横山哲夫先生の思想の系譜 14
横山哲夫先生が2019年6月に逝去されて今年は3回忌になります。テクノファでは2004年に先生のご指導でキャリアコンサルタント養成講座を立ち上げさせていただいて以来、今年まで実に14年もの間先生の思想に基づいた養成講座を開催し続けさせてきました。
横山哲夫先生はモービル石油という企業の人事部長をお勤めになる傍ら、組織において個人が如何に自立するか、組織において如何に自己実現を図るか生涯を通じて研究し、又実践をされてきた方です。
横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがありはずであるという鋭い分析のもと数多くの研究成果を出されてきております。
横山哲夫先生には多くの著者がありますが、今回はその中から「個立の時代の人材育成」-多様・異質・異能が組織を伸ばす-の核となるところを紹介したいと思います。キャリコンサルタントにも大変役に立つ記述が随所にあります。
今回は引き続き「個立の時代の人材育成」からの紹介です。
M社などの事例
個別(立)の人材がこれからの人材育成のターゲットであること、及び、ライン主導のアプローチによると育成がすすめやすいことに続き、次の課題は、個別(立)育成のシステム化をどうはかるかにある。全社的に、総合的に、ラインと人事(教育)スタッフの職務分担をどうはかるか、また人材育成の諸プログラムをどう有機的に連動させるかである。これがなくては個別(立)の人材育成は絵に描いた餅となる。この章に関しては、先行的な事例をまず提供することにしたい。事例は筆者の現役基幹体験のあったM社を主とし、直接、指導経験のある K社、G社を従とし、できるだけ細部にわたる具体的な展開を記すことにする。
M社は創業90余年の石油元売業、社員数約1,300人、米国系多国籍企業の系列にあるが、日本における人材育成の展開には、日本独自のものがある。長期的・継続的側面は日本の雇用風土を土台としたものであり、個別的、ライン主導的な側面は戦後派日本企業の先行グループに共通する非伝統的なものである。現在の独自な形にほぼ整ってきたのはここ数年のことであり、これまでには30年に及ぶ幾多の試行錯誤を含む努力と工夫の積み重ねがあった。
トップ、ライン、セルフ三者のそれぞれの役割、責任の自覚が高ければその上に立って企画、実施されるキャリア開発プログラムの展開は効果的となる。MBOは育成のプログラムとしての機能のみならず、組織をタテに貫くクサビの効果を果たしていることに注目したい。 SLはシチュエイショナル・リーダーシップのことである。個立指向者の育成、管理にふさわしいリーダーシップ論として同社に採用されており、タテの結びつきの強化にも貢献している。
M社のキャリア開発会議(以下CDMと略す)は年二回開かれる。いずれも全二日間の昼夜にわたる合宿である。すでに20年近く継続されており、運営の仕方は常に改善がはかられている。うち一回は幹部職位中心の会議であり、 他の一つは若手社員を対象とする。一回のCDMは社長以下役員と人事部長(事務局)を出席者とする。社長自身が議長となり、人事担当役員が進行を兼ねる。主たる議事は、部長、次長職位にある現任者と後継可能者、一人ひとりについての業績評価(アプレイザル)ならびに、将来性予測 (アセスメント)を確認し、それにもとづいて、長・中・短期の育成と活用のプランを討議、決定(内定)する。その順序としては、対象者の上司ないしは管轄に当たる役員が、まず、出席役員全員に、事前に配付されている資料(アプレイザル・アセスメント・自己申告の要約)について説明し、育成・活用に関する提案を行なう。20年の経験を積んだ今は、対象者の評価をめぐって、基本的に大きな異論を生むことは比較的少なくなった。しかし、具体的に異動、昇進などの時期や順序などをめぐって役員間に活発な意見が交換されることが多い。いきなり社長の一言で議論もなく結論が出されるようなことはまったくない(某大手証券会社でも、M社のスタイルに似た人材会議を何年か前からはじめたとの報道を読んだ。M社の経験が参考にされたフシもある。とかく、序列に沈滞しがちなわが国の企業の幹部人事に、活性化の傾向がみられはじめたことはうれしいことである)。 CDM経験20年の最大の成果の一つは、自系列の有能な部課長を、育成のため他系列にローテーションすることを厭わない、役員の姿勢であろう。育成を核とする人事管理責任がラインの長にあることの意議がそこまで高まった。この傾向は大方の部長にもみられるようになったが、役員の人材育成意識の高まりが、それぞれの管轄部課長に直接的な好ましい影響を支えているものであろう。有能な部下を手放さないことによって、その部下の育成と、組織の活性化を遅らせることが少なくなかったM社の前身会社の時代を思うと、今昔の感がある。どのような制度をつくっても、当初からうまくいくことはない。人材育成は長期的で継続的な忍耐の作業であることをつくづく思う。
部長職位の後継可能者についての討議も、オープンで公平に行なわれている。有能で万能型の次長、課長の名前はいくつもの部長職位の候補者にあげられる。一職位の現実的候補者の数は通常五、六名に絞られる。そしてこれらの候補者の一部は毎年入れ替わっている。
個々の異動の発令、引継を含めた具体的、最終的な結論は人事担当役員(または人事部長)同席の下に、異動に関係するラインの長(通常は複数になる)の話し合いで決められる。それらの異動は、緊急の例外の他は、すべてがで討議され、基本的に合意を得た”可能性ケース”の中から選ばれる(異動の発令が、関与するラインの長の署名または連署でなされることは第5章で言及した通りである)。CDMが社長先導の下に、オープンに公平に毎年継続的に運営されるようになるまでは、一部のラインの長の恣意に大きく影響された異動、昇進が行なわれることがなきにしも非ずであった。ライン主導型の人事管理体制の泣きどころである。全社的な統合のむずかしさをM社は今のような形に克服し、まとめ上げてきた。これが理想的かどうかはわからないが、ラインの主体性を定例の年次会議でも発揮させると共に、その会議の場を全社的にまとめ上げる機会としたやり方は、一つの方法として検討に値するであろう。M社の場合にはトップの熱意とリーダーシップが成功の鍵となってきたが、全役員の意識がここまで高まれば、将来トップに異動があってもM社のCDMは今のように機能しつづけるであろう。あるいは、さらによりよい統合の方法が生み出されるかもしれない。
M社の役員は自系列のみならず、他系列も含めて、課長レベルはおろか、それ以下の多くの社員の個別的特徴をもよく把握しているのに驚かされる。これは役員自らがCDP(キャリア開発制度)による異系列部門へのローテーションを経てきていることにもよるが、すすんで社員の名前や特徴を事あるごとに賞えようとする努力によることが大きい。〇〇年度入社でもなく、△△大学卒でなく、××系列出身でもなく、一人の人間としての個性的特徴を尊重しようとする風土の醸成に幹部が先頭に立ってきたと思う。このような幹部の傾向は、若手社員を対象とするもう一つのキャリア開発会議を活性化することに役立っている。
(つづく)平林良人