このコーナーは、テクノファキャリアコンサルタント養成講座を卒業され、現在日本全国各地で活躍しているキャリアコンサルタントの方からの近況や情報などを発信しています。今回はS.Sさんからの発信です。「イジメ問題」は、今や深刻な社会問題です。社会的に注目が集まっていることもあって、学校教育現場におけるイジメの発覚については特に神経質になっているようです。。
ー「文化的盲点の反映としてのイジメ」ー
「イジメ問題」は、今や深刻な社会問題です。社会的に注目が集まっていることもあって、学校教育現場におけるイジメの発覚については特に神経質になっているようです。
イジメはいけない! イジメを許さない! イジメをなくそう!と様々なスローガンが謳われ、それぞれの地域でイジメの根絶に向けた動き発が活化しています。
しかし、イジメ問題を根絶やしにするためには、「いったい何を以てイジメと認識するのか」が明確でなくてはならないはずなのですが、意外なところに盲点がありまし。このことが理解されないかぎり、いつまで経っても改善が難しいかもしれません。
というのは、日本という国に以前から染み着いている文化的傾向の中に、未だイジメと認識できていない要素を見つけることができるからです。
日本人は「ジョーク」と「ユーモア」の区別がないと言われています。これらは、おそらく多くの方々が違和感のないまま誤認識していると思われますが、じつは両者の間には、まったく対照的な意味の違いがあります。
まず、「ジョーク」とは、自分たち以外の誰かが失敗した際に、それを指さしてあざ笑う行為のことです。つまり、「あの慌てた顔ったらなかったよな・・」とか、「あいつが、まさに○○だったりして・・」というような皮肉を以て、笑い者にすることを言います。
それに対して「ユーモア」は、あえて自分自身の失敗談を開示することによって、周囲の笑いを誘う意図的な行為のことだと言われます。ユーモアは、立場や上下関係の枠を超え、場の緊張を和らげ、さらに相手の警戒心を軽減する意味でスムースな出会いに繋がる暖かな雰囲気を演出します。
日本では、これらが混同され、我々キャリアコンサルタントも同じような意味として誤認しているのではないと思われます。
たしかに「どっきりカメラ」などに代表されるジョーク的な娯楽番組では、「やりすぎではないか」と、どこか良心の呵責的な罪の意識を感じたりします。
それに比べて、ユーモアを表現できる人の場合には、「おもしろい人だな・・・」、「気さくな人柄だな・・」と喜ばれることが多いものです。ドイツでは、誰かを指してあざ笑う行為を「シャーデンフロイデ(野卑な笑い)」と呼んで忌み嫌い、精神的な未熟さや性格的な歪みをも意味する言葉として使われているそうです。
さて、これをイジメ問題を当てはめるならば、いわゆる傍観者たちは、いったいどのような心情で事態の成り行きを観ているでしょうか。加害者対被害者という単純な図式だけでは語れない妙な娯楽的な要素が入り混じり、まるで悪ふざけをしながら遊んでいるかのように見えてしまうかもしれません。
自分が次のターゲットにされないために、加害者側に在る自分をさりげなく演出しているようにも思えます。イジメは大人の社会でも観られる排他的な行為ですが、被害を受けている側もまた、自分がイジメに遭っている事実を認めたくないという想いから、無理をしながらでもなお、笑顔を保ち続けるものです。
こういった状況を傍観者たちが娯楽と感じるか、それともイジメと認識するかは、それぞれの主観に拠るのでしょうが、少なくとも我々が「困っている様子」を観て愉快だと感じてしまうのであれば、すでにその時点で何かが狂っており屈折した認知の歪みがあるのかもしれないということなのです。
このことは決して子どもだけの問題ではありません。子どもを取り囲む文化そのものにメスを入れなくてはならないでしょうし、そもそも「おもしろい」と感じてしまう「感じ方」自体に敢えて疑問を持つ必要があるではないでしょうか。
(つづく)K.I