横山哲夫先生が2019年6月に逝去されて今年は3回忌になります。テクノファでは2004年に先生のご指導でキャリアコンサルタント養成講座を立ち上げさせていただいて以来、今年まで実に14年もの間先生の思想に基づいたキャリアコンサルタント養成講座を開催し続けさせていただきました。
先生はモービル石油という企業の人事部長をお勤めになる傍ら、組織において個人が如何に自立するか、組織において如何に自己実現を図るか生涯を通じて研究し、又実践をされてきた方です。
先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるという鋭い分析のもと数多くの研究成果を出されてきております。
先生には多くの著者がありますが、今回はその中からキャリアコンサルタントが知っているべき「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-の核となるところを紹介したいと思います。
今回は引き続き「個立の時代の人材育成」からの紹介です。
―目標管理の悲劇― その2 ―
目標管理を原産地米国から学んだ時機がよくなかった。何をつくっても売れる高度成長の時代には、借り物の技術に集団的機動力を加えれば万事がうまく運ぶようにみえる。そういう時代に、新しい経営、新しい人事管理の理念や手法について地道で、本格的な取り組みが行なわれることはない。この時代、多くのアメリカ式経営の手法が流行のように伝えられ、忘れ去られていった。MBOもいわばその一つになってしまった。学者・研究者はともかく、経営の現場では、一部の、熱心な支持者と戦後の新興企業を除いて、日本の大方の経営者に大きな影響を与えることはなかった。それもそのはずである。集団的機動力をもって事に当たれば間違いなくよい結果を得られることをまざまざと見てきた経営者にとって、組織集団の中の「個」の尊重、集団目標の個別化の提言は、異和感を誘うことはあっても、正当な取り組みへの動機づけになるはずがない。そして、高度成長がオイルショックを機に、ゼロ成長、低成長に急転すると、大方の企業はひたすら生存のためのぎりぎりの忍耐と、明日の糧を得るための必死の知恵をふりしぼる毎日の連続となった。新しい時代に備えて、経営の理念と手法を思いめぐらすいとまもあればこそである。
かくして、目標管理は死に絶えることはなかったにしても(皮肉にも、”努力目標”や”ノルマ目標”が命運をつないだ?)片隅に追いやられ続けたのである。唯一の救いは、自己啓発、教育訓練との結びつきであった。どんな時代でも、自己啓発の重視を唱えることには、どこからも異論は出ない。経営者にとっては痛みもリスクもなく、経営責任の一端を転嫁できるうまみもある。せいぜい自己啓発の援助、奨励と結びつけ、能力向上のための教育訓練費用の支出で事足りる。かくして、目標管理の本格的導入のなし得なかった人事・教育担当者は、わずかに自己啓発・教育訓練の分野に極限された目標管理にその生存をはからざるを得ないことになってしまった。
―目標管理の悲劇 その3―
目標管理の導入にもっとも悲観的な人達は、目標管理的な思考が日本人になじまないという。目的合理主義は日本人の価値観や美意識にそぐわないという。日本の伝統的発想は目標よりもプロセスの重視にあるという。なるほど、一生懸命やってできなければ仕方がないと、まわりも自分もそれだけで納得しやすいということがあるのは認めるが、私はこのテの議論になじめない。このテの議論の重大な欠落は、もっぱら過去に目を向け、本書第1章で述べた個立の時代の幕開けに目を閉ざしていることにある。ご時世の変化を認めようとしない(あるいは、認めたくない)ところにある。目標の個別化による、個別の仕事のすすめ方は新人類と呼ばれる、新しい日本人達とよく歯車が噛み合うこと、中高年のおじさん達が何をどういおうと、世の中のすすみ方は個立指向ヤングを中心にこれから変わってゆくこと、これらの視点と方向に目を向けないのでは、21世紀をリードするヒトの話はまったくできない。そのことだけを強く述べて先にすすむことにする。
(つづく)平林良人