横山哲夫先生は、個人が人生を通じての仕事にはお金を伴うJOBばかりでなく、組織に属していようがいまいが、自己実現のためのWORKがあるはずであるという鋭い分析のもと数多くの研究成果を出されてきております。
今回はその中からキャリアコンサルタントが知っていると良いと思われる「組織文化とリーダーシップ」を紹介します。
本記事はエトガー・H・シャインの著作「組織文化とリーダーシップ」を横山先生が翻訳されたものです。横山先生はシャインが2006,7年頃(記憶があいまいですみません)来日した時の立役者(JCC:日本キャリア・カウンセリング研究会が招待した、彼と娘さんが来日した)で、東京、大阪でシャインが講演をする際にいつも同席し、そればかりか新幹線で京都案内までされて、ごくごく親しく彼の人柄に触れた唯一の日本人でありました。
横山先生の思想の系譜をたどるときには、エドガー・シャインにかならず突き当たるので今回から横山先生の翻訳を紹介しながら彼の思想の系譜を探索していきたいと思います。
<ここより翻訳:2010年シャイン著>
(つづき)
「私が個人的に経験した5つのケース」
いかに文化が組織の状況を説明できるかを示すために,私がコンサルタントとして個人的に経験したいくつかのケースを紹介したい。
デジタル・イクイップメント社
まず最初はデジタル・イクイップメント社(DEC)のケースである。私はそのマネジメントのグループに対して,同社のコミュニケーション,対人関係,意思決定を向上させるために招かれた。DECは1950年代半ばに創設されたが,同社は今日では常識となっている対話式のコンピューティング(interactive computing)を最初に成功させた企業のひとつだ。DECは最初の25年間は大きな成功を収めた企業ではあったけれども,そのあと多くの困難を経験し,1996年にはコンパック社(Compaq)に買収された。本書で私はDECのストーリーをたびたび取り上げるつもりだ。
私はトップマネジメントの会議にたびたび出席し,さまざまな特徴のなかで,とくに次のような特徴を見いだした。(1)発言の妨害,対立,論争が顕著,(2)提案されたアクションプランに対して過度の感情移入,(3)さまざまな視点を社内で通すことに伴う困難さに対するフラストレーション,(4)各メンバーがつねに勝利したいと願う意欲,(5)暗礁に乗り上げた意思決定を通すことに時間が掛かりすぎることに対する全員のフラストレーションだ。
数か月後に私は,よりよい傾聴,発言を中断しないこと,会議のアジェンダをきちんと守ること,感情過多と対立からの悪影響,フラストレーションを減ずることの必要といった点に対して提案を行った。メンバーはたしかに提言は有効であると認め,やり方のいくつかの側面については改善を進めた(たとえば会議時間の延長等)。しかし基本的なパターンは変わらなかった。私がどのような改善を提案してもグループの基本的なスタイルは以前と同じであった。これをどう説明したらよいのか?
チバ・ガイギ一社
第2のケースでは,私はより広範なコンサルティングのプロジェクトの一環として,ますますダイナミックに変化するビジネス環境に対応して,さらに柔軟性が求められていると感じていた企業において,イノベーションを促す風土を築くための支援を求められた。このスイスの化学会社は,数多くのビジネスユニットと,地域ユニット,機能組織から構成されていた。その後サンド社(Sandoz)と合併し,現在はノバルティス社(Novartis)の一員となっている。
チバ・ガイギ一社(Ciba-Geigy)のさまざまな部門とその問題を理解するにつれ,この企業のさまざまな部門できわめてイノベーティブなことが生まれていることに気づいた。そこで私はこれらのイノベーションを取り上げて,何通かのメモを書き,さらに私自身の経験も書き加えて,これらのメモを私の接点である人物に渡し,これらのアイデアを理解することが求められているビジネスユニットや地域マネジャーに配付してくれるように依頼した。
数か月後に,私が個人的にメモを手渡したマネジャーたちと話をすると,メモは彼らの役に立ち,的を射ているとコメントしてくれたが,彼らはそのメモをほかの人たちに配付してくれることはなかった。また彼らのいずれも私の接点の人物からはそのメモを受け取っていなかった。さらに私は,横断的なコミュニケーションを促すために,さまざまな部内のマネジャーを招いたミーティングを提案したけれども,そのようなミーティングに対する支持は全く得られなかった。どのようなことをしても事業部門,機能組織,地域の枠を越えて横断的に流れる情報を受けとることは不可能であった。とはいえ社内の誰もがイノベーションは活発な横断的なコミュニケーションによって促進されることには原則賛成し,私にこの分野で努力を続けることを要請し続けていた。では何故,役に立つ私のメモが社内で配付されなかったのだろうか?
Cambridge-at-Home
この第3の例はきわめてユニークだ。2年ほど前に私は,年を取った人たちが自分の家に住み続けることを可能にする組織の創設にかかわった。ケンブリッジにある10の老人ホームを運営するグループがこの新しい組織をデザインするミーティングを世話するように求めてきたのだ。私は強いコンセンサスとコミットメントを得るために,たとえミーティングのスピードを鈍らせることになっても,すべての人たちからの意見を聴きたいと考えた。ロバートのルールに逆らってでも,コンセンサスを築くスタイルを優先させた。この方法はたしかにスピードは鈍いけれども,すべての人たちの意見を反映させることができた。しかしこのコンセンサスを求める方法はグループを二分させる結果を招いた。つまりこのオープンなスタイルを好むグループと,私が「最悪のミーティング」を強いたと考えるグループだ。ここではどんなことが起こったのだろうか?
(つづく)平林良人