横山哲夫先生の思想の系譜
キャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「組織文化とリーダーシップ」を紹介します。本記事はエトガー・H・シャインの著作「組織文化とリーダーシップ」を横山先生が翻訳されたものです。横山先生はシャインが2006,7年頃(記憶があいまいですみません)来日した時の立役者(JCC:日本キャリア・カウンセリング研究会が招待した、彼と娘さんが来日した)で、東京、大阪でシャインが講演をする際にいつも同席し、そればかりか新幹線で京都案内までされて、ごくごく親しく彼の人柄に触れた唯一の日本人でありました。
<ここより翻訳:2010年シャイン著>
私はコンサルテーションの間中,企業内を歩き回ったけれども,廊下ではつねに静かな雰囲気を感じ取った。つねにゆったりとした,ゆっくりとしたペースであった。またプランニング,スケジュール,時間に正確であることも重視されていた。DECでは使い得る時間を一杯に使った,慌ただしい活動を観察したが,チバ・ガイギーでは時間は秩序を保つために注意深くマネジされていた。たとえば私があるマネジャーと午後2時に会う約束があったとすると,私と一緒にいた人物は,1時58分にホールを歩きだし,きっちり2時にマネジャーのオフィスに到着するように配慮していた。私が時間通りに着いたときには待たされることはほとんどあり得なかった。もし私が数分でも遅れた場合には,何らかのおわびと説明が必要であると強く感じた。
チバ・ガイギーのマネジャーたちは,きわめて生真面目で,思慮深く,慎重で,知識欲旺盛で,フォーマルで(格式ばっている),プロトコル(儀礼)を重んずる人たちのように見受けられた。DECではランクや給与をその個人が遂行している実際の職務にもとづいて厳正に決められているのに対し,チバ・ガイギーでは,勤続年数,総合的条件,個人の経歴にもとづいて作られた経営のランク付けのシステムが運用されていた(その時点でその個人によって遂行されている実際の職務にもとづくものではない)。ランクや地位はかなり永続的な資格と認められていた。これに対してDECでは,職務変更のたびに,その地位は有無を言わせず,たびたび上がったり,下がったりしていた。
チバ・ガイギーにおける会議では,直接的な論争は歓迎されず,個々人の意見を尊重する傾向が観察できた。会議は問題解決よりは情報伝達を目的としていた。マネジャーがその結果責任を担う分野における提案を行うと,多くの場合尊重され,承認され,実施に移された。不服従の行動は一切観察されなかったし,私はむしろ不服従の行動は全く許容されないのではないかという印象さえ抱いた。つまりランクや地位はDECに較べてチバ・ガイギーではより高い価値が求められていた。一方DECでは,交渉スキルと不確実な社会環境のなかでものごとを達成する能力が高い評価を得ていた。
信奉された信条と価値観
信条や価値観というものは,あなたを当惑させ,異常と感じさせ,一貫性に欠けると感じさせたことや,さらにそこで観察された行動やそのほかの人工の産物についてその組織の当事者に尋ねることによって明確になるケースが多い。もし私がチバ・ガイギーのマネジャーに,何故彼らはつねにドアを閉じているのかを尋ねたとすると,彼らは丁寧に,ややへり下った態度で,それが彼らが仕事をしっかり遂行するための唯一の方法であり,また彼らは自分の仕事に高い価値を感じているからということを説明してくれるはずだ。これに対して会議は必要悪であり,決定された意思決定を発表したり,情報を集めることに役立っているにすぎず,「本当の仕事」は,集中した思考によって達成され,そのためには静かな環境と集中が求められるとする。これに対してDECでは,本当の仕事は,ものごとを討議し尽くすミーティングにおいて達成されていたのだ。
またチバ・ガイギーでは,同僚間の議論にはあまり価値が認められておらず,むしろ重要な情報は上司からもたらされるとも指摘された。権威,とくに教育レベル,経験,ランクに裏付けされた権威が高く評価されていた。ドクターや教授といった肩書の使用も,教育が人々に付与する知識に対する彼らの敬意を象徴していた。これらのほとんどは,化学という学問に対する敬意と,製品開発に対する研究所のリサーチからの貢献に関連するものであった。
DECと同様にチバ・ガイギーでも個人の努力と貢献には高い評価が与えられていた。しかしチバ・ガイギーでは命令系統の枠から踏み出したり,上司が推薦した道を踏みはずして行動することはあり得なかった。またチバ・ガイギーでは製品の精密さとクォリティ,また私があとになって発見する製品に伴う,いわゆる「特別の意味(significance)」に高い価値を認めていた。マネジャーたちはその化学製品や製薬が農作物の保護,病気の治療,さらに世界を向上させることに貢献しているほかの側面に役立っていることに誇りを感じていた。
基本的な前提認識-チバ・ガイギーのパラダイム
これまでに明確になった価値観の数多くは,この企業の雰囲気を明確に伝えている。しかし私がさらに深いところに存在する基本的前提認識に踏み込まない限り,どのようにものごとが機能しているのかを十分に理解することはできなかった。たとえば,私がこの企業がさらにイノベーティブになるように支援するという私自身の課題に沿って,この企業と協力して作業を進める過程で発見したもっとも驚くべき人工の産物(artifact)は,第1章ですでに指摘した出来事,つまり私のメモを巡って取られた異常な行動であった。この企業では,組織内の各ユニット間では横断的なコミュニケーションはほとんど行われておらず,その結果,あるユニットで生みだされた新しいアイデアはそのユニットの外部へは決して伝わらなかったのだ。たとえば私が「部門の枠を越えたミーティング」の可能性について尋ねたとしても,人々からはぽかんとした反応が返ってきて,「何故そのようなミーティングが必要なのか」といった質問がでてくることが予測された。数多くの事業部が同様な問題を抱えており,私との面接で提案されたすぐれたアイデア,さらにほかの企業で実践されていることに対する私自身の知識にもとづく私のアイデアを付け足したものを各事業部へ伝えることができれば,大いに役に立っことは明らかであった。 第1章で紹介した例をもう少し詳しく説明すると,私は上記の線に沿った数多くのメモを書き,私の仕事上の接点であるロイポルト博士(経営開発担当ディレクター)に,彼がこれらの情報からもっとも利益を受けると考えられるマネジャーたちに送付してくれるように依頼していた。彼は直接CEOのサイ・コクリンにリポートしていたので,私が集めた情勢を必要としている事業部門,機能組織,地域組織のマネジャーに伝達するための自然の懸け橋になると私は考えていた。しかしこの企業に対する次回の訪問で各ユニットのマネジャーに会って尋ねると,ひとりの例外もなく私のメモを受け取っていなかったのだ。しかしもし彼がロイポルト博士に請求すれば,ただちにメモが送り届けられる事実も確認できた。
(つづく)平林良人