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キャリア開発支援のためのメールマガジン…vol.132(2024年1月号)…

■□■━━【コラム】━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■□■

 キャリア・カウンセラー便り"鈴木秀一さん"です。

  ◆このコーナーは、活躍している「キャリア・カウンセラー」からの

   近況や情報などを発信いたします。◆

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『いちど決めたことを変更できない人たち』

最初にPDCAサイクルについて改めて考えてみたい
PDCAサイクルとは
 Plan(計画)
 Do(実行)
 Check(評価)
 Action(改善)
以上4つの頭文字を並べたもので、1950年代に「品質管理の父」といわれる
W・エドワーズ・デミングが提唱したフレームワークであることから別名
「デミングサイクル」とも呼ばれている。
もっとも、最近ではC(Check)に代わってS(Study)を用いた「PDSA」
といった言葉に変化していることも知っておきたい。

PDCAサイクルは、停滞している状況に対してメスを入れることで新たな展開
への起爆剤として機能するだけでなく、より良い方向に向けた改善を目指す意味
において、企業のみならず、ありとあらゆる分野において応用活用できる考え方
と言えよう。

先ず、B(Basic Asesumento)つまり、できるかぎり多くの情報を基に「B入念な
リサーチ(見立て)」を行なった上で、計画「Pプラン(手立て)」を立案し、
それを「D実行」し、必要な期間を経た後にプランが効果的であったか否かを
「Cチェック」し、そこで得られた結果(成果・評価)を踏まえたうえで、
「A次のPプランに盛り込む・・」といった「スパイラルアップ(螺旋的上昇/
好循環)」を促す手法として、いまや企業は言うまでもなく、多くのアソシエー
ションやコミュニティ内でも活用されている。

さて、上に示したCチェックを怠ったまま「もう決まったことだから」とばかり
に闇雲に実行し続けることに果たして意味があるのだろうか? ここで云う
Cチェックとは、言わば「前プランに対する批判」であり、新たな内容を含んだ「
代替案」でなくてはならない。

これまで当たり前とされてきた「石の上にも三年」とか、「継続は力なり」、または
「初志貫徹」等の認識に対し、ただ盲信的に受け入れるだけでなく、必ずしも当て
はまるとは限らない状況や場面が増えてきている現状に目を向けてみる必要が
あるのではないか?というのが今回のテーマである。

いまや「10年ひと昔」ではない。
5年ひと昔、いや3年ひと昔・・と言っていいほどに社会(世界)は急速な変化を
遂げている。

先日まで再放送されていた朝ドラ「あまちゃん」だが、たしかこのドラマは311の
震災があった翌年に制作が開始され、2013年度に放映されたものである。
観ていてふと気がついたのは、ドラマの中に登場するのは「折りたたみ式のケータイ」
であり、スマホなど誰も使っていないことだった。

スマホはその後の数年間に渡って徐々に普及し、現在のように誰もが持ち歩ける
ツールになったのである。
つまり、たった7~8年の間に日本中(世界中)に広がったことになる。

ご存じのとおり、いまやスマホアプリはネットニュースやSNS等の情報サービス、
または通販やオンライン会議に至るまで、一般的な社会生活には欠かせないツールに
なっているし、生まれたときからインターネット環境を空気のように感じている
「Z世代」の傾向についても大いに話題になっているところだ。

このような途方もない大変革が、たった数年間で達成されてしまう世の中に在って、
いかに吟味し慎重に検討を重ねて決められたことであっても、ほんの2~3年後には
価値を失ってしまうことも珍しくはない。

同様に、たとえ幾年に渡って頑張り続けてきたことであっても、いかに欠かさず努力を
続けてきたことであっても、状況が変わってしまえば意味を成さないのである。
なればこそ、PDCDの図式に則って検討してみること(特に「C」)によって膠着
している状況に風穴を開け、新たな突破口を見つけるきっかけにできるのではないだろうか。

日本は太平洋戦争において「手痛い失敗(失態)」を経験している。
戦時中における日本軍は、思うように戦果が得られず悲劇的な展開に陥ろうとも、
絶望的としか言えない状況に及んだとしても、いったん軍部が決めてしまった決定事項は
覆されることなく、結果的に多くの人命が失われてしまった。

しかし残念なことに、なかなか懲りず未だに教訓として活かされないまま現在に至って
いると思えてならない。
(※:今回、明るみに出たダイハツの不正問題や自民党のパーティ券によるキックバック
などに代表される悪しき慣例(慣習)であれば尚更である。大阪万博の開催についても
再検討を願いたいものだ。)

特に行政における化石化(オワコン)は、未だにフロッピーやFAXを使っていること
でも明らかだが、それを見て笑っている場合ではない。
当初の計画を修正することなく邁進したせいで、自治体として、または国として莫大な
損失を被った例など幾つも挙げることができるだろう。
どうやら組織が大きいほど、または長い歴史があるほど、この傾向は強いようである。

さらに言えば、こうあるべき かくあるべし こうでなくてはならないといった「凝り
固まった思い込み」に囚われているのは、なにも行政や企業体に限ったことではなく、
私たち一人ひとりの個人にも同じ傾向が観られるということである。

我々は「過去の奴隷」なのだろうか?
小学生だった私は、母から「三日坊主ではいけないよ」から始まり、なにか目的を達成
するためには、とにかく「努力し続けることが大切だ」と教えられた。
学校に行けば教師たちから「忍耐(我慢)」や「辛抱」の重要性を叩き込まれ、中学校に
進学してからも部活を選ぶ際には「しっかりと三年間続けられることを第一に考えること
が何より大事だ」と言われた。

・初志貫徹・一意専心・継続は力なり・石の上にも三年・塵も積もれば山となる・虚仮の
一念岩をも通す・・


若い頃の私は、こういった言葉群は絶対的に正しく、生きていくために重要な教えだと
思い込んできたのだが、最近になって、むしろ上に羅列した言葉によって苦しんでいる人
(自分も含め)が多いのではないか?と思うようになってきた。
(※:努力を積み重ねることを否定しているわけではありません。そこは誤解のないよう
に願いますね。)

つまり、自らの意志に従い「する」のであれば問題はないのだろうが、格言に従い自分で
決めたことだからと「過去の自分にさせられている状態」になってはいまいか?
と問いたいのである。

変化の激しい現代においては、決意を貫くことよりも「状況対応(現状を踏まえ、状況に
呼応して行動すること)」と「臨機応変(いま、この瞬間において最良の判断を為すことで、
次の展開を自らの意志で創造することが可能となる)」の2項目を優先する判断があって
いいのではないか? むしろ、思い切って中断し、再検討したうえで変更することも
ありではないだろうか・・と強く思うのである。

このような考え方からすれば、転職する場合でも「履歴書が汚れる」などといった妙な
思い込みは捨て去るべきだろう。人生における体験に「無駄な事」など一つとしてないと
思うのだ。

現在の日本では、生きていくうえで誰もが自由に人生を選択することが憲法で保障されて
いるし、どんな仕事を選び、誰と結婚し、どこに住むかについて自由なはずなのだが、
未だ多くの人々が「長男(長女)だから」とか「先祖が守ってきた土地だから」などと
いった理由(事情?)によって家から出られず、自分には自由がないのだと嘆く・・
そんな彼らは非合理な思い込みに縛られており、本当は自由であるのに動けないと
思い込んでいるのである。

私は、これまで関ってきた多くのクライエントたちの中に「こうあるべき」に囚われて
いるが故に動けなくなってしまっている方々を数多く観てきた。
おそらく、こういった思い込みや変化に対する怖れが人生における多くの苦しみや
悲劇を生み出している「元凶」ではないかとさえ思うのである。

そもそも常識など、時代や地域の文化(お国柄)によって異なるものであり、万人に
通用する確定的な常識など存在しない。
あまりにも当たり前すぎることに対して、また昔からの言い伝えに対して、我々は
なんと無防備なのだろうか。

少なくとも、どんなことでも先ずは疑ってかかることの重要性について押さえて
おかなくてはならない。
かといって、斜に構えるとはちょっと違うし、眉唾をすることでもないのだが、
何でもかんでも鵜呑みにしてはいけないということだけは戒めとして持って
おきたいものである。

ここで、哲学者-ルネ・デカルトの「方法的懐疑」という言葉を紹介したい。
少しでも疑いうるものはすべて偽りと見做した上で、まったく疑いえない絶対に
確実なものが残らないかどうかを探る態度のことである。
さらに言えば、最終的に残ったものだからと言って必ずしも真実だとは言い切れないし、
疑わしいからと、なんでもかんでも排除すればいいというものでもない。
だが、せめてそうあろうとすること。または可能なかぎりそのように努めようとする
ことである。

これは、情報に溢れる現代社会において、怪しげな陰謀論やエセ情報に惑わされたり
、根拠もなく確証バイアスに陥らないためにも欠かせない態度であり、
常に情報リテラシーを意識するためにも必須であろう。

初めて出会うことだけでなく、昨日まで信じてきたことなればこそ改めて意識的に
疑ってみることも忘れてはいけない。

少なくとも先に述べた「Z世代」と称される若者たちに常識など通用すまい。
「昔は・・」「俺らの頃は・・」これは彼らがもっとも嫌う前置きだ。

そんな彼らの態度を観て不快に思うかもしれないが、逆に年老いた我々が違和感
として感じられる彼らの生き方こそが旧い因習から脱皮した新人類の姿なのかもしれない・・
そんなふうに観ようとすることで世代間ギャップを超える対話が実現し、
我々もまた新たな視点を得ることができるのではないだろうか。

◆おわり◆