横山哲夫先生はモービル石油という企業の人事部長をお勤めになる傍ら、組織において個人が如何に自立するか、組織において如何に自己実現を図るか生涯を通じて研究し、又実践をされてきた方です。
横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるという鋭い分析のもと数多くの研究成果を出されてきております。
今回はその中からキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「組織文化とリーダーシップ」を紹介します。
本記事はエトガー・H・シャインの著作「組織文化とリーダーシップ」を横山先生が翻訳されたものです。横山先生はシャインが2006,7年頃(記憶があいまいですみません)来日した時の立役者(JCC:日本キャリア・カウンセリング研究会が招待した、彼と娘さんが来日した)で、東京、大阪でシャインが講演をする際にいつも同席し、そればかりか新幹線で京都案内までされて、ごくごく親しく彼の人柄に触れた唯一の日本人でありました。
横山先生の思想の系譜をたどるときには、エドガー・シャインにかならず突き当たるので今回から横山先生の翻訳を紹介しながら彼の思想の系譜を探索していきたいと思います。
<ここより翻訳:2010年シャイン著>
ここでの目的は,文化はいくつかの異なったレベルで分析可能だということを示すことにある。ここで用いるレベルという言葉は,文化的現象が観察者にどの程度見えるかの程度を指す。文化が一体どんなものであるかを定義する際に生ずる混乱の一部は,文化がその姿を現わすさまざまなレベルをきちんと識別しないことから生じている。これらのレベルには,あなたが実際に見て,感ずる,きわめて実態がはっきり表明されたレベルから,深いところに定着し,意識にのぼらない,基本的な前提認識のレベル(私はこれを文化のエッセンスと呼んでいる)が含まれる。これらのふたつのレベルの中間には,さまざまな「信奉された価値観,規範,行動のルール」,つまりその文化に属するメンバーたちが,彼ら自身に向けて,あるいはほかの人たちに対して,その文化を説明する方法として使われている部分がある。
文化の研究者の多くは,文化のもっとも深いレベルを表現するために,基本的価値観(basic values)という言葉を好んで使っている。しかし私自身は,基本的前提認識(basic assumption)のほうを好んで使っている。何故なら,後者はグループのメンバーによって当然のこととして,また妥協の余地のないものとして受けとめられているからである。価値観のほうは,議論の対象として開かれており,人々はそれに賛成しても,賛成しなくともよい。しかし基本的前提認識のほうは,あまりに当然のこととして受けとめられているので,その前提認識を認めていない人たちがいれば,その人たちは「異邦人」または「おかしい人」と判断されて,グループから自動的に追放されるのだ。
文化の分析のための3つの主要なレベル
1 人工の産物(artifact)
・可視的で,触わることができる構造とプロセス
・観察された行動
-分析,解釈することは難しい
2.信奉された信条と価値観(espoused belief and values)
・理想像,ゴール,価値観,願望
・イデオロギー(理念)
・合理化(rationalization)
-行動やその他の人工の産物と合致することも,しないこともある
3 基本的な深いところに保たれている前提認識(assumption)
・意識されずに当然のものとして抱かれている信条や価値観
-行動,認知,思考,感情を律する
人工の産物
もっとも表層に現われるのは人工の産物(artifact)のレベルだ。ここには,われわれが見慣れない文化を備えた新しいグループに遭遇したときに,われわれが見て,聞いて,感ずる,すべての現象が含まれる。人工の産物には,グループの生みだす産物,たとえば物理的環境としての建造物,その言語,そのテクノロジーと製品,その美術的作品,そのスタイル(衣服,挨拶の仕方,感情表現等),組織について語り継がれた神話や物語,価値観について書きものとして残された文書,目に見える慣習やお祝いの行事といったものが含まれる。
これらの人工の産物のなかには,そのグループの「風土(climate)」も含まれる。文化に関する研究者のうちにはこの風土を文化と同等のものと見る人もいるけれども,この風土はより深いところの前提認識の一部の成果物,したがって文化のひとつの現われととらえたほうが適切であろう。また観察された行動も,またそのような行動が繰り返される組織プロセスも,人工の産物のひとつである。また憲章(chapter),組織がどのように機能するかを記した公式の文書,組織図といった構造的な側面も人工の産物レベルに属する。
文化のこの表層レベルに関して指摘されるべきもっとも重要なポイントは,このレベルはきわめて観察しやすいけれども,同時に解釈がきわめて難しいという点だ。たとえばエジプト人もマヤ人も,ともにとても目につきやすいピラミッドを築いた。しかし,それぞれの文化におけるピラミッドについての意味は全く異なっていた。エジプトでは墓であるし,マヤでは寺院であり,墓でもあった。ということは観察者は見たこと,感じたことを記述することはできても,この観察だけからでは,そのグループではそれが一体何を意味しているのかを再構築することは不可能なのだ。また文化の研究者のなかには,人工の産物のなかに重要なシンボル,文化の深いところに存在する前提認識を反映するシンボルを含めるべきだと主張する人たちもいる。しかしシンボルは元来不明瞭なものであり,シンボルの分析を通じては,それが何を意味するかについてのある人物の洞察をテストすることしかできない。しかもその人物がもっとも深いところの前提認識のレベルでその文化を経験したことが必要条件となる(Gagliardi,1990,1999)。
また,人工の産物からのみ深いところに存在する前提認識を推量しようとする試みは,とくに危険なものとなる。というのは,ある個人の解釈は不可避的にその個人自身の感性と反応が投影されたものになるからだ。たとえばあなたがきわめてインフォーマルで,自由な組織を観察したときに,もしあなた自身が「インフォーマルである」ことは遊びほうけ,一所懸命働かないことを意味する前提認識の文化で育ってきている場合には,このグループを「非生産的」だと解釈するだろう。逆にあなたがきわめてフォーマルな組織を見たとき,あなた自身の経験が,フォーマリティー(形式偏重)は官僚主義と画一主義を意味するという前提認識にもとづいて築かれている場合には,その組織には「創造性が欠けている」と解釈するに違いない。
もし観察者がそのグループに十分に長い時間所属している場合,人工の産物に伴う意味がしだいに明確になってくる。しかしもしこのレベルの理解をもっと早く達成したい場合には,信奉された価値観,規範,ルールを分析するために組織内のインサイダーと話すことが不可欠となる。組織内の価値観,規範,ルールは日々の運用のための原則や基準を提供し,さらにこれらの原則にもとづいてグループのメンバーは自分自身の行動をガイドしている。このような探求を通じて,あなたは文化の分析の次のレベルへ到達するのだ。
(つづく)平林良人