横山哲夫先生の思想の系譜
横山哲夫先生が2019年6月に逝去されて今年は3回忌になります。テクノファでは2004年に先生のご指導でキャリアコンサルタント養成講座を立ち上げさせていただいて以来、今年まで実に16年もの間先生の思想に基づいたキャリアコンサルタント養成講座を開催し続けさせていただきました。
横山哲夫先生はモービル石油という企業の人事部長をお勤めになる傍ら、組織において個人が如何に自立するか、組織において如何に自己実現を図るか生涯を通じて研究し、又実践をされてきた方です。
横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるという鋭い分析のもと数多くの研究成果を出されてきております。
今回はその中からキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「組織文化とリーダーシップ」を紹介します。
本記事はエトガー・H・シャインの著作「組織文化とリーダーシップ」を横山先生が翻訳されたものです。横山先生はシャインが2006,7年頃(記憶があいまいですみません)来日した時の立役者(JCC:日本キャリア・カウンセリング研究会が招待した、彼と娘さんが来日した)で、東京、大阪でシャインが講演をする際にいつも同席し、そればかりか新幹線で京都案内までされて、ごくごく親しく彼の人柄に触れた唯一の日本人でありました。
横山先生の思想の系譜をたどるときには、エドガー・シャインにかならず突き当たるので今回から横山先生の翻訳を紹介しながら彼の思想の系譜を探索していきたいと思います。
<ここより翻訳:2010年シャイン著>
エンジニア/デザイナーのサブカルチャー
いずれの組織においても,その組織の仕事を下支えするテクノロジーの基本的なデザインの部分を担当するグループが存在しており,このグループがテクノロジーをどのように活用するかについての知識を備えている。ある組織の内部ではこのグループはひとつのサブカルチャーとして機能するけれども,このグループを際立たせるひとつの特徴は,彼らの基本的前提認識が彼らの職業のコミュニティーと教育から生みだされているという点である。エンジニアやデザイナーは組織内で働いているけれども,その職業に対する同一視の傾向は国や産業の枠を越えて,きわめて広範なものになっている。また技術志向の強い企業では,しばしば創設者が上記の意味でのエンジニアであり,これらの前提認識が主流を占める組織を作り上げている。DECはこのような組織の典型であり,このエンジニアのサブカルチャーがそのほかのビジネス機能を凌駕していたことが,DECの経営の成功,のちの崩壊する原因の一部となったのだ(Schein,2003;Kunda,1992)。エンジニアのサブカルチャーに伴う基本的前提認識を表4-2に示した。
このサブカルチャーで共有されている前提認識は,共通の教育,職務経験,職務要件にもとづいて形成されている。彼らの教育は,諸問題は抽象レベルのソリューションを備え,かつこれらのソリューションは原則として,人間の弱点やエラーからは影響を受けない製品やシステムという形で現実の世界で実行可能だ,という見解を補強している
・理想的な世界は,人間による介在なしに精密な機械とプロセスが完壁な正確さと調和の形で機能している世界だ。
・人間が問題の種だ。彼らは間違いを犯すので,可能な限りシステムに含めない形でデザインを進めるべきだ。
・自然は統治可能だし,統治すべきだ。すなわち「可能なものは実現すべきなのだ」(前向きの楽天主義)
・ソリューションは科学と入手可能なテクノロジーにもとづいたものでなければな らない。
・本格的な仕事は混乱を解決し,問題を克服することを目指す。
・仕事においては有用な製品と成果物(アウトカム)を目指すことが求められる。
エンジニアはこの言葉をもっとも広く解釈して,有用性,優雅さ,性能,効率性,安全性,さらに建築の場合には美的アピールまでを含めた製品やシステムのデザイナーとしてとらえている。しかしこれらは,現場従業者からの定型的な作業を織り込む形で基本的にデザインされており,理想的には現場従事者の人手による作業を全く必要としない製品やシステムをデザインすることが目標とされているのだ。
航空機や原子力発電所といった複雑なシステムをデザインする際には,安全性を確保するために,人間のティームが不測事態をマネジすることに頼るのではなく,技術的な一定のルーティンに頼ることが優先される。たしかにエンジニアも人間的要素を考慮し,そのためのデザインを進めており,ここではものごとをできる限り自動化することを優先させている。これは究極的に間違いを引き起こすのは人間であるとする彼らの基本的な前提認識が存在しているからだ。DECの創始者のケン・オルセンは,誰かが「コンピューターのエラー」だと発言すると,コンピューターはエラーを起こさない,人間が間違いを起こすのだと指摘して,怒りを爆発させたと言う。安全性は各デザインにビルトインされている。あるとき私はエジプト航空のあるパイロットに,ロシア製と米国製のどちらの航空機を好むかを尋ねたことがある。彼は即座に米国製の航空機を選んだ。その理由としてロシア製の航空機にはひとつか,ふたつのバックアップのシステムしか備わっていないけれども,米国製には3つのバックアップ・システムが備わっているからだと説明してくれた。同様なケースとして私の乗った飛行機がシアトル空港に着陸しようとしているときに,ふたりのエンジニアが,コックピットにはパイロットは一切必要としないと会話しているのを耳にした。たしかに航空機はコンピューターによって,容易に飛行,着陸させることができるのだ。
言い換えると,エンジニアのサブカルチャーに備わる主要なテーマは,各システムに人間的要素を繰り込むのではなく,できるだけ排除する考え方に立っている。サンフランシスコ湾岸輸送機関(BARTとして知られている)がその列車を完全に自動化した例を思い出して欲しい。このケースでは,この完全な自動化に反対したのは現場従事者ではなく乗客であったのだ。その結果乗客が経営者側を説得して,各列車にもう一度人間のオペレーターを乗せることで決着した。この人間のオペレーターは,その存在を示すことによって乗客に安心感を与える以外,何もすることがなかったにもかかわらずだ。オートメーションやロボット化は,全く人間が含まれないシステムに伴う低コストと高度な信頼性故に,ますます一般的に活用されている。しかし先にも指摘したように,状況が変化し,創造的な反応が必要とされるときには,いまなお人間が必要とされているのだ。
トーマスの研究では,そのエンジニアたちが,折角彼らが購入した高価な機械の運用が必要以上のオペレーターの存在によって制約を受けていることに対して不満を募らせていた。これはコストがかかる再訓練プログラム,さらに「本格的なエンジニアリング」とは一切関わりを持たない経営主導のポリシーによってもたらされていたのだ(Thomas,1994)。私自身のIT(情報技術)に関わる調査においても,エンジニアは基本的にオペレーターのほうで特別な言語,さらに稼働しているコンピューターのシステムの特性に適応してくれることを望んでいた。彼らはオペレーターの示す「変化に対する抵抗」にいらだちを感じていた。しかしユーザーであるオペレーターからの見方からすれば,言語のわかり難さだけでなく,このシステムは運用上の問題を解決するために有用ではないと考えられていたのだ(Schein,1992)。
ここまで私は,技術系企業のエンジニアに焦点を当ててきたけれども,すべての組織にはエンジニアに近い人材が存在する。たとえば新しい外科手術の方法を生みだす医師,法律事務所で必要な文書を作成するためのコンピューターシステムを生みだすデザイナー,保険業界における保険数理士や保険商品のデザイナー,金融業界においては,新しい,高度な商品を生むデザイナー等である。彼らの職業では,日々の仕事に取り組むのではなく,その訓練をさらに効果的なものにするために,新しい製品,新しい構造,新しいプロセスをデザインしているのだ。
現場従事者とエンジニアの両者とも,第3の重要な文化,すなわちエクゼクティブの文化とは自分たちは区分されていると感じている。
(つづく)平林良人