによく読み聞かせてもらった物語は、王子様とお姫様は結婚して
幸せに暮らしましたとさって終わりましたが、そのあとの日々のほうが、うんと長くかつ
大切なものだということに似ていますね。)

なお、学び続けるという姿勢は、キャリアコンサルティングやセミナー実施にとどまらず、
対人サービスを行う上での原点ではないかと思います。
 私は、自分の仕事は、人間の尊厳を守ることにつながると信じて、誇りをもって
天職(Calling)だと思って取り組んでいます。今の組織(就業支援機関です)で
駆け出しのころ、上司から「はたらく」というのは、「傍(はた)」が「楽(らく)」
になるということだと教わりました。それを聞いたときに、確かに誰かの役に立てるのなら、
これに勝る喜びはない。お互いがお互いにそう思えたなら、どんなに良い世の中に
なっていくことだろうと想像して愉しい気持ちになったことを覚えています。

私が働くことによって、ほかの誰かが、働くということについて今よりもほんの少しでも
上手く行って、より善き人生を歩めるようになり、その誰かがまた、ほかの誰かの役に
立ってその人を笑顔にすることができるようになっていったら、そんな連鎖反応が
あったら、これは素敵なことだと思いました。
真剣に仕事に取り組む意味は、私は、これかも知れないなと感じたものです。

 今の仕事に寄せて言えば、障害があり生活保護や障害者年金を受給していて、
「あなたは障害者だから働かなくていいですよ」と働くことから遠ざけられている方々の
中には、働くことを望んでいる方々が多数います。働きたい障害者に対して、
そのやる気と能力(この見極めも難しいのですが)に見合った仕事に就けるように
サポートしていくことができれば、その人は、ほかの誰かが楽になるのを助けることが
できるようになる訳です。
サービスの受け手という立場に押しとどめられている人が、サービスの担い手へと
なれるように支援して、その人が誇りをもって生きていけるように、
その人が自身の尊厳を守っていけるようにしていくことが、障害者就業支援の重要な
意味だと考えています。
「ただ生きていてくれればいいですよ」から、「あなたがいてくれてよかった。あなたの
働きに対して、礼を言う。どうもありがとう。」へ。
ワークキャリアに関する支援が私のミッションです。ちなみに私は仏教徒です。
最終学歴は神道科(神主養成科)がある大学でした。キリスト者ではありません。
では、また。

おわり


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.154(2025年11月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

====================================================================
チームビルディングの基盤となる「絆づくり」

みなさんは国立教育政策研究所という機関をご存知だろうか。
教育政策の企画・立案に資する総合的な調査研究を行なう文部科学省所管の国立研究機関
である。此処では教育政策の基礎調査研究のほか、全国学力調査の実施、教育関係者への
研修や情報提供、国際協力など幅広い活動をしており、数年前からイジメ問題や不登校の
未然防止に有効な手立てとして「絆づくり」を提案している。

この提案は、人は基本的に「親しみを感じていたり、大切に想っている人」にはとても
親切であり、苦しんでいる姿を見れば助けようとするものであり、けっしてイジメたり
責め立てたりしないという、誰もが持っている一般的かつ当たり前の行動特性を前提に
している。

一方で、極端な言い方をすれば、知らない人には冷淡であり、仲間だと思っている以外に
対しては「どこの誰だか分らないヤツなんか、どうなったっていい」「知ったことか!」
と思っていて、たとえ傷ついた姿を見ても良心の呵責など起こらない・・

ここまで読んで「私はそんなことないぞ!」と反論したくなる方がおられるかもしれないが、
次の例を読んでどのように感じるか試してみてほしい。

例えば、どこか遠くの名前を聞いたこともない国で旅客機が墜落し、搭乗していた500人
全員が亡くなったというニュースを観たとしよう。
大きな事故があったと聞けば誰しも驚くとは思うが、まず、最初に気になるのは「いつ?」
「どこで?」「誰が?」「どのような?」ということではないだろうか。

その期待に応えるべくアナウンサーは言うのである「なお、日本人の乗客は含まれては
いないとのことです。」
おそらく、この言葉を聞いた時点で殆どの人は「ああ、よかった」と安堵し、目の前の
忙しさの中に戻っていくのではないだろうか。

しかし、これがもし国内で起こった航空機事故なら、ましてや親しい友人や 家族が乗って
いる便かもしれない・・などと思うと心配のあまり落ち着いてなどいられないはずである。

この違いについて、「そんなの当たり前だよ・・」などと簡単に切り捨てないでほしい。
先述したように、僕らは「親しい人」と「知らない人」に対する想いや接する態度には
大きな違いがあるということを先ず押さえておいてほしいのだ。

戦争も同じである。「家族や愛する人を守るためなら戦うぞ !」と躊躇なく敵を殲滅
しようとするだろう。
戦いの中では「敵の兵士にだって大事な家族や恋人がいるかもしれない・・」などという
ことは微塵も考えず、とにかく自分の身を守るためにも敵を倒すことしか頭にないはずだ。
つまり、「知らない人など死んだって構わない」というわけである。

ところで、人とは「孤立」を怖れるものである。
たとえば、全国から多くの人が集まるようなイベントに参加した際に、周囲を見渡しても
全く知り合いがいないときに何となく心細い気持ちになっていたあなたは、思い切って
隣に座っている誰かに声を掛けるだろう。
「どちらから来られたのですか?」と尋ねたところ、意外にも自分の地元の近くだったり、
頻繁に訪れる地域だったりすると「ええっ!そうなんですか!私の母も○〇県の出身なん
です!」と一瞬で嬉しくなり、「じゃあ、△△というお店にも行ったことありますか?」
などと他にも共通項がないか問うのではないだろうか?

このように、我々はなぜか不思議なことに地理的な距離や共通する何かが得られるだけで、
それがそのまま親密性や親近感を生み、それが多ければ多いほど仲間意識の距離と
比例して近く感じるのである。
これは所謂「同族意識」や「連帯感」と呼ばれる心理的反応である。

「絆づくり」に話を戻すが、なればこそ、せめて同じ職場に在籍する一人ひとりが互いに
しっかりと出会うことで「知らない人」がいなくなったとき、その集団がどのように
変化するか?ということである。
(※:ホーソン実験 ⇒ 検索)

特に企業体においては、そこに在籍する社員(職員)には共通の目的(利潤の追求)が
あるので、同じ目的に沿った話題に終始することで「同僚」という名の仲間を作りやすい。
しかし、真の意味での「チームビルディング」とは何か?と問われたとき、そこに本当の
意味での信頼関係や自分の居場所的な安心感が得られているのか?という疑問が残る。

特に男性は「考えを述べることと気持ちを話すことの違い」に疎い方が多いように
思われる。
40年間も同僚として一緒に仕事をしてきた仲間であるにもかかわらず、隣席に座っている
同僚の生い立ちや家族については何も知らないという浅い関係が殆どではないだろうか。

つまり、「仕事上の件について話し合う機会」は数多くあったが、「私とあなたについて
対話」は殆ど為されなかったということであり、けっして「仲間」イコール「絆」
ではないということだ。

同僚のことを「友人」だと錯覚していた者たちは、定年退職を迎えた翌年になって
「自分には友人がいなかったのか!」という事実に初めて気づくのである。

さて、ここで提案なのだが、そのような共通項で繋がっている関係ではなく、または
会話の中で「うんうん、そうそう」などと盛り上がるような関りなどではなく、かと
いって同じ目的に沿った議論などでもなく、相手のことを更に深く知り合うことを
目的とした「対話」を行なうことで、真のチームビルディングが実現できるのでは
ないか?と提起したいのである。

 コロナ禍によって所謂「飲み二ケーション」の機会が激減したこともあって職場
では業務連絡以外の接点がなくなってしまっている。
 少なくとも仕事以外での関りが減ったことで「チームづくり」が難しくなったことは
否めない。

 対話とは、文字どおり「私のことについて話し、あなたを知るために聴くこと」
である。
こんなご時世なればこそ、意図して「対話」を行なってみようという試みである。
(※:エンカウンター ⇒ 検索)

人は、目の前の相手について、その生い立ちや何らかの問題で苦しんでいる事情などを
知った瞬間、俄かに親近感が湧いてきて同情したり支えてあげたい気持ちになったりする。

相手のことを詳しく知れば知るほど近い存在に思えるものであり、いままで誰にも言わず
にいたことを「じつはね・・」と相手に開示したとき、殆どの者は
「いや、ホント言うと私も・・」と返してくれる。
これは「自己開示の返報性」といって、相手から頂いた正直な気持ちや想いに対して、
自分もまた真摯に応えるという行動原理があるためである。

集団内において1対1で積極的に関わることによって互いが深く知り合
い「絆(親しい間柄)」が生まれれば、もはやそこにはハラスメントなど起こるはずもなく、
個々が自分の居場所を自分の力で生み出すことによって「私は此処に居てもいいんだ」
という安心感を得られれば、忌憚のない意見も言えることだろう。

最近の風潮として、なぜか若い彼ら(Z世代とも呼ばれている)は、
周囲を重くしてしまうであろう話題を避ける傾向があるようだ。
おそらくこの背景には10~15年前に蔓延した「KY(空気、読めよ)」という呪縛が
あり、「集団内において、明るく盛り上がっている雰囲気の中では暗く重い気持ちになる
ような話題など出すものじゃない!」という呪縛に囚われていると思われる。

昨今、管理職の方々から「若手社員(職員)と関係を作ることが難しい」と悩む声を聞く
ことが多いが、若い彼らに対して「最近の若者ときたら・・」とボヤく前に、
年長の立場にある自分たちこそが彼らの持つ文化的傾向や行動特性に対して意志的に関心を
持ち、自ら歩み寄る姿勢を見せることが年輩としての役割ではないだろうか。
おわり


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.153(2025年10月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"佐々木大河さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

====================================================================
成果を超えた価値を探す旅 ― 子どもたちから教わったこと ―

 こんにちは。テクノファのキャリアコンサルタント養成講座第45期卒の
佐々木大河と申します。

 私は認定NPO法人NEXTEP(ネクステップ)という組織に在籍し、
不登校やひきこもり経験のある若者たちのキャリア支援に取り組んでいます。
また、NEXTEPでは、重症心身障害児や医療的ケア児と呼ばれる子どもたちが
地域で暮らせるよう、訪問看護や通所支援事業所の運営など、様々な環境づくり
も行っています。

 皆さんの身近に、重症心身障害を持つ方はいらっしゃいますか?

 彼らは自分の足でどこかへ行くことも、言葉を使って気持ちを表現すること
も困難です。今のところ、一般の就職やアルバイトといった選択肢はほとんど
ありません(将来的には、テクノロジーがこの状況を変える可能性はあります)。
その意味では、彼らは社会の中で一般的な「生産性」で評価されがちな枠組みとは
なじまないかもしれません。
 一方で、彼らと日常的に関わる中で、私たちはたくさんの気づきを与えてもらい、
人生を豊かにしてもらっていると実感しています。彼らの存在そのものが、社会に
大切なことを教えてくれていると思うのです。

彼らが教えてくれること

 彼らとの日々の関わりを通して、私たちは言葉にならない共感力や無条件の愛と
いった、数値化できない価値に気づかされます。彼らは言葉を話せない代わりに、
筋肉のわずかな緊張や緩み、呼吸や心拍の変化でコミュニケーションを取ります。
その微細なサインを読み取ろうと最大限の注意を払うプロセスは、私たち自身の
感受性を磨き、相手の心に寄り添う力を高めることにつながります。
 また、彼らは何かを「与える」ことで評価されることはありません。
彼らの存在そのものが、そこにいるだけで価値を持っています。
この関係性は、見返りを求めない愛を私たちにもたらし、忙しい日々の中で見失いがちな
人間の尊厳を再認識させてくれます。彼らから、人の本質に関わるような大きなギフトを
受け取っているように思うのです。

キャリアコンサルティングとの関係性から考える

 私たちキャリアコンサルタントが関わるクライエントは、多くの場合、
職業や社会的役割(例えば親として子をまっとうに育てなきゃ!だとか)
という目に見える成果を求められる世界に生きています。
だからこそ、理想と現実のギャップに苦しむことがあります。
そのような方を支えるにあたって、私は前述した子どもたちとの関わりから、
大切な学びを得ていると感じています。

 キャリアコンサルタントの役割の一つは、クライエントが持っている、
そもそもの存在としての価値に光を当て続けることではないでしょうか。

 傾聴の過程では、「うれしい」「つらい」といった感情に光を当て、言語化し、
本人が認識できるように手伝います。また、もやもやとした感覚や葛藤にも言葉を与え、
その人が発する考えと、そのきっかけになった体験を明らかにしていきます。
これらの人としての営み一つひとつを、リスペクトをもって受け取り、
つまり**「尊い」**ことをクライエントと共に確認していくのです。
この積み重ねこそが、クライエントが尊厳を取り戻し、次に一歩を踏み出す土台を
固めることにつながります。

 成果や生産性といった目に見えやすいアウトプットではない、もっと手前の
尊厳そのものを大切にする世界を生きること。
これは私が個人的に大切にしているコンセプトですが、
この考え方を力強く支えてくれるのが、前述したような子どもたちとの出会いでした。
彼らはその存在を以て、私にキャリアコンサルティングの真の価値と意味を
教えてくれているように感じています。

おわり


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.152(2025年9月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

====================================================================
私の存在価値とキャリア形成

先日、NHKの朝ドラ("やなせたかし"をモデルにした「あんぱん」)の中で、
主人公である「のぶ」が夫の嵩に苦しい胸の内を漏らすシーンがあった。

「ウチは何者にもなれんかった。教師も代議士の秘書も会社勤めも、
何ひとつやり遂げられんかった。あなたの赤ちゃんを産むこともできんかった。
ウチは何のために生まれてきたがやろう・・精一杯がんばったつもりやったけど、
何者にもなれんかった。そんな自分が情けなくて・・世の中に忘れられたような、
置き去りにされたような気になるがよ。」と・・

自分は何のために生まれてきたのか?
自分が存在することの価値とは何か?

彼女が得ようとしているのは他者からの評価なのか?
それとも自己評価としての納得なのだろうか?

おそらく、人生について本気で考え始めた経験があれば、
誰もが必ずといっていいほどこの壁にぶち当たるだろう。

キャリアについて「経歴」、または更に狭い範囲で「職歴」のことと認識している
人が多いことは甚だ残念だが、ドナルド・E・スーパー氏が提唱したライフキャリ
アレインボー理論においては、キャリア形成を単に収入目的で職業(Job)
に就くことだけではなく、年齢や時期、または成長期、探索期、確立期、維持期、
解放期等の発達段階(ライフステージ)における広義的解釈として(Work)
という捉え方がある。

また、氏はそれぞれのライフステージにおいて担うであろう役割(子ども、学生、
職業人、親、配偶者、余暇人、市民などの様々なライフロール)で果たす様々な
経験が虹のように重なり合って積み重なり、生涯に亘って総合的なキャリアが
形成され続けると説いている。

彼は一般的なJob中心のキャリア観に留まることなく、人生全般を多面的に捉え、
日々の家庭生活の中に在る趣味や地域活動なども含めた長期的な視点でキャリア
を捉えたのである。

夫が妻に対する暴言として「俺は外で仕事をしてるんだ!」という台詞がある。
それはつまり「一家を(経済的に)支えているのは俺なんだぞ!もっと感謝
してくれよ!」と言いたいのだろうが、それは妻が担っている「子育て」が
如何に重要な「仕事」であるかを理解していないということである。

また、子育てに纏わる家事に追われている妻に対して「俺も手伝おうか?」
などと間抜けな発言を以て妻の怒りを買うといった展開も、彼がJob と
Workを混同していることに起因していると思われる。

僕は、この社会、または世界は「母親たち」によって創られていると考えている。

たとえば、突飛な行動や予想外の発言で注目を浴びているアメリカ大統領の
トランプ氏も、日本で総理大臣を務めている石破氏も、言わずもがな元は
「人の子」である。
ならば、人のパーソナリティ形成において母親の影響が大きいことを考えれば、
彼女たちが抱えているであろう責任の重さや苦労についてもっと広く理解される
べきである。
子育てほど大切な仕事(Work)は他にない!と言ってもいいだろう。
母親たちに子育てを一任するのではなく、国や地域としても支援の目を向け
なくてはならないはずなのだ。
だが残念なことに、なぜか軽んじられているように思えてならない。

彼女たちには本来ちゃんとした名前だってあるのに、夫からまで「ママ」
と呼ばれていたりする。
彼女は子どもたちにとっては「ママ」だが、職場(Job)を持っていれば
「職員」や「社員」であり、夫にとっては「妻」、舅や姑にとっては「嫁」となる。
夫からまで「ママ」と呼ばれるのは全く以て妙なことである。

多くの主婦たちは、個人名ではなく「ママ」という役割名を付けられ、
忙しさに翻弄されながら徐々に「私」を見失っていく。
しかも、それが普通(一般的)と見做されていて、労いの言葉すらかけてもらえない。

たまに役割を離れて「私」に戻る時間を意識的に作ろうとでもしないかぎり
自分が何者だったのかを忘れてしまうことだろう。このような状態は、
いずれ役割を失った際に「対象喪失」がきっかけとなり更年期障害に陥ったり
する危険性も孕んでいる。

私の存在意義や価値は、何か偉大なことを成し遂げたり、社会に貢献して名を
残したなど目に見える形としての功績だけではなく、他者に与える影響や自らの
納得をも含むものだとすれば、冒頭に挙げた「のぶ」の嘆きはあまりにも狭い
範囲に囚われた認識内のことではないだろうか。

「のぶ」は子どもを産んではいないものの、戦後の混乱期において戦争で親を
亡くした多くの子どもたちの支えになった意味において、
確実に「社会を築いてきた中のひとり」なのだ。

物語では、夫婦間で取り交わされる会話や、ちょっとしたハプニング、
そして唐突な思いつき等がきっかけとなり、後に嵩は今や誰もが知っている
「アンパンマン」を生み出すのである。
これもまた「のぶ」の功績ではないだろうか。
「内助の功」といった控え目な言い方もあるだろうが、堂々と「私の功績」
と名乗っていいと思う。

さて、キャリアについて語る際に忘れてはいけないことは、実存的な意味で
「いま此処に存在すること」、または「いま五感を通して感じていること」
こそが生きているということであり、その時々に出くわす様々な出来事や経験に
よって触発される「想い」を都度しっかりと味わってこその人生ではないか?である。

もちろん、そこには未来を描く自由もあれば、夢や希望を意志的に
打ち立てようとする決意があってもいい。
しかし、それもまた、あくまで「いま此処の時点において・・」であり、
やはり「いま」なのだ。

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから かなしいんだ

ぼくらはみんな 生きている
生きているから 笑うんだ
ぼくらはみんな 生きている
生きているから うれしいんだ

(作詞:やなせたかし 作曲:いずみたく)
「手のひらを太陽に」より一部抜粋

ある中学生が、「なぜ勉強をしなくてはならないの?なぜ努力をしなくてはならないの?」
と尋ねてきた。

彼は言葉を続ける「どうせいつか死んでしまうのに・・いつか寿命が尽きて自分が
いなくなってしまうのに・・いかに努力して幸せになっても、お金持ちになっても、
けっきょく死んでしまうのなら意味がないじゃないか?」と嘆く。

彼は、そんなふうに思うと学校に通って勉学に励むことや部活でトレーニングに
打ち込むことに全く価値を感じることができず、毎日が虚しくてたまらないという。

「虚しさにつける薬は無い」といわれる。
悲しさや苦しみ、憤りや落胆に対してであれば、カウンセリングを受けることによって
捉え方や認識が変わり、悩みが悩みでなくなったりしながら改善が見込まれるが、
こと「虚しさ」ばかりはどうしようもないという。

もし唯一、「虚しさ」に対抗し得るものがあるとすれば、それは実存哲学である。
いま此処に在ること、それを見て聴いて嗅いで触れて存分に「味わっている自分」
を実感することである。

未来のことを考えると「不安」が湧くだろう。
過去のことに囚われていれば「後悔」の念に襲われるだろう。
「不安」や「後悔」に苛まれていては、せっかくの「いま」が台無しである。

虚無感に浸るのは自由だが、とりあえずは「いま此処に生きていること」をしっかりと
味わい、とにかく先のことや過去のことなどは一時的にでも脇に置くことだ。

そういえば、キャリアカウンセラーを目指すのであれば、先ず自分自身の人生にコミット
できている者だけがその資格があると言われたことを思い出した。

人生にコミットメントする? 人生に向き合う?
当時は意味が解らなかったが、人生が「いま」の連続であるならば、その都度しっかりと
状況を手に取り、先送りなどせず、「いま」を味わい尽くすことではないのか?
と思えたりもする。

あなたにとって「人生」とは何だろうか?
そして、あなたは何を為す者なのだろうか?

おわり


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.151(2025年8月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"原口由美子さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

====================================================================
初めまして。46期の原口由美子と申します。
需要調整機関で職業相談の業務をしております。

皆様はどんなきっかけでキャリコンの資格を取得されましたか?
私はなんと、履歴書の書き方とか学びたいと思ったから、笑。
無知すぎにも程がある、、、。

職場の同僚に相談した際、その場で伊良波さんに電話してくださり
「こりゃ、もう断れない」と思ったのがテクノファとご縁を頂いた経緯です。
講座が始まってびっくり、理論?自己理解?
それに同期の皆様は立派なキャリアの方々ばかり。
よくまあ、事前準備もせずに申し込んだと反省しかありませんでした。

私の人生を理論に当てはめれば、プランドハプンスタンス理論。
皆様のように立派な職業キャリアがあるわけでもなく、
出産を機に退職後は子育てに合わせて働き方を変えてきました。
いわゆるパートのおばちゃん。

今の職場も最初は3ヶ月限定、短時間の事務補助業務。
前職を家庭の事情で続ける事が難しくなり退職した私にとって「短時間だし、
3ヶ月なら何とかなるかも」と思ったのがきっかけ。その後、縁あって現在に至ります。

元々、人と話すのは苦手だし、職業に対する知識もない、相談業務なんて
出来るだろうか?と不安も大きかったですが、それよりも好奇心とやってみたい、
何とかなるだろうの気持ちが大きかったのかと思います。

子育てに合わせ働き方を変えてきた事が、意外にも役にたってるような気がします。
基本、事務職ですが、メーカー、運輸、医療等の業界で働いてきたこと、
また、私生活で介護やIT業界の情報も入ってきた事等、浅い知識でありますが、
様々な相談で仕事を理解するにはとても役立った経験でした。

日々の相談業務で心がけている事は、話を聞く時には「相談者さんと同じ景色をみること」、
これはロープレの際に伊良波さんから頂いたアドバイス。
実践してみると自然に「聞く」が「聴く」となり、自然と信頼関係が構築でき、
相談者さんの本音を引き出せる感じ。
実は養成講座を受講しなくても受験資格はありましたが、
受講したからこそ今の相談スタイルがあると思っています。

信頼関係の構築ができてもその後の展開はまた難しく、、、
更に勉強してより良い支援をしたいと思い、キャリコン受験後に2級技能士を受験、
運よく合格。私が感じたのは、キャリコンは傾聴、関係構築重視、技能士はコンサル。

様々な背景を持った人が相談にくる職場です。相談者さまそれぞれに対応も変わります。
先日、「キャリコン資格を取得したので仕事で実践したい」という相談に、一つの求人を
提案した所、「自分と違う環境の人の支援は出来ない」とのご回答でした。
少し残念な気持ちになってしまいました。皆様はどんな支援をされていますか?
私は環境が同じだから理解出来るではなく、理解というよりもっと知りたい、
もっと聴かせてという思いを大事に思って相談業務に取り組んでいます。

最近は職探しも高齢化が進み、80代の方もチラチラ来られます。
支援者側も時代に合わせ柔軟な対応が求められます。

より良い支援を続ける為に、キャリコンの学びに終わりはないと感じ、
もっともっと努力しなければと思いながら日々の業務に励んでおります。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.150(2025年7月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

====================================================================
テクノファ更新講習「ストレス・コーピング」受講の薦め

 先日、川崎の研修センターでキャリアコンサルタント資格の維持(更新時に必要な
ポイント取得)のための講習メニューのひとつである「ストレスコーピングを活用
した面接実習」を受けてきた。
 Webによる受講も悪くはないのだが、私としては実際に肌で感じることや場の
雰囲気をリアルに体験したい想いがあるので交通費や宿泊費をかけてもできるだけ
現地集合の形で学ぶことにしている。

 私は学校教育現場におけるスクールソーシャルワーカーという職務において、
我が子の不登校や問題行動などに代表される「子育てに悩む親たち」と出会う機会が多い。
そこでは子どもに纏わる諸問題を家庭と学校とが連携しながらいかに解決するか・・
について話し合うわけだが、起こっている出来事の背景について丁寧に紐解いていくと、
子ども自身の問題というより保護者自身が結婚前から抱え続けてきた課題や若い頃に
やり残した未完の行為などが世代を超えて子どもの言動に顕れているケースが多い。
「子どもは親の内面を映す鏡である」という言葉があるが、親子関係を深く理解する
上で「世代間連鎖」について焦点化することは極めて重要である。

「母親」とは、言わば「役割」をも含む代名詞なわけだが、それ以前に親と言えども
1人の人間であるし、これまでに至る経緯に隠された「物語(自分史)」も大切に
したいところだ。
その意味でも実際に目の前にいるのは、母親という役割を担っている「〇〇さん」
という名を持つ個人であるという認識において、その場にいない子どもの様子に
ついて説明することに終始するよりも、実際に目の前におられる母親自身について
丁寧に聴くことのほうがずっと価値があるのではないかと思うのである。
母親の心がほぐれ、ほんの僅かでも気持ち的に楽になれたなら、子どもへの関りに
おいても余裕を以て応じることもできよう。母親の態度や気持ちの小さな変化は、
それだけで子どもにも如実に反映されるのである。

それゆえ、私としては関わり方の助言だけに留まらず、家庭内においても”嫁“の
立場で夫や舅、または姑との関係に悩み、勤務している職場における居心地の悪さに
苦しみ、同じ学年の子どもを持つママ友たちとの関係を保つことの戸惑いなどを
拾い上げることにしているのだが、実際には「苦しみの元凶は何か?」などと云う
単純な括りでは語れないほど多くの「要因」が複雑に絡み合っており、それら全てが
ストレッサーとなっているケースばかりである。
となれば、子どもよりも先に彼女たちを取り巻く環境や置かれている状況の緩和に
向けた支援こそが重要であり、母親へのケアが結果的に子どもの育成に還元されれば
いいと考えている。

 また、困り果てた保護者らと対峙することになる教師たちも
「うちの子がこうなったのは担任の対応が悪かったせいだ!責任を取れ!教師など
やめちまえ!」などと酷い言葉を浴びせられたり、さらに学年主任や管理職からまで
「あなたの指導の仕方に問題があるのでは?」と指摘されたりといった具合に、
精神的に追い詰められることで心を病んでしまう者もいる。
(教師が心を病んで不登校になってしまう事案も多発しています。)

こういった現状において、私にとってのクライエントとは来談者(子を持つ親)だけ
にかぎらず、教師たちに対しても同様に支援の手を差しのべる必要に迫られている。
保護者にしろ、または教師たちにしろ、彼らにとって最大のストレッサーとなっている
要因を取り除くことができればよいのだが、かといってすぐに解消できるか?
といえば現実的ではない。

 このことは支援者を名乗っている私自身にも言えることであり、日頃からできるだけ
ストレスを溜め込まないよう自分なりに色々と工夫しているのだが、これを機にストレス
についてさらに詳しく学びたいと思ったのが受講の動機である。

 さて、受講した翌々日のことなのだが、朝から面談に来られた保護者(母親)がまさに
仕事上の忙しさとプレッシャーによって、見てすぐに判るほどの「ストレス反応」
が起きていた。
彼女は、「問題行動が絶えない我が子との関り方について相談したい」と申し込んできたの
だが、もはやそのような話ができる状態ではなく、何もかもが全く手につかない
思考停止状態に陥っていた。

聞けば勤務先の都合で欠員の穴を埋めるべく5月から急に部署替えとなったようだが、
右も左も判らないまま連日不慣れな作業を強いられているという。そんな状況下に在って
既に心の余裕を無くしており、勤務を終えて帰宅した後も「母親」として、また「主婦」
としての役割が殆どこなせていない自分を責めていた。
その上、学校で問題行動ばかり起こしまくる我が子への接し方など工夫できる余裕もなく、
話しながら涙が止まらない状態であった。

私がスクールソーシャルワーカーとして請け負っている業務は、カウンセリングという
よりもコンサルティングや教育相談的な色合いが濃いのだが、おそらくこのような状態の
彼女に対して子どもへの対応の仕方など助言したところで何も聞こえないだろうし、
むしろ余計なプレッシャーを与えるだけだという判断から、いま此処で限られた時間を
どのように活かすべきか?を考えた結果、つい一昨日前に学んだばかりのコーピングの
ひとつである「リラクゼーション」を試してみることにした。

筋弛緩法と呼吸を意識するワークを行なった後に自律訓練法を加え、硬直して固まっている
筋肉を緩めることを目指した結果、ほんの数分後にはこわばった表情が消え、その後の
会話では微笑までこぼれるに至った。

とは言っても何ら問題が解消したわけではないし、子どもへのアプローチの仕方について
の検討など全くできなかったのだが、日々の生活の中で彼女なりにストレスコーピングの
幾つかを試してみることや、それを繰り返すことによって生じる脳内の構造的変化について
は多少なりともお伝えすることができた。

彼女は、とりあえず今すぐにできることとして面談の帰りに大好きなインド料理のランチ
を食べに行くことを宣言し、数ヶ月前から公開を楽しみにしていた映画をいつ観に行くか?
についてカレンダーを見ながら予定を立て、まずは我が子の問題よりも先に自分自身の心の
ケアを優先することを承諾した上で次回の面談日を決めて終了となった。

更新講習で学べることは多いが、やはり現場で実践してこそ身になると改めて思った次第だ。
学んだことについての整理やまとめは未だできてはいないが、講座の内容が記憶に残って
いるうちに実際に行なうことができたことは、クライエントにとってはもちろん、
私にとってとても有意義な体験であった。

 なにかとストレスの多い社会の中で常に冷静さを保つのは容易なことではないし、
一難去ってまた一難といった具合に次から次へと襲ってくる諸問題に対応せざるを得ない
状況が大きな負担であるのは間違いない。
 すぐに状況を変えることができなくとも自分なりのコーピング方法を身につけて
おくことで幾分でも負担を軽減することができれば、少なくともバーンアウトに陥ることは
避けられるだろう。
 そのようなわけで、みなさんもぜひストレスコーピングについて学びを深めてみては如何だ
ろうか。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.149(2025年6月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"早川菜緒子さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

====================================================================
はじめての方、はじめまして。面識のある方、お久しぶりです。キャリアコンサルタントの
早川です。
いかがお過ごしでしょうか。
    身体は心の地図

この文を読み、どのような身体の反応や感覚が起きているでしょうか。

数秒でいいので、目を閉じて、ご自分の身体の感覚を感じ取ってみてください。

私は、マインドフルネスの意識状態での身体指向の技法を好んで使っています。

もともと、紛争や葛藤の真っ只中に身を置くことが多く、対立する人々や、互いに相容れない
感情同士の衝突に度々直面していました。葛藤の苦痛。精神的苦痛が引き起こす身体的な痛み
や苦しみ。まるで世界中から非難されているかのような孤独感。自分には価値がないのだとい
う絶望感。自分自身の葛藤に加え、他者の葛藤を目の当たりにする日々を過ごすうち、知らず
しらずに、自分自身の身体感覚を思考から切り離してこれらの苦痛から逃れ、苦痛を感じ取ら
ない対処方法をとるようになっていきました。

10年近く前、自分がこれまで蓄えてきた知識や思考、言葉ではどうにもできない。これらの
方法で対処しようとすればするほど、状況が悪化する、自分だけでなく周囲の人たちにまで苦
痛を広げてしまう。そんな状況に陥りました。
当時は心のなかで、「これ以上被害を大きくしてはいけない。いますぐ何とかしなければ。あの
人のアドバイス通りにやったのにうまくいかない。他人の言葉を鵜呑みにしたからだ。簡単に
信じてはいけない。自分で調べて何とかしなければ。うまくできないのは知識不足だからだ。」
と、自分を追い込み、この状況を改善する解決策がきっとあると自分に言い聞かせ、ネットで
調べては、図書館へ行き本を大量に読み漁り、図書館にない本はネットで大量に購入し、また
ネットで調べ、本を読み漁りを繰り返していました。
もう私には無理だ。。。と調べる気力も失いかけたころ、二つのアメリカの心理療法に辿り着き
ました。一つはアーノルド・ミンデルのプロセスワーク。もう一つはハコミ療法です。

プロセスワークに辿り着く道のりは、とても奇妙な出来事の連続でした。プロセスワークに辿
りつく1年位前から、頻繁に夢を見るようになりました。フルカラーで、夢であるとは思えな
いくらいリアルな身体感覚。そのうち、夢の中で「あ、これは夢だ」と気が付くようにもなり
ました。同じ頃、ミクロの世界の話をしてくれる人が身近にいて、素粒子についていろいろと
調べたり雑誌を読んだりしていました。また、私は古代ギリシャ哲学が好きなのですが、なぜ
かふっと目に付いた道徳経を衝動買いし、深く感動したことを覚えています。そして、プロセ
スワークのHPを見た瞬間、手が止まりました。「ユング心理学」「物理学」「タオイズム」。当
時はこの文字が大きく書かれたページだったと記憶しています。あるいは、私の意識がそれら
の言葉に釘付けにされたのかもしれません。私の「明晰夢」「素粒子」「道徳経」は、単に別々
の出来事であり、関連していないように見えていましたが、それらの合計が意味であることが
理解できた瞬間でした。

プロセスワークに出会うまで、私は「あるはず」と決めつけていた唯一の回答を探し求めてい
ました。しかし、回答を創り出すプロセスに意味があり、ぐるぐると旋回したり、ジグザグ歩
きをしながら、すべての体験を重ね合わせ、足し合わせると、より大きな人生の意味や方向性
を理解することができるということを体験から学びました。

『大地の心理学(コスモスライブラリー)』に以下のような記載があります。

「癒しの重要なシンボルはカドゥケウス(二匹の蛇が螺旋を描きながら絡まる杖)である。
それは古代ローマとギリシアにおける癒しの神アスクレピオスとしばしば関連づけられる杖だ。
・・・カドゥケウスは、癒しの体験、自己反射の体験、最も深層の自己を知る体験、自らを反射する
『大きな自己』の体験、そして日常的現実で自らを意識化することを象徴している。・・・それを感じると、
どんな混乱の中にいても、気分がよくなるのである。」「アインシュタインが神と呼んだものを、
ユングは無意識と呼び、老子はタオと呼んだ。・・・仏教徒は原初の本質あるいは仏心について語る。
デヴィッド・ボームはそれをパイロット波と考えた。この思弁的な知性にあてられた名称や数
学的表現は、文化・時代・私たちの気分によって異なっている。ライプニッツはそれを活力と
呼んだ。」

人生のいろいろなジグザグは、カドゥケウスがなければ、人を無駄に苦しめるものと感じられ
ます。偉人達が、それぞれの文化・時代の中でさまざま言葉で呼んだ「より大きな人生の方向
性」に導かれていることを感じられるのは、ほんの一瞬かもしれません。それでも日常的現実
で自らを意識化することで、苦難や混乱に満ちた日常的現実の中にいても、人生の意味や方向
性を信じよう、信じたいと思えるようになりました。

ハコミは、今も勉強を続けているところです。私の学んだハコミでは、マインドフルネスの意
識状態で、いまこの瞬間に起きている思考やイメージ、感情、身体感覚に意識を向けていきま
す。『自己変容をもたらすホールネスの実践』を初回のセッション時に紹介され、今も継続して
実践しています。

今でこそ堂々と、「私はプロセスワークとハコミを学びました。」と言えますが、学び始めの頃
は家族にも知られないように、本にはカバーを付けて何の本を読んでいるのかバレないように
読んでいました。心の中で『なにかのおかしな療法や宗教なんじゃないか。私は騙されている
んじゃないか。こんなの学んでいると知られたら、ますます非難されるんじゃないか。私は何
か大きな間違いを犯しているのではないか』と、私を止めようとする声を振りきって、本を読
むだけに留まらず、プロセスワークのコースを受講し富士見幸雄先生と出会い、また、ウィリ
ングヘム広美先生のハコミセラピーを初めて受けました。その数か月後には、それぞれの療法
を知識だけでなく実際に体験することで学びを深め、日々実践していき、いまはあの頃の危機
的状況から脱しつつあります。この10年近くの出来事を振り返ってみると、プロセスワーク
が私をハコミへと導いてくれたように感じられます。今も継続的にご指導してくださるお二人
に、心から感謝しています。

思考・言葉による新たな気づき、認識範囲の拡大、計画性、明確な目標。これらに加えて、身
体の発する感覚にも意識を向け、思考と共に感情と身体とも力を合わせていく。もう、感情や
身体を置き去りにしない。感情や感覚に気づかないふりはしない。思考と感情と身体が同調し
ている感覚。重ね合わさった感覚。その実践のサポートをする方が一人でも増え、その結果一
人でも多くの人が、全身で前進する感覚を日常的に感じることができたらと願っています。

もし、少しでも興味を感じたのであれば、その感覚を大切にしてください。
心のなかで、その感覚を感じた自分を批判する声が起こってくるかもしれません。
どの辺りから、その声は起こってきますか?
 どんな声質ですか?
 高い声?
 低い声?
 どんな口調ですか?
その声すらも、大切にしてください。
もしかすると、過去に、その批判する声に助けられたことが思い出されるかもしれません。
あるいは、その批判する声に圧倒され、最初に感じた興味や好奇心がかき消されてしまったこ
とを思い出すかもしれません。
その声を聴いていると身体にどんな反応が起きていることに気が付きますか?
 どこかが緊張していますか?
 手の感覚はどうですか?
 背中は?
 足はどうでしょう?
心の中で起きていること、身体の感覚として起きていること、それらにゆっくりと寄り添いな
がら、時間と空間をもってあげましょう。


どうでしょうか。


批判する声は、成長過程で誰かから言われた言葉だったかもしれません。あるいは、誰かが言
われているのを見聞きしていたのかもしれません。人は、周囲で起きていることを学び、記憶
し、成長していきます。それ自体は悪いことではありません。世間で言われていることを学ぶ
ことは、環境に適応するうえでとても大切なことです。ただ、それが幼い子であったときには
生存に必要なことであったかもしれませんが、大人になった今でも同じとは限りません。もし
かすると、よりよい別の方法が、今はあるかもしれません。

自動的に起こってくる批判の声に寄り添いながら、その声を聴いた当時をイメージしてみてく
ださい。
もしその場に、別の方法を共に模索する大人がいたらどうだったでしょうか。
何かが違っていたでしょうか。


 どうしたの?
 何を望んでいるの?
 何が必要なの?
 何を避けてるの?


そんな言葉をかけてくれる大人がいたら、どんな応えが返ってきたでしょうか。

 騙されたくない
 傷つきたくない
 他の人に知られたら恥ずかしくて外を歩けなくなる
 本当のことが知りたい
 真実が必要
 怖い。不安だ。一人ぼっちは嫌だ。耐えられない。


このような言葉かもしれません。


少し深呼吸をしてみましょう。
自分にとって自然なリズムで息を吐いてから吸って、空気が鼻を、のどを、胸に届き、全身に
空気がいきわたるのをイメージしてみてください。
今この瞬間に身体の中で起きていることに、ゆっくりと意識を向けていきます。

足の裏が大地にしっかりとついている感覚にも意識を向けてみましょう。


いまも感じられる感覚は、どのようなものでしょうか。


 まるで壁の中に閉じ込められているような感覚
 身体が丸まって縮こまっていくような感覚
 耳を手で塞ぎたくなる感覚
 頭の中に霧がかかったようになってモヤモヤする感覚


そのような感覚に一緒にゆっくりと寄り添っていきます。


 何もする必要はない。
 何も変える必要はない。


やさしさと思いやりをもって ただ気づいてあげる。


その瞬間を共有していきます。


最後に、ある言葉を伝えさせてください。

そして、その言葉を読んだあと、心や身体にどんな反応が起きるかもう一度、ゆっくりと見て
みてください。





「あなたは一人ではありません」






どんな反応が起きているか。
目を閉じて、時間をとって、ご自分の心や身体の動きや反応を優しく包み込んであげるように
見てみてください。


ではまた、どこかでお会いしましょう。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.148(2025年5月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

====================================================================
相手への尊重が欠けたままで「出会い」は起こらない

自分と同じ人間など、どこにもいない。
自分と他者が同じであるはずがない。
人と違うのはあたりまえ。
違っていてもいい。

「自分」は世界に1人しかいない稀有な存在である。

これは初等教育の時期における「キャリア教育」の大前提であり、基本中の基本である。

人は誰もが「自分なりの世界」を持っている。
ここで云う「世界」とは、「当人にとっての世界観」のことである。
つまり、自分が見ている世界・・「自分にとって」という一人称的な「認知」や「認識」
を意味しており、「理解できている範囲」や「実感していること」、「関心を以て意識して
いる(しようとしている)領域」のことである。

ついでに言えば「偏見」や「先入観」、「思い込み」などの非合理な認知もまた
「自分にとっての世界」である。
(これが意識化されて自覚できていないと「呪縛(囚われ)」になってしまうので要注意!)

たとえば、赤道直下の国に生まれ育ち「雪」に触れたことがない人々にとって所謂「雪国」
は異世界であり、生活のために必要な作業としての「雪掻き」や、玄関を出た途端に
「滑って転ぶ」などとといった体験は如何に想像しようにも無理があるだろうし、
「水道管の凍結」や「スリップによる事故」など、敢えて世界の人々の生活を紹介する
ような番組や本でも観なければ知る由もないだろう。

このことは、単に活動範囲(行動範囲)に因る違いだけでなく、それぞれが働く職場や
業界の実態や諸事情など、その「舞台裏」を見学させてもらえる機会でもなければ知る
ことはできない世界をも含んでいる。

NHKの番組「プロジェクトX」や「チコちゃんに叱られる」を観て初めて知ることも
多いはずだ。

一方で、それぞれの家庭でも個々に事情が異なる。
「貧困家庭と富裕層」、「母子家庭で二人だけの家族と、大家族(複合家族)」、
「朝になると通勤のために出掛けて行く父親と、家業である商店のシャッターを開ける
父親」、「決まった月給が安定的に得られるサラリーマンの親と、常に投資先の株価の上下
を気にする親」、「土日が休みなのが当たり前の公務員の家庭と、土日祝祭日こそが書き
入れ時とばかりに多忙な家庭」、「いつも笑顔で優しい母親と、常に苛立っていて怒って
ばかりの母親」、といった具合に、どのような大人たちに囲まれて育ったかに因って
世界観や認識に違いが生じるのは自然なことであり、それぞれに
「私にとっての普段(普通)」が形づくられている。

他にも、「ひとりっ子と、多くの兄弟や姉妹がいてパーソナルスペースが与えられない子」、
「平和ボケしてボーっと生きている大人たちで占められている国」と「長年に亘って内乱
が続いているために身の安全が保障されず明日を迎えることができるか否かの不安の中で
生きることを余儀なくされる国」、

このように、こと「違い」に目を向ければ含まれる事柄は枚挙に暇がないわけだが、個人
のパーソナリティ形成(人格)は、生得的な気質だけでなく、養育環境や成育歴、体験や
経験値など、じつに様々な要素が複雑に絡んで出来あがっている。

人が誰もが「唯一無二の存在」であることは紛れもない事実なのである。
そして、社会とはこのように様々な性質を持つ人たちの集合体であることが理解できて
いるのか?ということだ。

しかし集団の中で生きる人々は、なぜか「常識」を求め、自ら因習に縛られ、周囲と同じ
であれば安心し、違いを怖れる。これは大いなる矛盾だと思うのだが、なぜか孤立すること
が何よりも怖いようだ。
実際に「浮いている人」や「出る杭」が攻撃の的になって集中砲火を浴びてしまうことは多い。

特に、この日本という国は集団主義的な色合いが濃いようで、少数派の意見を黙殺するような
多数決を民主的な採択方法だと思い込んでいるだけでなく、異質異様な感じがするだけで存在
そのものを否定し排除しようとしたり、口に出すことはなくとも強制的に相手を操作する
同調圧力が強かったりする。

言いたいことが言えず、周囲との違いに敏感で浮くことを怖れ、他者からの評価を怖れるが
故に常に他人の目が気になり、目立たず隠れるように生きる人々・・

このような息が詰まりそうな閉塞感に病む社会状況の反動としてなのか、妙に不自然なほど
「ありのまま」「自分らしく」「オンリーワン」「多様性」など、誰もが他とは違う個人で
あっていいのだ!と敢えて強調するかのような言葉が蔓延っているように思われる。
(※「自分らしく」だけは取り扱い注意!)

ただ、多様性の必要性を叫んだり、自身としても「ありのまま」でいようとすることは結構
だが、そもそも個人の世界観が育った環境や経験に拠って大きく異なることが理解できて
いるだろうか。
そこに「尊重」や「相手への敬意」はあるのだろうか?という疑問が残る。

それらは、人と人との出会いには欠かせないものだからだ。
自分のことを示したい。解ってほしい。と言う前に、相手のことを知ろうとしているだろうか?

「山々や河川、田園風景といった自然に囲まれた田舎で育った子どもA」と、「高層ビルと多く
の人で賑わう繁華街で育った子どもB」では、日々の生活における感覚的な影響や必要と
される作業や行動にも大きな違いがあるはずなので、両者間に大きな差異が生じるのは明らか
だ。

たとえば、私は山形県山形市の市街地から離れた地域で育ったのだが、周囲が山で囲まれた盆地
であったことも関係しているのか、何となく常に「閉じ込められているような圧迫感」があった。
そんな私は、5年生のときに校外学習で訪問した宮城県の松島の景観に衝撃を受けた。

松島は言わずと知れた日本三景の一つであり、京都の天橋立、広島の宮島と並ぶ名所である。
目前に広がる美しい景色も然ることながら、その地域に住む人たちにとっては「ごくあたり
まえの日常的な光景に過ぎないこと」に驚いた。

逆に、内陸育ちの僕にとって鬱陶しく狭苦しい感覚しかない山々は、県外からやって来る
旅行客にしてみれば「素晴らしい自然」であり、季節によっては「新緑が目に沁みます」と
感激するのかもしれない。

なるほど沖縄に住む人たちが「ぜひ行ってみたい」という地域が北海道であり、北海道で
暮らす彼らが望む旅行先と言えば沖縄だというのも頷ける。
地元の高校を卒業した私が受験する大学を選ぶ際に、先ずは「キャンパスが都内に在ること」
を第一の条件に挙げたのも、当時の自分が都会への憧れと田舎に対する不満や劣等感を
抱えていたからだろう。

何が言いたいのかといえば、どんなものにも「自分にとって」「あなたにとって」が有り、
誰にとっても「私にしてみれば・・」こそが、実存的な意味で「世界そのもの」なのである。


「電車が大好きなんだ」という少年Aがいた。
「僕も電車は大好きだよ」という少年Bがいた。
Aは、電車の写真を撮るのが趣味の所謂「撮り鉄」である。彼の部屋にはたくさんの電車の
写真が貼ってあり、電車についてファイルしたアルバムも既に10冊を超えるという。
そんな彼はすべての電車の型式まで暗記しているという。

一方のBは電車に乗って車窓に流れる風景を楽しむことが何よりも楽しいと言い、特に
写真に撮ることはせず、目をつぶれば幾つもの風景を思い出すことができるという。
そんな彼は、ローカル線を含めて全国の路線図すべてを記憶しているという。

そんなやり取りを聴いていた中年の男性Cが横から口を挟んだ。
「きみたち、そんなに電車が好きなら、こんどウチに遊びに来ないか?」
伺ってみたところ、彼の家には部屋いっぱいに広がる大きなジオラマがあり、スイッチを
入れると小さな電車たちがまるで本物の電車のようにレールの上を走るのだった。

AもBもCも紛れもなく「電車好き」である。しかも、かなりのオタクと言えるだろう。
しかし、彼らの会話は噛み合わない。
なぜなら、ABCは3人が3人とも電車好きであることは共通しているものの、それぞれが
「自分にとって電車とは?」が大きく異なっており、興味の対象が違っているからだ。

カウンセリングにおいて重要なことは、あくまでも「クライエントにとって」への尊重である。
「ああ、それなら知ってますよ」とか「お気持ち、よく分かります」、
または「私も同じ目に遭いましたよ・・」が禁句である理由は此処にある。

「知っているはずがない」、「分かってたまるか!」そして、「同じ目に遭うはずないじゃんか!」
である。

「へえ・・」「ふ~ん」「ほお!」「う~む・・」「うわあ・・」といった感嘆詞を含む相槌を
以て、もっと知りたい、もっと聴かせてください。という姿勢と態度こそが、真の出会いの
始まりなのである。

◆おわり◆


キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.147(2025年4月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"松田将矢さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの
   近況や情報などを発信いたします。◆

====================================================================
更新講習を通じて考えた「対面コミュニケーション」の価値      松田 将矢

キャリアコンサルタント養成講座第41期生(2019年10月~12月)の松田将矢です。
養成講座を卒業してから5年が過ぎ、今度は更新講習でテクノファにお世話になった
ことをきっかけに、本コラム執筆の機会をいただくこととなりました。
今回は現在進行形で更新講習を受講しながら私が感じている、対面コミュニケーション
の価値について、お話できればと思います。
資格更新で多くの方が経験するであろう「期限が迫って慌てて計画を立てる」
という状況に私も陥ってしまいました。どんな研修を組み合わせて講習時間を
クリアするかあれこれ考える中で、当初は「効率優先」で費用が比較的リーズナブル
なもの、自宅から参加できるオンライン実施の講習を軸に選んでいたのですが、
いくつか興味のあるテーマについてはテクノファの対面講座も申し込むことにしました。
いきなり対面講習を受けるのは心理的なハードルがあり、最初はオンライン講習を
受けることとし、折角なので対面なら遠くて選択肢に挙げられない実施機関のもの
を受講することにしました。講習を探す中で全国に実施機関が数多く存在しており、
オンラインを活用することで選択肢が大きく広がることを知ることができたこと、
参加メンバーが本当に様々な地域から参加しており、キャリアコンサルタントの
皆さんがそれぞれの現場でキャリア支援に奮闘されていることを知ることが
できたことは、オンライン講習に関する個人的な収穫になったと感じています。
その後、幾つかのオンライン講座を受けた後、テクノファで対面の講座を先日受講
しました。
そこでは資格更新のためだけでなく自身のキャリアを改めて見つめ直す貴重な機会を
提供してもらったと感じています。
私は今回「シニアのライフキャリアデザイン」という講座を受講しました。
もともと、私が現在関わる会社内キャリアコンサルティングにおいて、活用が
進んでいない50代以降の相談者に対して、セカンドキャリアの課題を理解した上で
寄り添う方法を学ぶことが元々の目的でした。
更新講習の中で様々なグループワークを行いましたが、その中でライフキャリア
レインボーを用いたワークショップがありました。
養成講座以来久しぶりに真っ白なフォーマット用紙に自身が生涯において
果たす様々な役割を色塗りし、過去から現在、未来へと続く自身の役割の変化を
可視化しました。そのワークショップを通じて養成講座時に自身の課題として
認識していた「市民」としての役割の希薄さについて、当時の記憶を久々に
思い出すとともに、今もそれが変わっていないことを再認識することができました。

こうした自身の想いに気づけたのは、対面形式であったことが大きいと考えています。
オンラインでは一人で考えたことを、順番にフィードバックするというプロセスに
終始してしまうことが多いと感じるのですが、対面形式では自分の考えをその場で
発信し、他者からリアルタイムでフィードバックをもらえることによる安心感や、
こうしたプロセスがタイムラグなく続くことを通じて自分の中の気づきが導出されたと
感じました。また同じ空間でのワークショップ外の何気ない会話が、相手の感情や
意図をより深く理解し、本音で意見交換を行えるコミュニケーションの場づくり
として非常に有用であることを実感できたとも感じています。
こうしたオンライン/対面による伝わり方の違いはキャリアコンサルティングだけでなく、
職場における上司や部下との日常的なコミュニケーション等、日常でも漠然と感じては
いたものの、キャリアコンサルタント更新講座という同じ枠の中で、自分の感じ方に
違いがあることを改めて感じたことで、その思いが明確になったと感じています。
キャリアコンサルタント更新講習に限らず、現在のようにオンライン、
対面のハイブリッドで機会が提供される状況は大変恵まれていると感じます。

一方で自身の効率を優先した手段に偏ると、コミュニケーションの本質である相手への
働きかけや相互理解を犠牲にした、形だけのコミュニケーションに陥る可能性が
あることを、実感をもって認識できた気がします。
「資格更新」という元々の目的から考えれば、効率優先も大事な要素であり、
オンライン受講を上手に活用すべきと思いますが、キャリアコンサルタントの
本質的な役割を考えるとき、相手の思いを汲み取り、信頼関係を築き上げるための
「対面コミュニケーション」の価値を、身をもって感じることは大変重要だと感じています。
5年に1度、そうしたコミュニケーション手段による伝わり方の違いについて思いを
至らせるという意味でも、対面講習を敢えて選び、参加者同士の交流や、講師との
直接的なコミュニケーションから得られる学びの価値を実感することが必要なのでは
ないかと今は考えています。

◆おわり◆