横山哲夫先生が2019年6月に逝去されて今年は7回忌になります。テクノファでは2004年に先生のご指導でキャリアコンサルタント養成講座を立ち上げさせていただいて以来、今年まで実に16年もの間先生の思想に基づいたキャリアコンサルタント養成講座を開催し続けさせていただきました。
横山哲夫先生はモービル石油という企業の人事部長をお勤めになる傍ら、組織において個人が如何に自立するか、組織において如何に自己実現を図るか生涯を通じて研究し、又実践をされてきた方です。
横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるという鋭い分析のもと数多くの研究成果を出されてきております。
今回はその中からキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「硬直人事を打破するために-人事管理自由化論」の中で、管理なき人事へ(人間の自由化)を説いている部分を紹介します。
モービルにおける人間自由化の具体的展開について述べる。
11 福祉厚生の自由化
一人当り経済所得が欧州並みになった日本人にとって、自分の所属する企業から得られる福利厚生のもつ意味は大きく変化しようとしている。厚生社宅に住んだことのない者にとっては、”安くて便利な”社宅がうらやましくみえるが、社宅に住んでいる者で多少とも独立心のある者は、有形無形の制約から脱出し、たとえ経済的には高くついても、社宅から脱け出して自由な生活をしようとする。会社お手盛りのレクリエーションは参加者が十分でなく、自分達でたてたプランには目の色を変えてとびつく。
もちろん、皆が皆そんな具合だなどというつもりはないが、時代の傾向は明らかである。そんな傾向の中にあっても、モービル石油では福利厚生に対する会社の配慮はやはり必要だと考える。それは従業員を定着させ、愛社心を育てるために、というのではなくて、とかく環境的なものにすぐに不満の種を見出そうとする人間性の一面、また、考えや好みを同じくする集団を形成し所属しようとする人間本能、そして、それが不満を媒介にしたときは一層結ばれやすい群集心理、こうした人間性の本能的(動物的)欲求を放置することは、広義な意味での人間尊重にならないと思うからである。
真の意味での人間性尊重は個別化の中でしか考えられない。人間が最も人間らしく生きようとする生きがい、働きがいは個人の自律性の中で主体的にしか得られないものだからである。本来、一律的恩恵的な扱いになりやすい福利厚生の分野でも、モービルはなんとかして個人の意思による選択の余地の残された自由で自主的な制度を、と考える。厚生社宅は持たない (業務用社宅はある)が、転勤者には「借上社宅制度」による援助を行なうから、多少とも自分の好みをとり入れた住居(場所、間取り等)の選択が可能である。「住宅手当」はかなり高額(世帯主組合員一万一千五百円)で、借上社宅居住者にも一律に支給される(ただし本給と手当を合計した額から一五%内外を本人負担として徴収する)。 一般に日本の会社では社宅入居者と自宅居住者に対する住宅費コスト援助には極端なァンバランスがある。これを総合し、平均して比較すると、従業員に対する住宅対策は決して悪くない。持ち家を奨励するための「住宅ローン」はつねに他社に先鞭をつけてきた。現行のポリシー(普通四百万円まで、特別融資八百万円まで、十年ないし十五年返済、利子三分五厘)は間もなくさらに改善されることになろう。
「モービルクラブ」 というのがある。スポーツ、レクリエーション、文化交流のための組織である。従業員も若干を負担するが、会社基金のほうが全然大きい。運営は社員が全く自主的に行なう。予算編成その他すべて社員が自主的に行なう。「スポーツ振興資金」というのがある。資金(会社全額出資)を社員が各地の実情に応じて、会社に申請して資金の交付を受ける。テニスコート、野球グラウンドの長期契約などの大ロからボーリング場の割引使用までいろいろある。会社は助言をしたり、若干の手伝いはするが、原則は社員の自発的、自律的活動におき、干渉めいたことは言わない。
「保養施設」(会社直営および健保組合と共同)も全国数ケ所にあるし、その他に格安で利用できる旅館等との契約もいろいろできている。
先にも述べたように、人間性の一面(これは実は動物性なのだが)は仲間と一緒にいたい、という寂しがり屋であることだ。これを無視することはいけないし、そういう人間心理(本能)に気がつかなければ怠慢ということになる。だから会社はそういう仲間が集まれる機会や場所を提供することをやはり企業の責任だと考えている。しかし、その方法にはできるだけ”おしきせ”を避け、社員の自発的な希望を聞こうとする。ヨットに夢中な支店があれば、ヨットを買いたい、借りたい、と申請してくることを期待したい。そういう支店に、会社がかってにみつくろってテニスコートを契約してやってもなんにもならない。
たかが遊ぴというふうには考えたくない。
モービルという会社は、他律的で、集団の一員としてだけしか行動のおこせない人や、上役や仲間の顔色で全く行動が左右されてしまう人にとっては住みにくい会社かもしれないが、自分で自発的な行動を起こそうとする人にとっては他社にみられない自由な会社なのである。
<あとがき>
モービル石油が最近五年間に新たに採用した大卒者の数は約二〇〇名、そのうち退職した者一八名。大卒社員の総数約六〇〇名に対する中途退職者の年間平均は約八名である。「意外に (たぶん、外資会社としては、という意味であろう)辞めていく人が少ないんですね」とよく言われる。「モービルで中途採用の数が多いのは、辞める人や辞めさせられる人が多いからではないかと思っていましたが、そうではないんですね」と安心顔をされるのはある大学の就職課長さんである(新卒者一本の採用方針をとらないこととそのわけは本文で述べた)。
いまや人材流動化の時代である。よりよい働き場所を求めて他社からモービルに移ってくる人、逆にモービルから去っていく社員、いずれもその数がふえていくことであろう。その数が極端に多くなければ別に異常なことではない。モービルでは比較的退職者の数が少ないのは事実であっても、そのことだけをとりあげてほめていただいたり、安心されたりするのはちょっと当惑する。
事実、伝統的な日本的秩序の中にひたすら安心感を得たいと願う人にとってはモービルの人間性自由化、自律性尊重主義は有難迷惑であろうし、日本の精神風土を全く無視するほどの徹底的な能力主義を期待する人にとっては、モービルの能力主義は中途半端で歯がゆく思われることであろう。いずれの場合も、モービルを離れていく可能性をもっているといえるわけである。モービル石油は日本人の伝統と価値観を尊重しながらも、そこにとどまらず、国際人としての自律型人間に社員がさらに脱皮、成長するようにと望み、そのために、少なからざる矛盾や困難の克服と、社員の意識革命に時間を費やしているのであって、まだまだ問題の多い、中途半端な会社にみえるであろうことは否定しない。しかし本来民主化や自由化というのは独裁主義や権威主義に比べればはるかに時間のかかるものである。手前味噌かもしれないが、基本的に一貫した人事理念のあることはモービルの社員の大多数が認めていると私は信じているし、将来を楽観している。
昨年、ある調査研究機関のモラール・サーベイの対象となった。その結果としてでたのは、「会社との一体感」では日本の他社平均を下まわり、「仕事上の満足度(上役の自己への認識、自己の職務の重要性など)」では平均を上まわる、というかなり顕著な傾向であった。会社に対する忠誠心、帰属感を第一とする考え方からすればこうした傾向は憂慮すべき状態であるのかもしれないが、社長以下、私も含めて多くの幹部がこの結果を「さもありなん」と受け止めていることを最後に述べて、モービル石油の 「管理なき人事へ― 人間の自由化」へのご批判とご忠告をいただけるようお願いして筆をおく。
(つづく)平林良人